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「冨岡! よくも今まで黙っていてくれたな」

ジャージ姿の冨岡を見つけるや否や、杏寿郎は肩に自分の腕を回して、楽しそうに口角を上げる。
それに対して折角の休日に呼び出しを受けたうえ、普段絶対にそんな事をしない相手からウザ絡みを受けた冨岡は、本当に鳩が豆鉄砲を受けたような顔をして杏寿郎を見ていた。
頭の上に疑問符が並んだ冨岡の顔が間抜けすぎて、私はクスクスとその光景を少し離れた所から見ている。
それに気づいた冨岡は私に気づくや否や、今にも泣きだしそうな顔で「きちんと説明しろ!」と私に向かって吠えた。
その間も杏寿郎は冨岡の肩を乱暴に掴んでいた。

「私からすれば微笑ましい光景なのだけれど」
「これのどこが微笑ましいんだ。いい加減止めろ。煉獄、お前も離せ」
「俺は怒っているぞ、冨岡」
「俺もお前に怒っている、いい加減離せ」

顔面から変な汗が噴き出している冨岡を見ているのはとても楽しかったけれど、いい加減可哀想になってきたので、私は杏寿郎に「もういいでしょ」と言って、冨岡に絡む腕を解いた。
杏寿郎は素直にその腕を離すと、今度は私の肩を抱き「ああ」と穏やかな笑みを見せる。
その表情に思わずドキリとしてしまったが、どうやら冨岡はその表情を見て色々察したらしかった。
夜の公園のブランコにいい大人が三人、たむろしている姿はとても褒められる光景じゃないけれど、今日ばかりは許してほしい。

「まあ、まずは飲まないと。さっきコンビニで見繕ってきたの」

そう言って腕に通していたコンビニの袋を見せて中から銀色の缶を取り出した。
杏寿郎も喜んでそれを受け取り、冨岡にも同じ物を手渡した。
プシュ、と威勢のいい音が鳴って、私達はそれを口に含む。

「……俺を呼んだのは良い報告をするためか?」

先程の困惑した表情はどこへ行ったのか。
冨岡は嬉しそうに眼を細め、私と杏寿郎を交互に見つめる。
私はどこか気恥ずかしい気がして、顔を逸らしてしまったけれど、杏寿郎が力強く「ああ!」と答える。

「それなら、良かった。……こんな日が来ることを、望んでいたからな」

ぶっきらぼうに呟く冨岡の口元が、それでも緩んだままなのを見逃せなかった。
そうね、冨岡ならそう言ってくれると思っていた。
だから、真っ先に報告をした。

杏寿郎と私の事を、きっと今世で一番悩み考えてくれていたのが冨岡だったからだ。

「……冨岡、私ずっとあなたに言いたいことがあったのよ」

手に持っていた銀色のそれを杏寿郎に渡して、冨岡に近づく。
昔の杏寿郎ならそれを許さなかっただろうが、今回は冨岡と同じように穏やかな顔をしていた。

「昔も今も、私達の幸せを願ってくれて、ありがとう」

そう言って微笑めば、泣くつもりなんて一切なかったのに、自然と涙が零れていた。
止まることを知らない雫はそのまま頬を伝って地面へ落ちていく。
涙だけじゃなくて鼻もぐずぐず言い始めた。
それに気づいた杏寿郎が仕方ない、と言った顔をして、ポケットからハンカチを取り出すと私の顔面にそれを押し付けた。

「杏寿郎が死んだ時、貴方が傍に居てくれたから、私は自分のやるべきことを成すことができた。それだけじゃない、今世だって、自分のことよりも誰よりも、思ってくれていたでしょう?」
「……そんな昔の話、もう忘れた」
「素直じゃない男はモテないわよ」
「いい。今は自分の事よりも、今夜上手い酒が飲めそうなことだけで、満足だ」

