06

「調子は良いようだな」
「私の顔を見て調子がいいと思っているなら、今すぐ眼科にかかったほうがいいわ、冨岡」
「少なくとも昨晩よりは顔色がいい」
「……」

何で私はエプロン姿の冨岡に白湯を出してもらっているんだろうか。
夢であれと何度も望んだというのに、私の足元には杏寿郎が寝ている上、私のパジャマを身に纏っていた。
それだけではなくて、目の前の冨岡は何故か私のエプロンを纏ってせっせと台所をうろうろしている。
きっと私の台所を漁ったのだろう器用にコーヒーを入れて私の前に戻ってくると、ずずずっと音を立ててそれを飲み始めた。
一応確認するけど、ここって私の家よね?

「何で?」
「何がだ」

私の何で、という言葉に色々な意味が含まれている。
何故、あんたたち二人が私の家にいるのか。
何故、杏寿郎は私のパジャマを着て寝ているのか。
何故、冨岡は私のエプロンを着ているのか。

色々聞きたい事があるけれど、どれから尋ねればいいのかわからないから、すべてを投げうって冨岡に聞いてみた。
冨岡は目を伏せて美味しそうにコーヒーを口にしている。
こいつ、人の家にいるというのにくつろぎすぎじゃないか。

「昨晩の事は覚えているか?」
「……ええ、悪夢だわ」
「そのまま意識を失ったお前を煉獄が背負ってここまで連れてきた。お前の吐しゃ物で酷い有様だった煉獄をそのまま帰してもよかったが、あまりにも不憫だと思い、身体を洗い流してその辺にあったお前の服を着せた」
「色々可笑しいじゃない!」
「仕方ない。お前がしでかしたことなのだから、文句をいう筋合いはないはずだ」
「……そう、ね」

二日酔いとは思えない頭痛がし始めている。
こめかみを指で押さえながら私は声にならない声を上げた。
昨晩しでかした大罪をどうにかこの記憶から抹消できないかと思ったけれど、今更無理だった。
ちらりと私の後ろで寝ている杏寿郎を見て、はあ、と重い溜息が漏れた。

「……なんで、杏寿郎なのよ」
「職場の同期だからな」
「そんなことは分かってる。……顔を見るつもりなんてなかったのに」

そう言って顔を伏せると、冨岡は何も言わずに私のコップに白湯を足した。
会いたいと思っていた、けれど会うわけにはいかない。
だって、会ってしまえば、私のこの気持ちが膨れ上がるのが分かっていたからだ。
杏寿郎には前世の記憶がない。ならば、この思いはただの迷惑な代物。
私の事を知らない杏寿郎なんて、見たくなかった。

「あんた、まさか狙ってやったの?」
「お前が吐くところまで俺の想定内だと思うのか?」
「……いや、ないね。お願い忘れて」

いい大人が吐くまで飲むなど、それこそ恥ずかしい事案だ。
20を過ぎたばかりの学生ならいざ知らず。
しかも自分は二度目の人生だ。そうなることもよく知っているのに。
再び頭を抱えてしまった私の耳に届いたのは、杏寿郎が寝返りついでに「ん」と上げた声だった。

私と冨岡が一斉に杏寿郎の方へ視線を合わせる。
杏寿郎の瞼が僅かに痙攣し、そしてパチっと勢いよく開いた。

「……ここは?」
「煉獄、起きたか」

私が起きた時と同じように冨岡が声を掛ける。
私は非常に気まずい思いをしながら、深呼吸をして杏寿郎に向き直った。
杏寿郎は上半身を起こし、ゆっくり辺りを見渡して、最後に私を見て「おお!」と声を上げた。

「体調はどうだ! 昨日は相当飲んでいたようだったから!」

ズイっと急に私の方へ寄ってきたかと思うと、あのビックリするぐらい見開いている目でまっすぐ見つめられ、私は今すぐに逃げ出したい気持ちになる。
とはいえ、逃げるわけにはいかないので、苦笑いを見せ杏寿郎の前に手を出して、これ以上近づくなとけん制することにした。

「昨日はご迷惑をお掛けしたようで、本当にごめんなさい」

杏寿郎にこんな丁寧な言葉、使ったことはない。
でも一応初対面でなおかつ昨日の愚行があったので、丁寧に謝罪をする。
杏寿郎はニコリと微笑み「気にしないでくれ! 君が元気そうでなによりだ」と力強く答えた。

「服も…」
「ああそうだった! 本当に申し訳ない。勝手にシャワーを浴びさせてもらっただけでなく、勝手に服まで借りた」
「い、いえ…よかったら差し上げますから」

むしろその服はもう着れないだろう。
はち切れそうなくらい生地が伸び切っているんだから、私が着たら情けない事になりそうだ。
それに気づいたのだろう杏寿郎は「そういうわけにはいかない!」とまた少し顔を近づけてくる。

「新しいものを弁償させてくれ!」
「いや、元はと言えば私が粗相をしたのが原因ですので、気にしないでください」
「…煉獄、お前は何を飲む?」
「冨岡、あんたここが私の家だって理解してる?」

杏寿郎と私が押し問答をしている最中、何でもないようにまた台所に立つ冨岡に殺意さえ覚える。
なんでこいつ、人の家でこんなにも勝手をしているの?
杏寿郎は「茶を頼む!」と何故か普通に冨岡に頼むので、思わず拍子抜けした。
こいつら、もういいから早く帰って欲しい。

「きょ…煉獄さん。私はもうこの通り元気ですので、もうお帰りになって大丈夫ですよ」
「…確かに元気そうだが、」
「このお礼はまた必ずさせて頂きますので」
「わかった…茶を頂いたらすぐにお暇させて頂こう。冨岡」
「いえ、こいつは私と大事なお話がありますので、どうぞお一人で」
「…冨岡と?」

必死でなんとか杏寿郎を帰らせようとすれば、意図は理解してくれなくとも、無理強いはしないで大人しく帰るという。
よかったと胸を撫で下ろし、促すと杏寿郎はぴくりと眉を吊り上げた。
冨岡を残すことに何か不満があるようだけれど、私としてはこのくそ真面目バカを詰めないときがすまない。
流石に初対面の杏寿郎の前でそれを曝け出すわけにはいかないから、一人で帰れと言っているのに。

「男女が一つ屋根の下というのは…」
「何を言っているんだ、煉獄。お前、昨日名前のベッドの下で寝ていただろう」
「それは…そうだが!!」
「冨岡とは幼馴染ですし」
「……」

私がそう言っても杏寿郎は納得いかないと言った顔で冨岡を睨む。
しばらくそうしていたけれど、意を決したように私の方を見たかと思うと、ポケットからスマホを取り出して真剣な表情でこう言ったのだ。

「連絡先を教えて欲しい」

私は突然の杏寿郎の行動に頭がついていかなくて、ニコニコ顔のまま硬直したのだった。

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