おわり
「もう〜。この娘は心配させすぎなのよ」
野薔薇ちゃんが、私の頭だけでなくもう顔面までも揉みくちゃにしながら撫でまわす。
確かにここ最近の私の様子は皆を酷く心配させてしまったことは確かなので、甘んじて受けるけどもそれにしたって犬みたいな扱いじゃないかな、私。
「いい加減やめとけ」
「なによ、伏黒」
数分に渡って撫でまわされている私を見て、伏黒くんが呆れたように止めに入る。
それを野薔薇ちゃんはキっと睨んで、舌打ちを零した。
そんな怖い野薔薇ちゃんに構う事なく、伏黒くんは黙って私たちの後ろを指さす。
「あ、」
先に気づいたのは虎杖くんだ。
私と野薔薇ちゃんの遥か後ろの柱から顔だけ出して、じっと様子を眺めている不審者がいる事に。
虎杖くんは笑いながら「先生ー! 何してんのー?」とブンブン手を振って不審者、もとい五条さんに話しかける。
伏黒くんと野薔薇ちゃんは同じような表情で「絶対羨ましいとか思ってんのよ、あれ」と呟く。
私も何となくそんな気がするので、苦笑いを見せておいた。
虎杖くんに話しかけられた五条さんは、しぶしぶ私達の前に姿を現し、何も言わずに私と野薔薇ちゃんの間に割って入る。
それを見て野薔薇ちゃんは聞こえる様に溜息を吐いた。
「生徒に嫉妬するの、ほんとやめて欲しいわ」
「名前、いくら元気になったからと言って僕の目の前から居なくなったらダメじゃない」
「…え、でも敷地内…」
「僕の目の前から居なくなったらダメじゃない」
確か高専の敷地内だったら、五条さんの傍にいなくても、大丈夫とかなんとか言っていなかったっけ、この人。
それなのに、ずいずいと私に顔を近づけて妙なプレッシャーを与えてくる。
最近思うけれど、私の体調が良くなってから五条さんの束縛が激しいような気もする。
まあ、私自身消えてしまえばいいと本気で思っていた時もあるから、心配してくれているんだろうけれど、正直色々と困る。
でも、一番困っているのは、そんな五条さんの行動が嬉しいと思っている私自身だ。
「聞いてる? 名前」
「は、はい」
人の話聞いてよ、と口をとがらせる様子はまるで大きなオカンである。
私達の後ろにいるお三方は五条さんの様子を生暖かい目で見つめていた。
なんだか色々恥ずかしいような。
「もう悠仁の傍に居ても気分悪くなったりしないね?」
「あ、それは大丈夫です。気分悪いとかは全然」
ちらっと虎杖くんを見ると、目が合ってニカっと爽やかな笑みを見せてくれた。
そう、一時は本当に虎杖くんの傍にいるだけで、熱が出てしまったり、吐き気を感じたりと大変だったけれど、何日も経てばそんなことも無くなって、今では依然と同じように接することができる。
…でも偶に、ごく偶に寒気を感じることがあるけれど、それは虎杖くん自身の所為じゃないって教えて貰ったから、気にしないことにした。
「だったら、もうそろそろ現場復帰してもいいかもしれないね」
「現場、復帰」
「そ、名前が寝込んでいる間、僕も外に出れてないからね」
仕事が一杯溜まっているんだよ、と笑う五条さん。
確かに私が伏している間、五条さんは私の傍にずっといた。
という事は、まともにお仕事が出来なかったという事。
その事を考えると本当に申し訳なく思うけど、前参加した病院のようなことにならないといいなと頭の片隅で思った。
五条さんの行くところ=私の行くところとなっている今では、拒否権はないのが悲しい。
「もう少し能力が落ち着いてきたら、道具を使った簡単な匂い消しも覚えようか」
「匂い消し?」
「そ、君の美味しそうな匂いを隠す、術」
匂い消し、と言われると、部屋の芳香剤的なものを思い浮かべたけれど、きっとそういうのじゃないんだろうな。
私はよくわかっていない頭でとりあえず頭だけこくりと頷いておいた。
少しでも迷惑にならない方法があるなら、試したいのは事実だ。
その後、虎杖くん、野薔薇ちゃん、伏黒くんの三人は任務があると言ってそのまま出かけてしまった。
残された私と五条さんは暫く教室で、今後の話し合いである。
と言っても難しい事はまだよくわからないので、おさらいも兼ねているのだけど。
私が死なないようこの組織に管理されるためには、五条さんの傍に居る方がよいと、上層部も決断をしたらしい。
という事はまた五条さんのお家に寝泊まりするんだろうか、なんて思考が巡った時、五条さんの人差し指が私の額をツンと押した。
