苗字さんと別れた後、誰にも会いたくなくて、俺は一人誰も使っていない空き部屋に籠った。
扉を閉めたと同時に、扉を背中にして、するするとその場に座り込む。
ぐちゃぐちゃだった。
バレーの事を考えている時は、まっすぐ考えることが出来るのに。
それだけに集中できるのに。
なのに今、俺の中では色々な感情が入り混じっている。
「…違う、あんな顔をさせたかったわけじゃ…」
自分の前髪をかき上げて、そのまま自分の頭を抱え込んだ。
脳裏にあるのは先程の苗字さんの顔。
今まで俺に向かって笑いかけてくれた、その表情とは程遠い。
馬鹿だ。
車の中の苗字さん達の会話を盗み聞きして、少し不安になっただけだったんだ。
だから、直接確認したかった。
苗字さんは月島の事、どう思っているのかを。
そして、最悪の答えではなかったことに、俺は酷く安堵した。
確かに月島は最初、苗字さんに対して冷たい態度だったし、結構頻繁に女子に呼び出しされて告白されている事も知っていた。
だから、きっと違う。そう、安心したんだ。
その時、苗字さんがどんな表情をしていたのか、全く気付く事無く。
自分で何を口にしていたのかも、あまり覚えていない。
少しの気恥ずかしさと苗字さんが月島の事をどう思っているのかを確認した安心感。
自分でも妙なテンションだった。
そして余計な事を言った。
『それって、私の心配をしているの? それとも月島くんの悪い話を聞かせてくれてるの?』
今まで聞いたことないくらい、平坦で冷たい声だった。
ハッとしたときにはもう遅い。
俺を見つめる苗字さんの目は、いつもの穏やかなものとは真逆で。
瞳の奥に怒りさえ見えた。
『月島くんが悪い人かどうかは、私が決めるし、そんな話を日向くんの口から聞きたくない』
それを聞いて、バカな俺はやっと理解したんだ。
ああ、そっか。
俺は酷い思い違いをしていたんだ、と。
俺の好きになった苗字さんは人からの噂で、人を嫌ったりしないし、自分の目で見て判断する子だった。
それは勿論月島だけじゃなくて、俺に対してもそうだった。
何でそれに気づかなかったんだ。
それに。
苗字さんは言明することは避けたけれど、何となく理解してしまった。
月島は最初こそ、苗字さんに冷たかったし、他の女子にもよく告白を受けて酷いセリフを吐いて断っていたけれど、
それは、最初だけだった。
今は、あの月島が苗字さんを見る瞳がほんの僅かに柔らかくなっている。
他の女子の告白も「好きな子がいる」と言って断っているのを知っていた。
そうなんだ、今は。
『嫌いじゃないよ?』
困ったように笑った苗字さん。
でもそれは、
「嫌いじゃなくて、好きって事じゃん」
ズキズキと胸が痛む。
服の上から心臓あたりを押さえてみたけれど、痛みは緩和されない。
むしろ、時間が経つにつれて酷くなる。
違う、と心の中でもう一人の自分が叫ぶ。
……違うことなんてない。本当は分かっていた。
車の中の会話を聞いたあの時から。苗字さんの気持ちが誰にあるのか。
月島がいつも誰の事を考えているのか。
「…くそっ…」
やめてくれ。
お前には、他にも沢山告白してくれる女子がいるじゃん。
俺には、苗字さんだけだったんだ。
俺が、最初に好きになったんだ。
月島よりも、俺が。
「……ただ、横で笑って欲しかっただけなのに」
独りよがりの言葉は、誰にも届く事無く、悲しく消えていった。
◇◇◇
「ん、っ」
日向くんと入れ替わるように現れた月島くんは、あろうことか私の唇を乱暴に奪った。
身体が強張って、慌てて抵抗するけれど、圧倒的な男の子の力に敵う筈もなく。
逃げようと月島くんの胸板をトントン、と叩いても結果は同じだった。
そして更に私が逃げないように月島くんは私の後頭部にまで手を回し、顔を逸らす事すらできなくなってしまった。
やだ、月島くん。
こんな泣き顔、見られたくなかった。
月島くんの前で泣くのは初めてじゃないけれど、今回のは一番見られたくなかった涙。
私の嫌な部分の、涙。
「名前…っ」
ぷは、と息継ぎのために月島くんの唇が離れて、そして月島くんがぽつりと零す。
さっきの日向くんを連想するような、苦しい声だった。
そしてまた乱暴に再度口づけをしていく月島くん。
何度も何度も唇を奪われて、最初は抵抗していたのに、抵抗しても無駄だと悟った私は、恥ずかしい気持ちを持ちながらも諦めて瞼を閉じた。
せめて、せめて至近距離で月島くんの顔は見たくない。
すると、今度は先程とは打って変わって優しく唇を合わせるようなキスを落として、それからゆっくりと離れていく。
恐る恐る瞼を開けたら、私を見た月島くんが慌てて顔を逸らした。
「……月島くん?」
「その顔でこっち見ないでくれる?」
「……」
これは強く抗議してもいいよね?
突然キスをされたと思ったら、今度はこっちを見るな、なんて。
理不尽すぎてさっきまでの、悲しいやら恥ずかしいやらの気持ちがほんの僅か軽くなった気さえする。
私の冷たい視線に気づいたのか、月島くんは唇をへの字ににして暫く沈黙し、それからやっと私の耳に届くような小さな小さな声を紡ぐ。
「日向に泣かされたの?」
「…あー…違うよ」
何で月島くんが私が日向くんと一緒に居た事を知っているのか知らないけれど、これは本当のことだ。
日向くんに泣かされたわけじゃなくて、私が勝手に泣いちゃっただけのこと。
日向くんが悪いわけでもないし。
ただ、少しばかり私にとって許せないことがあって、そう思う自分が信じられなかっただけ。
否定を口にしても月島くんはあんまり信じてないようだった。
だけど、私の座っていた場所の隣にぴたりと引っ付くように腰を掛けて「君がそう言うなら」とブツブツ言って息を吐いた。
「……月島くん、色々聞きたいんだけど」
「黙秘」
「だと思った。じゃあ、何も聞かないから、」
何でキスをしたの、とか。どうしてここにいるの、とか。
聞きたいことは沢山あったけれど、きっと素直に答えてはくれないだろう。
だから、
お昼休みが終わるまで、ここにいてくれる?
断られることを前提に呟いた言葉に、返事はなかった。
けれど、返事の代わりに月島くんは、黙って私の隣にずっと居てくれた。
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