09

未だかつて、こんなにもスマホをぶん投げたいと思ったことはあっただろうか。
仕事帰りの電車の中、画面を見ながら不審そうに顔を歪めている私はきっと、他の乗客からすれば何だ何だと思われても仕方ない状態である。
それでもそんな顔をせざるを得ないのは、連絡先を教えてからというもの、やたらとメッセージを送ってくる相手の最新メッセージが意味不明過ぎたからだ。

『泣くな』

いや、泣いてませんけど。
メッセージを送る相手、凄まじい勢いで間違っていますけど。
おっちょこちょいであることに呆れつつも、ほんの少しだけ胸がズキンと痛んだ。
煉獄杏寿郎には泣かないで欲しい、と願う相手がいるということなのだ。
そんな相手がいるのであれば、私に連絡先など聞かなければいいのに、とも思う。
今世の杏寿郎は本当に訳が分からない。

でも、返事を一つも返していないのにも関わらず、これだけ大量にメッセージを送ってくるなんて。
前世の杏寿郎も強引なところがあったけれど、あの時代にスマホがあれば同じことをしただろうか。

なんて、とってもどうでもいい話だ。

スマホの画面を閉じて、到着した駅へ降車する。
その足で駅前の大型スーパーへ向かい、今日の晩御飯は何にしようかと思考を巡らせる。
カゴを手に生鮮食品を眺めていて、次の瞬間にはもう杏寿郎のことなんて忘れていた。
はずだった。

「奇遇だな!」

嫌でも耳に残っている声で、人通りの多いスーパーの中、そこそこ大声でそんなことを言われれば、手に持っていたカゴを床に落としたくもなる。
同じくカゴを手に今日の晩御飯でも買いに来たのだろう、煉獄杏寿郎がそこにいた。
ワイシャツ姿でカゴを持っている姿は何とも家庭的で、前世の杏寿郎からは想像つかない。
やはり別人なのだ、と嫌でも思った。

「……どうも」

無視するわけにはいかないので、愛想笑いでそう返事する。
杏寿郎はズンズンと私の方へ寄ってきて、カゴの中を覗き込んできた。

「夕飯の買い物か?」
「え、ええ。お家、この辺なんですね、生活圏内だとは思いませんでした」

会うなんて想定外すぎる。
言葉の中に厭味を含めて私はへらっと笑う。
それに気づくことなく杏寿郎は大きい目を限界まで開けて「ここから近いんだ!」と言った。
別にいらない情報だ。すぐにでも引っ越しを検討した方がいいかもしれない。

「もしよかったら、これから晩御飯でも一緒にどうだろうか。洋服をダメにした償いをしたい」
「いえ、あれは私が酔って潰れた代償ですので。それにパジャマの一つや二つ気にしないでください」
「これから冨岡も合流する予定なんだ、ぜひ」
「…大丈夫ですから」
「そうか! では俺の家に行こう!」

あれ、私と話通じてる?
杏寿郎と会話をしているのに、すれ違っている気がする。
私のカゴを持つ手を掴み、杏寿郎はやや強引に引くと、私のカゴと杏寿郎のカゴを置き場に置いて、そのままスーパーを後にする。
勿論私は後ろで「え? ちょ、やめ」とかなんとか言いながら抵抗しているのだが、前世ならまだしも今世の私はまともに運動のしないダラ女を極めているので、杏寿郎相手に抵抗できるほど筋力が無かった。
それにこの男は昔から人の話を聞かない男で有名だったので、私がいくら拒否しようともこうなれば現地に着くまでされるがままなのだろうと頭の片隅で諦めることにした。

「鍋でもしようかと思っていたところだ! 人数が多いほど楽しいだろう!」
「…そう、ね」

もう敬語を使うのもバカらしい。
どうせ聞いてないのだから、何と喋ろうがいいだろう。
私はきっとこの懐かしさを含んだ手を振り払うことはできないのだろうし。


「……こんなに大きな背中だったの、ね」


至近距離にある背中を見つめ、私はただただ昔に思いを馳せた。


◇◇◇


「これはアンタの企みかしら、冨岡」
「想定外の偶然だ」
「想定外、ということは何か企んでいたのは認めるわけ?」
「……」

ワンルームの真ん中でこたつの上にカセットコンロと鍋を三人で囲みながら、私は隣に座る冨岡を睨みつけた。
嘘のつけない男がこんなにもムカツクとは夢にも思わなかった。
苛立ちを隠そうとせずに、私は目の前の鍋に野菜をどんどんぶち込んでいく。
真向かいの杏寿郎は楽しそうに目をキラキラさせて、私に「この野菜は食べれるだろうか?」と尋ねてくる。
はあ、と溜息を吐いて私は「今入れた所です」と言って手をパチンと叩いた。

「…何でこんなことに」
「少々強引だが、お前が返事を返さないのが原因の一つだ」
「アンタねぇ、同じ立場だったら連絡した? 私だってバカじゃないのよ」
「…いや、バカだ。どちらも」

冨岡の物言いに額に青筋が走った。
こいつ、ほんと、コイツ。
考えるだけどんどん腹立たしさに拍車がかかる。
二度目の溜息を吐いたら、杏寿郎が私をじっと見つめていることに気づいた。

「何?」
「いや、その喋り方の方がいいと思っただけだ。来てくれて、ありがとう」

ギュンと胸を鷲掴みされたような、そんな衝撃が私を襲う。
それは駄目だ。その笑顔は。
思わず泣きそうになってしまった私は顔を思いっきり逸らし「そう」と呟く。

そうすることしか、できなかった。

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