17

インターフォンの鳴る音で目が覚めた。
時間を確認すれば晩の7時だった。
あれから不貞腐れて、杏寿郎の恨み事を呟きながら本当に眠ってしまったらしかった。
気分は最悪だけれど、インターフォンが鳴った以上、起きなければなるまい。
のっそり上半身を起こして、髪を手櫛で整える。
ペタペタと裸足でフローリングを歩き、インターフォンのカメラをチェックすることなく、玄関へ向かう。
見なくても分かる。

チェ―ンを外して、がちゃりと扉を開けると、予想通りの人物が立っていた。

「杏寿郎」

杏寿郎は私の顔を一切見ないで、足元を見ながら、そこに立っていた。
きっと気まずいのだろうという事は手に取るようにわかったけれど、私だって優しい人間ではない。
バン、と勢いよく扉を開けて、驚く杏寿郎の胸倉を掴む。
そして、渾身の力で部屋へと引き入れた。

ドン、と玄関横の壁に自分よりも遥かに大きい男を押さえつけて、そして無理やり杏寿郎の目を見た。
杏寿郎は口を半開きにしてそれはもう本当に驚いたような顔をしていたけれど、私の視線から外すことはなかった。

「……人の事、襲っておいて随分放っておくのね?」

厭味の一つくらい零したっていいだろう。
あれだけ私から連絡しても、返事の一つ寄越さなかったんだから。
最終的に冨岡に言って顔を出したのだろうけれど、そんな事をしないと尋ねもしなかったことに怒りを覚える。
杏寿郎はぐ、と言葉に詰まるような表情をしたけれど、すぐにまた「すまない」とここ最近よく聞く謝罪を零した。
そんな事を聞きたいわけじゃないのよ、私は。

「何で、今日は来たの?」

私があれだけ連絡したのに。
そう言えば、杏寿郎は杏寿郎とは思えないくらい憔悴したような声で呟く。

「君が、別れると言っていると聞いて…」
「あら、別れたくなかったの? 人の連絡を無視してたのに」
「それは…」
「私は、そんな気サラサラないわよ」

杏寿郎の目が見開かれた。
何を言っているんだ、と私に問うようなそんな目だった。
凄くイライラした。
何でこの男は、私を放っておいたのだろうか。
この男の事で頭がいっぱいになっていて、会いたいと願う私を放置して。
別れたいのかと思えばそうでもなくて。
私を振り回して楽しいのかしら、この男は。

こっちは、最初からずっと杏寿郎の所為で、頭がおかしくなりそうだったというのに。

背伸びをした。
掴んでいた胸倉を少しだけ自分の方へ寄せて、そして嚙みつくようにその唇を奪ってやった。
身長差があるから、上手に奪えなかったのが本当にムカツクけれど。

数秒そうしていた。
杏寿郎は酷く驚いていたけれど、抵抗はしなかった。
いい加減足が限界だったので、ゆっくり唇を離して杏寿郎を解放しようとしたら、今度は杏寿郎の手が私の後頭部を押さえる。
しまった、と思った時には遅く、一瞬離れた唇は今度は杏寿郎によって荒々しく奪われてしまった。

逃げようと思っても角度を変えて何度を口づけてくる。
唇の隙間から洩れる吐息が、まるであの夜のようだった。


杏寿郎がはっとして、やっと私の身体を離してくれたのは、一体何分経過したあとだったのだろうか。
とりあえず、私は自分から仕掛けた癖に、腰砕きになってしまいへなへなとその場に座り込んでしまう。
それを杏寿郎が「名前」と優しく支えてくれた。

「私に、言う事あるんじゃないの、杏寿郎」

はぁ、はぁ、と呼吸を整えて、自然と涙が出てしまった瞳で杏寿郎を見つめる。
杏寿郎は一瞬躊躇うように顔を逸らしたけれど、すぐに私の身体を抱きしめた。


「名前が、好きだ」


苦しく紡ぎだされた言葉を聞いて、先日までは胸が苦しかったのに。
今ではその言葉を心から待っていたように思う。
震える手で杏寿郎の背中に手を回した。

「一生、傍に居てくれ。君に想い人がいようとも、俺は君を離すつもりはないんだ」

私を束縛する言葉。
昔々、同じことを言われて私は何と答えただろうか。

頬を一滴の涙が伝う。

杏寿郎の耳元で、そっと呟く。

『死んでも離れないから』

ああ、そうだった。


「死んでも離れたくなかったのよ、私は」


ポツリと零した言葉に杏寿郎が、驚き身体を離す。

「君は、名前なのか…?」

震える瞳が私を映す。
杏寿郎の分厚い手が私の頬に触れ、そっと涙を拭う。
言ってる意味が分からなくて、私は首を傾げる。

「私は、私よ?」
「それはそうなのだが、名前は、俺が誰か分かるか?」
「杏寿郎でしょ、何バカなこと言ってるの」
「それもそうなのだが…! 違うんだ、そうじゃなくて」

もしかして、という想像が頭を過る。
必死に何かを言おうとして、でもどう説明していいのか分からないという顔をしては、自分の頭を掻く杏寿郎を見て。
嘘だろう、と思った。
でも、考えてしまったらそうとしか思えなくて。

言うつもりなんて一切なかったというのに、私は確信的な言葉を漏らす。


「炎柱、煉獄 杏寿郎」


最後まで言う前に、杏寿郎は私を潰すつもりなのかというくらい強い力で掻き抱いた。

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