私の頭に冨岡の手が伸びる。
そして、わしゃわしゃと私の頭を撫でて。
それから、一歩前へ私に近づく。
一瞬身構えたけれど、杞憂だった。
私の耳に口元を寄せて、そっと呟く。


「煉獄杏寿郎を諦めないでくれたことに、感謝する」


俺の大切な友の一人なんだ。

冨岡の嬉しそうな声が脳内にこだまする。
しばらくそうしていると、いい加減我慢の出来なくなった杏寿郎が私を後ろから引っ張り、

「もういいだろう? いくら友と言えども、許さんぞ、冨岡」

と言って、私を抱きしめた。
冨岡はその様子を鼻で笑い「馬鹿か。昔から名前はお前のものだろう。今更独占しても分かりきった事だ」と呟いた。

「なにを」と言いながらもやはり嬉しそうな杏寿郎を腕の中から見上げて、私まで頬が緩んでしまう。
杏寿郎の服をぎゅっと握って私は、自分の涙を杏寿郎の服で拭った。

ああ、こんな幸せがあっていいのかしら。

随分昔に臨んだそれが、まさかこんなに時を超えた今になって叶うなんて。
一体私は神様に好かれていなかったのかと疑問に思う。
それでも、こうして大好きな人と、大好きな友に囲まれた今を私は大事にしたいと心に深く刻んだ。


私の涙が引っ込んだ頃。
帰る前にこれだけは言っておかなければと思って、くるりと冨岡に向き直る。
冨岡は手元の酒をすっかり空にして、二本目に手を出していた。


「次は、冨岡が幸せになる番ね」


私の大切な友を、きっと誰かが見つけてくれる。
杏寿郎が記憶がないのに私を見つけたように。
いつか、きっと。
遠くない未来に。
何百年も先になるようなら、私は冨岡ほど優しくはないからさっさと手を引かせてもらうけれど。

泣き顔で不細工な笑みを見せているはずの私を見ても、冨岡は茶化したりはしなかった。



「……そんな事、考えた事も無かったが。お前たちを見ていると、羨ましく思うよ」


私と杏寿郎の肩に腕を回す冨岡を振りほどく事はできなくて。
ただただ三人で長い間、昔話に花を咲かせたのだった。



◇◇◇



「名前の心に決めた相手は、誰だったんだ」

もうすっかり朝になってしまった。
朝日の昇る空を見ながら、二人仲良く同じ方向へ歩いていく。
その間に繋がれた手は、固く絡まれていた。
ふと、隣の杏寿郎がぽつりと呟いた言葉に、私は思わず瞼を数回瞬きをして、杏寿郎を見上げる。
何を言っているの、この男。

私のポカン顔を見ても、杏寿郎はその不安げな表情を緩めることはなかった。
真面目に言っているのかしら、この男は。
暫く二人の間に微妙な空気が流れる。私が即答で「鏡を見ろ」と言えば済む話なのだが、杏寿郎の顔を見ていたら虐めたくなってしまった。

「さあね」

そう答えると、絡めていた手が強く握られる。

「答えてくれ、頼む」

いつの間にか道の真ん中で立ち止まっていて。
朝日をバックに燃えるような瞳が私を射抜いていた。

「……好きな人がいたのよ」

私の言葉にビクリと杏寿郎の肩が揺れる。

「その人は無理やり私に好意を押し付けて、恋仲になった癖に、自分はさっさとあの世へ旅立ってしまったの」

杏寿郎の目が見開かれた。

「だから、今世はその人を想って、ずっと独りでいるつもりだったのに。とんだ予定外が起こったのよね」

杏寿郎の頬に手を伸ばし、その頬に触れた。
杏寿郎は拒否することなく、私の手の上から自分のものを重ねる。

「……今度は置いて逝かないで」

約束よ、と言うと杏寿郎はくすりと笑って。


「君と共に向かうと誓おう」


そう言って、私にキスをした。

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