「いやぁ、張り切っちゃって。どーしたの、烏野ボーイ」
二日目のお昼休みの最中。
食堂でいつまでもダラダラするのは性に合わなくて、散歩がてら宿泊先の周辺を走り込みでもしようと靴紐を締め直していた。
後ろから陽気な声が掛かり、走ろうと思っていた気持ちが僅かに萎えたが、それを顔に出す事なく、僕は振り返る。
当然想像していた通り、音駒の黒尾さんと孤爪さんがそこにいた。
孤爪さんはお腹を摩って「お腹いっぱい」と大きく息を吐いている。
「何ですか」
「そんな顔すんなよ。昨日までのつまらない態度、どこ行ったんだ?」
別に顔に出したわけではないけれど。
そう言われて気分の良いものでもないので、僕は敢えてその言葉に返答はしなかった。
黒尾さんはそれを楽しそうに笑って「ふうん?」とわざと僕の顔を覗き込んでくる。
なんかムカツク。
昨日の態度、と言われても正直ピンとこない。
僕はいつも通り練習しているつもりだし、体調も悪くない。
それを指摘されるのはやっぱり気分の良いものではなかった。
僕の表情が変わっていないのにも拘らず、黒尾さんはまだニヤニヤと笑っている。
何が言いたいんだろうか。
「あーんなツラしてた癖に、練習も一気に気合入っちゃったんじゃねーの? ほら、あの女の子」
「……何が言いたいんですか」
「本当は分かってる癖に。昨日チビちゃんと一緒に来た女の子、あの子の顔見てから練習態度全然違うんだよなぁ」
「……」
ピクリと眉が反応した。
それを黒尾さん見て、やはりと言ったしたり顔でさらに饒舌に話し始める。
隣の孤爪さんはそんな黒尾さんの様子を呆れたように見ていた。
面倒な輩に捕まってしまったようだ。
自分でも練習態度が変わったかどうかなんてよく分からない。
だけど、まあ。
彼女、名前の顔を見たらあれだけつまらない練習だって、少しは取り組もうかと思えるくらいにはなったのだから、結局名前のお陰なんだろうけれど。
僕ともあろう者が、本当に単純単細胞になったようだ。
彼女は今日、朝早く起きてきて、他校のマネージャーに混じって朝からスポドリを作ったり、コートの準備をしたり忙しそうにしていた。
合間に「何でそんな事してるの」と尋ねてみたけれど、「私だって何か手伝いたいんだもん」と頬を膨らませて返答していたので、僕と名前の間の雰囲気は元に戻ったみたいだ。
それが酷く心地よくて適当に返事をすれば、名前はいつものように「頑張ってね」と小さく手を振った。
勿論それに応えたりはしていないけれど、心の中でじんわりと何かが広がっていくような感覚に陥った。
きっと今だってお昼ご飯の片づけで走りまわっているはずだ。
「何だよ〜。クールなMBも可愛い彼女には心奪われてるってわけかよ」
「…彼女じゃないです」
「……あ?」
人の恋路がそんなに楽しいのか、というくらい顔面を緩ませている黒尾さんに、冷静に事実を伝えると、一瞬にしてその表情が驚愕したものに変化する。
よく見ると隣の孤爪さんも「は?」と口を半開きにしていた。
間違ってはいない。名前は彼女でも何でもないから。
「ふーん。彼女じゃないんだーへーそうなんだーへー」
「さっきから何ですか、黒尾さん」
いい加減この絡みに鬱陶しくなった僕は、走り込みは諦めて体育館へ向かおうと方向を変える。
そんな僕をまた黒尾さんが口角上げて笑う。
いい加減、気分が悪いんだけれど。いくら他校の人とは言え、鬱陶しい。
「彼女じゃないなら、別にあの子がチビちゃんと一緒に居ても問題ないもんなぁ。折角教えてやろうと思ったけど、忘れてくれ」
「…………は?」
無視しようとした僕はその言葉を聞いて、ぐるんと踵を返し、慌てて黒尾さんと孤爪さんの前にツカツカ歩み寄っていく。
未だにふざけた顔をして僕を見る黒尾さんが更に気に障った。
だけども、今はそんな事を気にしている場合ではない。
