胸騒ぎは二日目になっても続いた。
考えれば考えるほど不安は尾を引いていく。
何かの気のせいであればいいのに、なんて思っていたけれど、皆の練習風景を眺めていたら、その不安がどんどん大きくなっていた。
違いすぎる。
ここ最近の月島くんのバレーに対する意識が、皆と違いすぎる。
前々から思っていた事だけれど、この合宿に来てからはなお酷い。
それに気づいたのは私だけではないようで、コーチも苦々しい顔で月島くんを見ていた。
走り込みの最中、遅れをとる月島くんに山口くんが付き添っていたけれど、月島くんが二、三何か言って、山口くんは先を走って行ってしまう。
その光景を見て、皆のタオルを運んでいた私は思わず足を止めてしまった。
きっと山口くんも気づいている。
ううん、山口くんはとっくの昔に気づいていた。
でもどうすればいいのか、答えは出ないようだ。勿論、私も。
月島くんの事を考えていたら、あっと言う間に陽が落ちて。
その日の最後の練習試合が終わった時、我先に体育館を出ようとする月島くんは、前を塞ぐようにして立つ他校の先輩に呼び止められた。
何の会話をしているのか、コートの端に居る私には聞こえないけれど、雰囲気からして「練習に付き合え」と言われているようだった。
それを軽く頭を下げて通り過ぎる月島くん。
拍子抜けしたような顔で首を傾げる先輩は、すぐに音駒の黒尾さんに絡みに行った。
「名前ちゃん、もうここは大丈夫だよ。行ってきて」
潔子先輩が私の様子に気づき、片付けの手を止めて微笑む。
どういう意味なのか、一瞬で理解して私は自分の手に持っていたボールをすぐに潔子先輩へ託す。
「…途中抜けします、すみません」
「ここまで手伝ってもらって助かったよ、ありがとう」
「いえ…」
優しく背中を押されて、私は体育館を出た背中を慌てて追いかけた。
「月島くん、待って」
片手にタオルをぶら下げた月島くんの背中に声を掛けると、ぴたりとその足は止まった。
くるりと顔だけこちらに向けて不愛想に「何」と言う。
どこか怒っているみたいだった、何にイライラしているのかは、分からないけれど。
少し小走りで追い駆けたからか、息が荒い。
呼吸を整えながら、自然と私の手は月島くんの背中の服を摘まんでいた。
何故か。そうでもしないと、月島くんが逃げるような気がしたからだ。
「…それでいいの?」
「だから、何が」
「何って…」
今の月島くん。
そう言ってしまいたくなった。
だけど、言わなくても本人は実はどこかで分かっているんじゃないかと、僅かに思った。
私が言葉に詰まっていると、呆れた溜息を零す月島くん。
「用がないなら、僕は部屋に戻るから」
止めていた足をまた動かして。
月島くんの背中の手は、簡単に離れてしまう。
「あ、」
何と言えばいいんだろう。
上手く言葉に出来ない。
バレーの事を誰よりも知らない私から、さも知ったように口をきくと月島くんはどう思うだろうか。
でも、今の月島くんのままじゃダメなのだ。
素人の私が分かったことを、この万年反抗期の月島くんに、どう伝えれば。
もう一度、月島くんの背中に手を伸ばそうとした、その時。
「ヅッギィイイ!!」
私達の後ろから叫び声を上げながら、猛烈ダッシュしてくる人影。
その人が視界に入った時、私は自然と安堵していた。
きっと、同じ気持ちだと思っていた。彼なら。
山口くんの叫び声を聞いて一瞬ぎょっとした顔をした月島くんは、再度足を止めた。
私と月島くんの前に山口くんがやってくると、私よりも大きく深呼吸をして脈打つ心臓を服の上から押さえる。
ハア、ハアと呼吸の間に何とか言葉にしようと口を開いた。
「ツッキーは、昔から何でも、スマートに、かっこよく熟して、俺、いつも、羨ましかったよ」
頬を流れる汗を右手で拭い、目を逸らさず山口くんが言った。
それを一瞥するように月島くんが呟く。
「だから?」
酷く冷たい言葉。
隣にいる私まで胸が痛んだ。
