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意外にも鍋パーティーは楽しく時間が過ぎていった。
当たり前だと言えば当たり前だけれども。気の使わない友人と、前世では恋人だった人。
その二人に囲まれて居心地の悪い事はないのだ。
…私の気持ちだけが、複雑なだけで。

「冨岡が潰れた、だと…?」

鍋も終盤。
途中から出てきた銀色の缶に三人とも歓喜し、ガブガブと飲み始めたところまではよかった。
私は先日の事があったので、冨岡と杏寿郎二人に「それ以上飲むな」と制限されてしまい、一本しか味わうことは出来なかったが、その代わり冨岡の飲むペースがいつもよりも早かった。
そうこうしているうちに、目をトロンとさせた冨岡はそのままテーブルに突っ伏し寝息を立てる始末である。
大学時代にそんな様子を何回か見ていた私にすれば「ああ、またか」と思う光景だったが、杏寿郎からすれば珍しい光景だったようだ。
眠りについた冨岡をじーっと驚き見つめている。
私はそばに会った冨岡の上着を肩に掛けて、はあ、と溜息を吐いた。

「人に飲むなと言っておきながら、先に潰れるなんて」
「……あの冨岡でも潰れることがあるのだな」
「学校ではどんな感じなの、こいつ」
「…一匹オオカミといったところだ」
「むしろそれ以外思いつかないわ」

案外普通に喋れている。
冨岡は眠ってしまったので、気まずい雰囲気が私達の間を漂うかと思っていたけれど、
むしろどこか懐かしいような気さえする。ああ、ダメだ、これ以上一緒に居たら。
今まで我慢していたことが全て無になってしまう。そんなことが頭を過るのに、私はこの居心地のいい空間から抜け出せずにいた。
すっかり中身のなくなってしまった鍋をそのまま台所へ運び、洗い物をこなしていこうと腕まくりをした。
が、それに気づいた杏寿郎が慌てて飛んできた。

「客人にそんなことさせられない! 座っていてくれ!」
「何を。この前ゲロを被せられたのによくそんなことが言えるのね」
「…だが…」
「いいから、それくらいさせて。その方が気が楽なの」

動いている方が何も考えずに済む。
二人だけの空間、先程から昔の思い出が頭を過ってばかりだ。
それを振り払うためにも無心で手を動かしておきたい。
そこまで言ってやっと杏寿郎は「すまない」と一言。

だけど、杏寿郎は冨岡の隣に座るわけでもなく、洗い物をしている私の隣から離れようとしない。
むしろ私が洗ったものをタオルで水分を拭っていく。
……まるで、

「何だか、君とこうして生活しているみたいだ」
「へ?」

杏寿郎の顔を見て思わず固まる私。
杏寿郎もまたハッとなって、己の口元を慌てて覆う。言うつもりはなかったようだけれど、次第にその顔色が赤く変化していくのを見逃さなかった。

「き、気を悪くしたのなら申し訳ない! ふと、そう感じただけで、他意はないんだ!」
「あ、うん」

なんと言っていいのか分からない。
だから、私はまた黙々と洗い物を再開した。
さっきよりも気まずい雰囲気だ。杏寿郎も私の方を見ずにお皿を拭っていく。
あーまずった、こうなる前に帰ればよかった、と後悔が私を襲う。


「……君には、心に決めた相手がいるんだろうか」


このままどうやって帰ろうか、と頭を巡らせていた時。
ふと隣から聞こえたか細い声。
それが杏寿郎の口から発せられたと言われても、にわかに信じがたいくらい、弱弱しい声だった。

「どうして、そう思うの?」

陶器の重なる音が響く。
杏寿郎の方を見ずにそう言うと、杏寿郎は少しばかり息を飲んだようだった。

「…名前を呼ばれるのを、嫌っただろう。あと、メッセージの返事がない。それから、」

本当は、今日だって来たくはなかったんだろう?

洗っていた手が止まった。
杏寿郎にバレるくらい、私は態度で出ていたのだろうか。
いや、杏寿郎は敏いだけなのだろう。
この人は昔から、いつも。下手に言い訳をするのも、悪い気がして私は「そうね」と答えた。

「貴方がどう思っているか知らないけれど、私には心に決めた相手っていうのがいるの。それはきっと一生変わらないし、変えたくない。ずっとその人だけが私の心にいて欲しい。……私って、我儘なの」

にこり、とわざとらしく微笑んでみると、目が合った杏寿郎は、分かりやすく傷ついた表情を見せた。
貴方にこんな事を言う私を、どうか許してほしい。
もう貴方が私の傍で、居なくなってしまうのは見たくないのよ。
だから、

「俺は!」

ギリ、と歯を噛み締めた杏寿郎が声を張り上げる。
思わず冨岡が起きてしまうんじゃないかと思ったくらいだ。
だけど、構わず杏寿郎は続けた。

「君が、好きだ、と思う。一目見た時から今までずっと頭の中に君がいる。君が誰かを想っていようとも、俺はそんな君が好きだ。この気持ちを、知っていて欲しい」

ガチャン、と皿がシンクの上に落ちた。

『一生、傍に居よう。例えこの先名前に好きな奴が出来たとしても、離してやれない。それでもいいんだ、俺の隣にいてくれさえすれば』

言われた事は違うのに、昔杏寿郎に言われた事を思い出した。
もう、ずっと思い出すことはなかった、そんな記憶だった。
貴方以外を好きになるなんて、ありえない。
傍を離れるなんて、私が無理だった。
貴方が、先に逝った時、どれだけ後を追おうとしたか。

「……酷い人」

生まれ変わっても、私を離そうとしないなんて。
どれだけ惨い事をしてくれるんだ、杏寿郎は。
私はもう離れることができないのだろうか、この人から。



「どうせ、私を覚えてない癖に」



頬を伝う涙を拭う事すらせず、私は杏寿郎を睨みつけた。

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