02

「好きだ!!」
「…うるさい」

同期ではない、けれど入隊時期は近かった。
ある任務で一緒になってから、何度か顔を合わせるようになって。
あの目を見開いて私の名を呼ぶ顔が、最初は怖かった。だけどそれにも慣れて、仲良く会話ができるようになったあたり。
顔を合したその瞬間、杏寿郎が私の目を逸らさないで、バカでかい声でそう言ってのけたのだ。
自分の片耳を押さえつつ、そんな返ししか出来なかった私にめげないで、杏寿郎はもう一度「すまない! 好きだ!!」と最初と変わらない声の大きさで叫んだ。

「何が好きなの?」
「名前が好きだ!」
「そうなんだ」
「名前も俺の事を好いてくれてるといいが!」

キラキラと純粋な視線を向けられて、私は正直に答えるしかない。
「嫌いではないよ」と戸惑いがちに呟くと、明らかにぱあっと表情が明るくなる。

「じゃあ、両思いだな!」
「ちょっと待って、違う」

私の言葉の意味をいい意味で捉えた杏寿郎にさらに戸惑い、必死で意味を説明しようとしているのに、一向に話を聞かずに「俺も好きだ!」と追い打ちをかけるようにまた告白をされて。
結局私は諦めて最後はこくりと頷いた。
そんなことが、あった。

大分経ってから杏寿郎にあの時の事を聞くと「名前に何を言われようとも、俺のものにするつもりだった」と言われて、実はバカの振りをした策士だと知らされた。
それを知った時には既に私の心は杏寿郎でいっぱいだっから、ある意味杏寿郎の作戦勝ちとも言えるだろう。
そんな、杏寿郎が私は好きだった。


◇◇◇


「……」

ガバ、と身体を起こして自分の汗ばんだ掌を見た。
前世の夢だった。
酷く心地いい、とても大好きだった、そんな日常の。
今となってはそれはただの悪夢にすぎない。

枕元に放置していたスマホに手を伸ばし、私はまた諦めたように布団に入った。
時刻は4時。まだ眠れる。今眠ればまた同じ夢を見るのだろうか。もう一度、杏寿郎に会えるのだろうか。
冨岡にあんなことを言っておいて、自分はまだ杏寿郎を諦める事が出来ない。
もう二十年以上今世で生きているのに、街中を歩けば同じ髪色の男を探してしまう。
勿論あんな奇抜な頭の男なんてそうそういるわけがないから、それが叶ったことなんて一度もない。

先日、大学を卒業した。
私もあと数日経てば社会人である。
自分の人生を、生きなければならない。
存在しない人間の影をいつまでも引きずっていては、恋愛だって結婚だって何も出来ないことはわかっている。
それでもいいと思っているのに、冨岡はしきりに「幸せになれ」と言ってくる。
あのツラで。何が幸せになれ、だ。

前世で志半ばで死んだことを不憫に思ってくれるのは嬉しいけれど、十分私は幸せそうに生きている。
自分の心がそこに伴っていないだけで。
面倒な友人を持つと、本当に面倒だ。
訳の分からないことを思いながら瞼を閉じた。

杏寿郎に、会いたい。
瞼の裏に最愛の人間を思い浮かべて、また私は眠りについた。


「俺は教師になる」
「…は?」

思わず手に持ったポテトを落としそうになった。
口はぽかんとだらしなく開いて、目は冨岡を見るために大きく見開いている。
冨岡はいつものような澄ました顔で「なんだ」と言った。
何だじゃないよ、何だじゃ。

「アンタ、先生になるの?」
「悪いのか」
「……まあ、悪くはないけどさ」

脳裏に冨岡が教鞭に立った姿を想像してみる。
案外それが似合っていたので、私はくすりと笑みを零した。
冨岡の性格だと生徒に嫌われそうだけれども。

賑わうファーストフード店のカウンター席。
今までこうして冨岡と過ごしていたけれど、社会人になればそれも無くなるのだろう。
大事な友人と距離ができるのは純粋に寂しいなと思いながら、私はパクパクとポテトを口に含む。
冨岡は手にブラックのコーヒーだけ持ち、少しだけ不機嫌そうに私を見る。

「名前は、」
「私は普通のOLするよ、キャリアウーマン。色気があっていいでしょ?」
「今の言葉で自分の価値を下げたな」
「最低」

ズバズバと優しくない言葉を残す冨岡。
そんな冨岡に私は自分の食べていたポテトをごっそり渡して「食べろ」とジェスチャーを送る。
意味の分からない、と言った顔で首を傾げる冨岡に私はにこりと微笑んだ。

「就職祝い。美味しいポテトをどうぞ」
「……ポテト」

何だかまだ不服そうだったけれど、大人しく冨岡は先ほどまで私がつついていたポテトを一つ手に取ると、まるで小動物のように口に含んだ。
冨岡とは、社会人になってもこんな距離でずっと居たい。
そう、思わずには居られなかった。


それから何週間か経ち。
私も冨岡も入社式を終え、晴れて社会人となった。
学生の頃とはくらべものにならないくらい忙しくなり、冨岡と頻繁に連絡を取っていたそれも回数が激減した。
そんな中、久しぶりに来た冨岡の連絡は、本当に意味が分からなくて、スマホ画面を見つめて変な顔をしていたに違いない。

『あいつらが、いる』

あいつらとは誰だ。
同期に同じ大学の人間でもいたのだろうか。

深く考えずに、その時の私は何も考えずにスマホをベッドに放り出し、そのままテレビのチャンネルを変えたのだった。

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