20

疲れた。

起き上がれるようになり、散歩でもしようと敷地内をうろうろしただけなのだ。
長い間寝たきりとなっていた身体は想像以上に衰えていて、平坦な道を歩いただけで、大きな呼吸と共に、私の足を止めた。
正門まで歩いて外の階段を見て、降りる事を諦めた。
こんな調子じゃ階段を下りている間に力尽きて、転げ落ちてしまう。
本当なら、転げ落ちて事故で死んでしまった方がいいのかもしれないけれど。
何度も夢見た。
もう普通の女子高生に戻れないのなら、いっそのこと死んでしまったらどうか、なんて。
家族の元へ戻れるとも思えない今の状況と、私の所為で犠牲が出るのならばその方がいい。
でも、私には無理だった。
勿論、これ以上歩けないのもそうだけれど、死ぬ勇気がなかった。
まだ死にたくなかった。こんな我儘を付き通すだけで、これから何人ものの人の人生を縛ってしまうのか、考えるだけでもおぞましい。
動かない足を見つめて私は正門の壁に背中をつけて腰を下ろした。

毎日のように野薔薇ちゃんや虎杖くんたちがお見舞いに来てくれる。
そこで感じたのは、虎杖くんを目の前にすると私の体調が少しだけ悪くなること。
五条さんが言うには、私が色々見えるようになったり、感じるようになったことで、虎杖くんの身体の中にいるモノまで感じ取れるようになったからだと。
折角出来た友達なのに、気軽に話せなくなった事が悲しかった。
でもそれも、時間が経って私の能力が上がれば問題なく接することができるらしい。

勿論、毎日来てくれるのは野薔薇ちゃんたちだけじゃなくて、五条さんもまた私の隣のベッドに寝泊まりをしていたようだった。
毎日私の様子を見ては、心配そうに顔を覗かせる五条さん。
前までの私なら、悪態を吐きながらも傍に居てくれることに安堵していたのかもしれない。
でも、今は、傍にいるだけで胸が苦しくなる。
あの話を聞いてから、どういう態度を取ればいいのか分からないから、五条さんの前では眠ることにした。
寝たふりじゃなくて、本当に眠ってしまえるくらいの私の体調の悪さに、その時だけ感謝した。

「…どうしたら、いいの」

どうすれば五条さんの負担を減らせるの?
これ以上鬱陶しいと思われないためにはどうすれば?

答えは全て同じ。
私が死ねばいい。
でも、情けない事に、自分で死ぬほどの勇気もない。

はあ、と重い溜息を吐いて、足元の地面を眺める。
考えても考えても答えは出ない。
気分転換にもならない。

思考はずっと暗いまま。
いい加減こんなところで腐っていても、しょうがない。
そろそろ戻ろうかな、なんて思っていたら、一つの足音が近づいてくる。
何となく、足音の主が分かるような気がして、目の前に来るまで顔を上げなかった。
足音は私の前で止まった。
大きな黒い靴が視界に入った。
諦めて顔を上げると、予想通り。
涼しい顔の五条さんが私に手を差し出しながら「無理しちゃだめだよ」と言う。

その手は取れなかった。

「すみません」

自分でも軸足に力が入っていないことは分かっていたけれど、フラフラの状態でなんとか立ち上がった。
そこまでいくと意地だった。
そのまま五条さんの隣をゆっくり抜けて、一歩ずつ元の部屋に歩を進める。

すれ違いざまに見た五条さんの表情は、驚いていた。

重い足を引きずりながらも、少しでも五条さんから距離を取る。
傍に居たくない。
居たら、今の私は泣いてしまいそうになる。
ずっと守ってくれていたこの人に、何と言えばいいのか分からない。
そんな私を、五条さんは何も言わずに無視してくれた。

よかった、そのままスルーしてくれて。
なんて、思ったその時。
私の左腕は、突如として痛みとともに強い力で引っ張られてしまう。
がし、と効果音がつきそうなくらい力を込められて肩を掴まれた。
私の顔の前には五条さんの顔があって、そして大きな舌打ち。

「どういうつもり、それ」

今まで聞いたことのないくらい低い声。
直感で怒っている気がした。
ドスの利いた声、ってこんな声なんだと頭の片隅で思った。
抵抗する力が無いので、痛みで顔を歪める。
それでも五条さんは力を緩めない。

「ねえ、なんで名前が僕を拒絶するの? 言い訳なら聞くけど」

嘘だ。
言い訳なんか一つも許さない、というような顔をしている。
どうしよう、こんな事想定していなかった。
少なくとも、私は拘束されながらパニックに陥っていた。
何でこんなに五条さんは怒っているんだろう。私ごときが無視したのがそんなに気に入らないのか。

「ご、めんなさ」
「謝罪はいいよ。もしかして、僕の前から消えようとしてる?」

思わずビクリと身体が揺れた。
何でこの人はそんな事まで分かるんだろう。
一回も口にした覚えはないのに。驚きすぎた私の反応を見て、肯定と取った五条さんがギリ、と奥歯を噛んだ。


「大人を揶揄うのもいい加減にしろよ」


耳元で怒鳴られるとは違う、平坦な言葉。
それを聞いた途端、五条さんは私の腕を強く引き、そのまま自分の胸に私を閉じ込めた。
捕まれていた箇所の痛みが無くなって、少しホッとするけれど、無理やり抱きしめられている現状に更に混乱した。

「残念。君はもう逃げられない。どんなに君が嫌がっても、僕の傍から離れることはできないし、僕だって離すつもりはない」
「ごじょ、さん、」
「逃げられない様に紐で縛っておこうか? 僕の事、無視できないように僕しか映らない様にずっと僕に繋いで…」
「聞いてください、五条さん」
「大体いい度胸してるね。僕から逃げられると思ったら大間違いだ。何年君を見てきたと思っているんだ。やっと僕の傍に置く理由が出来たのに、そう簡単にはいかないよ」
「……あの、五条さん」

私の声は聞こえないらしい。
何度も何度も呪いをかけるように呟かれた言葉は、全て私を束縛する言葉だった。
さっきまでの自分の暗い気持ちが一瞬でどこかへ吹っ飛んでしまうくらい、強烈な。
まだまだブツブツ唱え続ける言葉を無視して、私は五条さんの胸板に顔を埋める。

「……私、迷惑じゃないですか?」

小さな小さな声だった。
きっと聞こえないだろう、と思ったのに。
五条さんの念仏はぴたりと止まって「は?」という言葉が頭の上から降ってくる。

「私、これから五条さんから離れられないんですよ。いいんですか、それで」
「いいんですか、って何。それが何か悪いと思ってるの?」
「だって、一生ですよ…? 私が生きている限り、ずっと、」
「……」

いつの間にか五条さんの服を掴んでいた。
きりきりと力を入れて握っていたようで、拳の力をゆっくり抜いて、五条さんの服を解放する。
すると、私の背中にあった片方の手が空いた私の手を覆うように掴んだ。


「だから、何?」


不機嫌な声だ。
さっきほど怒っているようでもない。
それでいて、ふざけている様子は見られない。

瞳は布で隠れているのに、見透かされている気がした。

「早く死にたいとか思っているなら、それは一生叶わないよ。何故なら最強である僕が君を守るから。君は守られる対価として、僕に君の一生を捧げないといけない」
「…え?」
「君のすべて、僕のものなんだよ」

私の前髪をサラサラと撫で、そしてやっと口元を緩める五条さん。
いつものふざけた態度じゃなくて、本当にこの人は大人の男の人なんだ、と嫌でも思い知らされた。
そして、

「なにそれ、こわい」

久しぶりに私は笑っていた。

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