私でそうなら、きっと山口くんは。
山口くんはギリ、と奥歯を噛んでさらに大きな声を上げた。
「…最近のツッキーはカッコ悪いよ!!」
月島くんの目が見開いた。
「日向はいつか”小さな巨人”になれるかもしれない。だったらツッキーが日向に勝てばいいじゃないか! 日向よりすごい選手だって、実力で証明すればいいじゃないか!! 身長も頭脳もセンスも持ってるクセに、どうして『こっから先は無理』って線引いちゃうんだよ!?」
山口くんの声に驚いた様子だった月島くんは、すぐにいつもの冷めた顔に戻り、一寸置いて山口くんにまた口を開く。
「例えば、凄く頑張って烏野で一番の選手になったとして、その後は? 万が一にも全国に行くことができたとして、その先は?」
話ながら、月島くんの声が少しずつ大きくなっている事に私は気づいた。
声を挟む余地はなかった。
「果てしなく上には上がいる。例え、そこそこの結果を残しても、絶対に”一番”になんかなれない。どこかで負ける。それを分かっているのに、皆どんな原動力で動いてんだよ!?」
初めてかもしれない。
月島くんのこんな大きな声を聞いたのは、でも反射的に私は声を上げていた。
いつも。月島くんのいう事は正しい。
賢くてちょっと腹の立つ月島くんだけど、でも、今日は、今日だけはその言葉を否定したい。
「月島くん、違っ…」
「そんなモンッ、」
私の言葉を遮るように、山口くんが叫ぶ。
月島くんの胸倉を勢いよく掴んだと思ったら、鋭い目を月島くんに向けて。
「プライド以外に、何が要るんだ!!」
月島くんの焦った顔なんて、そう何回も見れるものじゃない。
怒鳴られた月島くんと、勢い余って怒鳴ってしまった山口くん。
山口くんの言葉には、私なんかが口にするよりも遥かに気持ちが籠っていた。
……同じ場所に立つために、今まで頑張ってきた山口くんを知っている私は、目の奥がツンとなるのを感じる。
どれくらいそうしていたのかわからない。
山口くんの荒い呼吸がその場に響いていたけれど、次第に落ち着きを取り戻した月島くんが沈黙を破った。
「まさか」
その言葉に山口くんははっとなって胸倉の手を離す。
「まさか、こんな日が来るとは」
驚いているようで、でもどこか感心するような。
そして、目の前の親友に敬意を払うように。
「お前、いつの間にそんなカッコいい奴になったの」
と、小さく呟いた。
「でも納得は出来ない」
そう言って険しい表情を見せる月島くんを見て、山口くんは少し考えるような表情をしたけれど。
すぐに「うん」と頷き、私の方を見る山口くん。
山口くんは私の肩にポン、と手を置いて小声で「お願い」と言うと、スタスタと元来た道を歩いて行ってしまった。
月島くんはその背中を追い駆けなかった。
山口くんの手は、僅かに震えていた。
きっと月島くんにあんな風に言ったのが初めてだったんだろうな、と思う。
昔から二人を見てきたわけじゃないから、分からないけれど。
でも、きっと月島くんだって、わかろうとしていると思う。
山口くんが月島くんの事を大切に思うように、月島くんだって、山口くんの事が大切なはずだ。
だから、山口くんの言葉を必死で飲み込もうとしているんだって。
「…見損なった?」
バツの悪そうな顔で、月島くんがやっと私を見た。
私はその言葉に数回瞬きをして、そして緩く首を振る。
月島くんは「嘘つき」と言って、はあ、と溜息を吐く。
「ねえ、月島くん」
月島くんの体操服の裾を人差し指でつまんで。
「私、月島くんのバレーしている姿が好きだよ」
慌てて顔を上げた月島くんの瞳を逸らさずじっと見つめた。
最初からずっと、目で追っていた。
カメラに収めた写真のその一瞬一瞬が、とてもかっこよくて。
それがとても大切で、愛しいと思ったのは、きっと前からだった。
その姿をずっと見ていたいと、切に願う。
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