問題は名前が誰と一緒にいるかどうか、だ。
「日向が?」
「そうそう。チビちゃん、試合以外でもあんな顔すんだな」
「確かに翔陽、ちょっと怖い顔してた」
黒尾さんの言葉に続いて孤爪さんもまたそれに同意する。
僕は無意識に舌打ちを一つ零して、黒尾さんと孤爪さんの間を抜けて廊下を早歩きで進んでいく。
後ろで黒尾さんの「お、おーい」という声が掛かったけれど、もう限界だ。
僕は最悪の状況を想像しながら、目的の人物を探すことにした。
……余計な事してくれるね、本当に。
◇◇◇
「お昼ご飯、美味しかったよ。ありがとう、苗字さん」
「本当? それは良かった。沢山食べてたもんね、日向くん」
お昼のお片づけもそこそこに、私は日向くんと自販機と小さなベンチのある場所で小休憩を取っていた。
というか、片付けも日向くんが率先して手伝ってくれたお陰でこうして、休憩する時間が出来たので、感謝しかないんだけれど。
オレンジジュースを買って、それを手でくるくると回しながら、ベンチに腰かけた。
少しスペースを開けて日向くんも同じく腰を下ろす。
一日目の途中から参加した部外者だけれど、流石に何もせず練習を見学する気にはなれなかった。
部員でなくとも出来ることはあるはずだ、と何とか他校のマネさんたちに交じってせこせこと動き回っていたら、あっと言う間に午前が終わっていた。
少々身体は疲れているけれど、でも私なんかよりも、月島くんや日向くんの方がきっと疲れている。
少しでも身体が癒せるように私もサポートできればいいなぁ。
そんな事を考えながら、プシュ、と缶ジュースの蓋を開ける。
続いて日向くんの方からも同じ音がした。
二人でジュースを口にし、気が付いたらし自然と「ふう」と息が漏れていた。
「運動部のマネージャーさんって本当に大変だよね」
「…そうだね、谷地さんたちも結構忙しそうだし」
「これが毎日だったら、私にはきっと無理だと思うよ…運動むいてないや」
「俺は苗字さんがマネしてくれたら、結構嬉しいよ?」
「優しいね、日向くん」
一口ジュースを口に付けて。
私は隣に座る日向くんに微笑む。
お世辞でも嬉しいことを言ってくれる日向くん。
本当に月島くんとは大違いだ。
……だけど、偶に月島くんだって優しい事言ってくれ…たことはあったかどうか覚えていないけど。
悶々と頭に浮かぶあの厭味メガネの顔を無理やり払って、私はまたジュースを口に含んだ。
「…苗字さんはさ、」
「うん?」
一緒になって笑っていた日向くんが、急に少し真面目な顔でこっちを見たから、私は首を傾げて日向くんの方を見た。
何か思いつめたようなその表情に、何か練習で不都合があったんじゃないかと心配になる。
日向くんは言いづらそうにモゴモゴと口を動かして、そして、少しづつ言葉にしてくれた。
「この合宿に来たのは、月島の、為?」
言われた言葉に私は思わず目を見開いて固まってしまった。
え、何で。どうして日向くんが知っているんだろうか。
……まあ、月島くんの為といえば、そうなんだけれど、どっちかというと自分の為でもあるんだけれどな。
どう返答しようか迷っている間にも、日向君は続ける。
「車の中の会話、聞いてて…」
「あ、そうなんだ」
なるほど。
昨日の冴子さんとの会話を聞かれていたらしい。
確か日向くんと影山くんは眠っていたような気がしたけれど、起こしてしまったみたいだ。
聞かれていたという事なら納得がいくけれど、少し恥ずかしい。
「…恥ずかしいから、誰にも言わないでね」
へへ、と笑って言うと、日向くんの顔が一瞬くちゃりと歪んだ気がした。
そして、
「苗字さんは、月島のこと、好きなの?」
日向くんは核心的な一言を零した。
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