「物思いにふけるのは結構だけど、僕の話を聞かないと悪戯するからね」
「……それは困ります」
悪戯、と言った顔が厭らしく変わったのに気づいた私は、慌てて思考を現実へと戻した。
そんな私の様子を見て五条さんは「チッ」と舌打ちを零した。
「まあ、いいや。何か他に聞きたいことはある?」
「聞きたいこと…」
「今なら僕の過去の恋愛なんかも暴露しちゃうかもしれないよ?」
ニヤニヤ笑う様子を見て、完全に子供だと思われていると思った。
私の能力についても聞きたいことがあるかと思ったけど、何しろ分からないことだらけなので、何を聞いていいかもわからない。
それより、五条さんはきっと冗談のつもりだろうけど、五条さんの恋愛について気にならないわけではない。
私は自然と口にしていた。
「五条さんの爛れた恋愛、知りたいです」
手元のノートをパタンと閉じて。
五条さんの目もとあたりをじっと見つめる。
すると、五条さん的には拍子抜けする回答だったらしく、一瞬ポカンとしたのち「いいよ」と優しく笑った。
「とっておきの恋愛を紹介してあげよう」
「……何でもいいです」
五条さんは私の前の座席をくるりと翻して、私の机の上に肘をついて座った。
心なしかその態度が嬉しそうなのは気のせいだろうか。
やっぱ聞かなければいいかも、なんて思った時には既に五条さんが話し始めていた。
◇◇◇
昔々、あるところにイケメンの不良少年がいました。
彼はある日の任務で、年上の女性の護衛を任されました。
彼女はいつ襲われてもおかしくない身の上だったのです。
少年の前に護衛を務めていた人たちは、怪我をして任を解かれたか、虹の向こうに渡って行ったか。
少年は簡単に死ぬつもりはありませんでしたが、面倒だと思っていました。
初めてその女性と顔を合わせた時、彼女はまるで“普通”でした。
街中を歩く年相応の女性のような。まさか老い先短い命などとは、考えられない様子です。
少年は、そんな彼女に興味を持ちました。
任務の度に彼女は嫌がられても少年に執拗に、とても執拗に話しかけ、無理やり打ち解けていきます。
少年はほんの少しだけ、その任務が好きになりました。
自分を“普通”の少年として扱う彼女に気を許していったのです。
そんな任務がしばらく続いた時、彼女の姪っ子の写真を見せて貰います。
「可愛い子でしょう?」とやたら少年に自慢する彼女を見て、呆れつつも少年の目にも写真の女の子は可愛く見えました。
その日を境に、彼女の話題の中に姪っ子の話題も含まれるようになりました。
結婚できない自分に、血を分けた可愛い身内がいる、と。
まるで自分の子のように可愛いのだと、いつも彼女は言っていました。
幸せそうに笑う彼女を見て、少年はこんな時間が続けばいいのにと思っていました。
だけど、運命とは残酷で。
それから暫くして、彼女は旅立たねばならなくなりました。
最後の任務の時、どうしても守れなかったことを心の底から謝罪すると、彼女はいつものように笑っていました。
毎回、任務を外れる方に同じように言っているんだけど、と前置きして。
「今まで本当にありがとう。貴方の力があったおかげで、私はここまで生き永らえることが出来ました。自分の運命を呪って生きてきたけれど、それでも貴方達のような人達が傍にいてくれたから、もう少し生きてみようと思えました」
少年は言葉を失いました。
自分の運命を呪って生きてきた。そう言われても、少年の前に映る女性は、いつも良い意味で“普通”の人間に見えました。
でも本当は身を裂くような思いをずっと抱えていた。それを一切表に出さずに。
それに気づけなかった自分を悔やみました。
「私の事は一切忘れて、生きて行って下さい…と、ここで別れるんだけど、最後に一つだけいいかしら」
女性は首を僅かに傾げて続けます。
「あの娘を、助けて」
今まで見た事ないような必死な表情で。
いつも優雅に着物を着こなしている、その様子からは考えられないような強い力で、少年の腕を握っていました。
少年は知っていました。彼女が死ぬと同時に、彼女の力は彼女の姪が力を引き継ぐことを。
彼女は自分が死んだ後の姪の行く末を心配しているのです。
少年は言いました。「自分が死ぬのに、他人の心配をしている場合か」と。
彼女は表情を変えずに「当たり前だ」と言います。
