「帰る?」
「…うん」
ぱらぱらと人が出て行っている映画館の中、私は全く記憶に残っていない映画の中身を何とかして思い出そうとしていた。
それも数秒考えて無理だと悟ったら、隣で一切表情の変わらない月島くんが、つまらなそうに呟く。
そう言われてしまえば、もう帰るしかない。
結局映画の事は諦めて、先を歩く月島くんに続いて映画館を後にした。
外に出た人たちが「面白かったー」と映画の感想を言いあう中、私と月島くんは無言である。
しかもよく考えたら、私の右手はまだ月島くんと繋がっていた。
思わず驚いて「え?」と言うと、月島くんが振り返り、立ち止まった。
「何?」
「…えっと」
「面白くなかった?」
「そ、そんなことないよ」
と言いつつも、バッチリ中身なんて覚えていない。
それもこれもこの右手に繋がれた手が原因ではあるのだが。
そんな事を言うと、折角連れてきてもらったのに、良くは思われないだろうから、絶対に言わない。
…もう二度と映画なんて一緒に見るかと思われても嫌だ。
私の歯切れの悪い返事に月島くんは、やっぱり表情を変えずにそのまま前を向いて歩いてしまう。
外はもうすっかり暗くなっていた。
いつもバレー部に顔を出していたらこんな時間だなあと、空を見ながら考えていたら立ち止まった月島くんに気づかず、そのまま月島くんの背中に鼻を強打してしまった。
「っつ…」
打った場所を摩りながら顔を上げると、月島くんがじっとこちらを見ている。
道の真ん中。人通りもあるところで急に止まるなんて、どうしたんだろうか。
「どうしたの?」
「その髪」
「髪?」
「誰に見せようとしてたの?」
パチパチ。
数回の瞬きを経ても私は意味を理解することが出来なかった。
そんな私の態度に月島くんの眉がピクリと反応し、そして「やっぱいい」と言ってくるりと背中を向けてしまう。
ズンズンと歩く背中を暫く見つめて、やっと私は映画が始まる前の月島くんとの会話を思い出した。
『その髪どうしたの?』
あの時、月島くんは顔で言っていただろうか。
もしかして映画の間もずっと気にしていてくれたのだろうか、なんて。
私にとって都合のいい考えが頭を過るけれど、すぐにそんな考えは振り払うことになる。
何故なら、私の目の前で月島くんが、知らない女子に呼び止められたからだ。
「月島くん」
とても可愛らしい声だった。
私の後ろから聞こえた声は、月島くんが振り返るまで何度も発せられて、ようやく面倒臭そうな顔で月島くんが振り返ると止まった。
でもその代わり、私の前に割り込むように女の子が入ってきた。
繋がれた手は一瞬で離れた。
「やっぱり月島くんじゃん。どこ行ってたの? 塾? 買い物?」
「…何」
声だけじゃない。
頭の高い所で結ばれたツインテールが良く似合う、おめめくりくりのお人形さんのような女の子だった。
すらりと伸びた身長が、足の長さが、私なんかと比べ物にならないことを教えてくれた。
月島くんの肩に触れる細い指が、腕が、白くてまるで陶器のようだった。
二人並ぶととてもお似合いで。
女の子の視界には月島くんしか映っていないようだった。
後ろにいる私に気づかないのか、はたまた気づいていてわざと空気のような扱いをしているのかは分からない。
でも、彼女の目を見るだけで分かった。きっと月島くんのことが好きなんだろうって。
『この前見たんだけど、部活の休憩時間の時に他クラスの女子に告白されていたし、もしかしたら彼女とかいるじゃないかな』
この前の日向くんの言葉が頭で再生される。
考えた事なかったなんて、そんなことはないけれど。
でも、月島くんだったらきっと他の女の子を相手にするはずがないって、変な自信があったのかもしれない。
私以外とまともに話している様子なんて見たことがないから、って。
でもよく考えたら、私は月島くんのクラスで月島くんが女の子に対してどういう態度で接しているのか、知らない。
全然、知らない。
ズキン。
胸と頭が同時に痛む。
さっきまでドキドキして幸せな気持ちだったのに。
途端に真逆の感情が心の中を占めていく。
…私、今酷い事考えてる。
女の子のテンション高い会話も、それに応える月島くんの言葉も全部遠くなっていく。
自然と足はゆっくり後ろへ後退していた。
何故か月島くんから離れなきゃ、と思ってしまった。
ここから、立ち去りたいって。
足は勝手にくるりと回転した。
そのまま人込みに消えようとした、その時。
私の右手が強い力で握られたのだ。
ガクン、と身体は前のめりになったけれど、態勢を崩すことはなかった。
月島くんが私の手を掴んでくれていたから。
「悪いけど、今取り込み中だから」
後ろで聞こえた声に女の子が「え〜」と落胆の声を漏らす。
でもでも、と引き下がらないつもりか続けて聞こえたけど、月島くんは「うざい」とぴしゃりと言い放つ。
そして、私の真横に来て「行くよ」と言って、手を引いてさっき歩いていた方角と反対の方へ向かって歩き出した。
私は何も言えなかった。
ただ、胸と頭の痛みがほんの少し和らいで、ぽかぽかとあったかい気持ちに変わったのは確かだった。
結局その後、少しだけ遠回りをして元のバス停へと戻ってきた。
道中も月島くんと私の間に会話はなかったけれど、その代わりずっと手は繋がったままだった。
繋がれた手が熱い。私の胸も熱い。
胸が、苦しい。
「バス来たよ」
残酷にもこの幸せな時間は終わりを迎える。
私達二人を照らすバスのライトを目に、やっとその手は離れた。
月島くんは離した手を早々にポケットに突っ込んでしまって、「早く乗ったら」とぶっきらぼうに言う。
私がバスに乗るのを待つ姿を見ていたら、居ても立っても居られなくなった。
ポケットに入ってしまった手を、無理やり掴んで両手で包み込んだ。
そして、月島くんにしか聞こえないくらい小さい声で、ぽつりと呟く。
「蛍くん、今日はありがとう。とても楽しかったよ」
自分ができうる限りの笑顔でそう言うと、月島くんが面食らった顔で驚いていた。
驚いている間に、さっさと手を離してバスに乗り込んだ。
月島くんに何かを言われる前に。
バスに乗り込んだ私の頬は見事に熱を持っていた。
でも私は知らない。
一人残されたバス停で、月島くんが「勘弁してよ」と言って頭を抱えていた事に。
→