「貴方なら、きっとあの娘を守ってくれるでしょ? お願い、名前だけは、幸せにならなきゃいけないの」
少年はその必死な様子に何も言えませんでした。
だけども、自分の腕に纏わりつく腕も払う事をせず、ある覚悟を決めました。
そして、女性は消えてしまいました。
それが何を意味しているのか、少年はよく知っていました。
少年はその日から、ある少女の護衛の任務に就くことになりました。
能力が目覚めていない間は、存在を知られない様に偶に様子を伺う程度でした。
少年は、何故かぽっかり空いた胸を埋めることなく、何も知らない少女を見守っていました。
少年はいつしか、青年へ成長していました。
毎日同じことの繰り返し、青年はある日、ミスを犯してしまいます。
少女を護衛中に呪霊と遭遇してしまったのです。
少女が呪霊の存在に気づいた瞬間、彼女の能力は目覚め、たちまち命の危険が及びます。
幸運なことに少女がまだ気づいていない間に青年は呪霊をしとめる事に成功しました。
青年にとっては容易いことでした。が、仕留めた後の現場を少女に見られてしまったのです。
地面が抉れ、壁は崩れ。
とんでもない惨状を目にし、その中心に立つ青年を見つけると、少女は顔面蒼白のまま青年に駆け寄ってきます。
「救急車を呼びましょうか!?」
必死に青年の身体を服の上から触り、青い顔で怪我がないか確認する少女。
青年は最強だったので、怪我等あるはずもなく。
その場で少女の記憶を消さなければなりませんでした。
でもそれから何度記憶を消そうとも、少女の近くに呪霊が現れる度に、少女は現れて現場に立つ青年を心底気遣うのです。
ある時、青年は少女に尋ねました。
「こんな惨状に足を踏み入れて、恐怖はないのか」と。
少女は、すぐに怖いと答えます。
そして、
「でも、貴方の顔色が悪すぎて、気になって仕方ないんです」
血が通っているとは思えない、とはよく言われたものでしたが、
自分を心配する人間が、身内以外にいるとは到底思っていなかった青年にとって、少女の必死な様子にどこか心を打たれました。
勿論少女は、青年がどういう人物なのか知る由もないのですが、青年を“普通”の人間のように扱う姿が、ふと彼女の伯母である女性と重なり、ぽっかり空いた穴を別の何かが埋めてくれるような感覚に陥ります。
それから青年は、毎日時間があれば、少女を見守ることにします。
気が向いた時には、偶然を装い、話しかけては記憶を消し。
そうして過ごしていたら、いつしか少女の事ばかり考えるようになります。
今は自分と接触するたびに記憶を消しているけれど、いつか自分の名前を呼んで自分と何てことない会話をしてくれる日がくるのでは、と夢を見るようになりました。
少女の幸せを願えば、そんなことはあるはずないのですが。
それでも夢を見る事をやめませんでした。
「…で、夢が叶っちゃったとさ。めでたしめでたし」
想像以上に長い話をされた上、その話の中心人物が自分と伯母だという事に気づいて私は、ただ何も言えずに五条さんを見つめていた。
五条さんは天井に向かって大きく伸びをして「ピュアな恋愛だったでしょ」と言う。
「どう反応すればいいか分かりません」
「だろうね。僕も言うつもりはなかったし、当の本人の記憶を何度も消してきたわけだしね」
「……」
私の記憶に残っていないだけで、何度も五条さんに会っていた。
私が思っていた以上に、五条さんは長い期間、私の事を守ってくれていた。
色々な感情が流れ込んできて、落ち着かない。
「僕の事、嫌い?」
「嫌いとかそんなんじゃないです」
「じゃあ、好きなんだ」
「…違います」
「ふうん」
五条さんの手が伸びてきて、私の前髪をかき分ける。
目が見えてないのに、五条さんがどんな目をしているのか、何となくわかるような気がした。
嫌い、と口にしたらちくちくと胸が痛む。
分かってる、本当は少し前から自覚している。
五条さんの指がそっと私の右手を取った。
「その内、僕と結婚することになるよ、名前は」
ちゅ、と可愛らしいリップ音が手の甲に落とされて。
手を引く事すら出来ず、私は自分の気持ちがストーカーに侵食されている事実に戸惑うばかり。
顔を赤くして、ただ恨めしそうに五条さんを睨みつけることしか出来なかった。
「絶対、結婚なんてしません!」
絶対、好きにならない、と思っていたのに。
私の叫び声は、二人しかいない教室に響いた。
第一部 おわり