「テニス部の女子が苗字さんを呼び出してたって。しかも頬を叩いてる場面を見た人がいるみたい」
「……テニス部?」
僕と名前が喋らなくなって、何週間か経った。
周りは付き合っていると思っていたらしく、破局の噂が流れていたのを小耳に入れたが、そんな事は今どうでもいい。
山口が隣のクラスから仕入れた話を聞いて、僕はピクリと眉を吊り上げる。
今更僕たちの関係が変わるわけではないけれど、それでも原因がそこにあったというのなら、意識が向いてしまう。
諦めるなんてまだできやしないけど、せめて名前の迷惑になるような事はしたくない。
…できることなら、僕の隣で前の様に笑って欲しいけど。
「ツッキー。テニス部に知り合いなんて居たっけ…?」
「いるわけないデショ。……まあ、何となく誰かは検討がつくけど」
「誰?」
「……」
テニス部に知り合いは勿論居ない。
ましてや女子なんて。僕の周りをうろつく女子は、本当に名前だけだった。
だけど、最近になってやたら僕の視界に入ろうとする人間がいたのも事実。
相手にした覚えはないのに、やたら馴れ馴れしい。それに日が経つにつれ、執拗になっている。
あぁ、アレか。
頭の高い位置のサイドに髪を括った女子。
今までは同じクラスとしか認識していなかったけれど、あの女子は確かテニス部だったはずだ。
テニスの試合に見に来ないか、と鬱陶しいくらい誘われたのを思い出した。
「名前に何かしたの」
「そうみたい。でも、多分苗字さんに非はないと思う」
「詳細を聞かなくても分かるよ。絶対そうでしょ」
名前は鈍感でバカではあるけれど、人を傷つけるようなことはしない。
恐らく最初は普通に話をしていたのだろうが、相手の方が頭が足りず手が出たというところだろう。
あの頬に傷を付けられていたと考えれば、怒りを含んだ気持ちがせり上がってくるが、もう今となっては後の祭り。
僕にはどうすることもできない。
結局山口との会話は適当なところで切り上げて、バレーの練習に戻ることにした。
考えても仕方ない。すべてが遅い。
だから、その話もすっかり頭の隅に追いやって考えない様にしていた。
その時までは。
◇◇◇
「…え、月島くん?」
「その舌足らずな喋り方。聞いててイライラする」
目の前にいる人は本当に月島くんなの?
いつも教室に居る時と同じ顔をして、こんな酷い事を言うのが?
そんなわけない。だって月島くんは無口で、クールで、かっこいい…。
「用が無いなら行くよ」
私が目の前の光景に呆然としている間に、月島くんはくるりと身体を翻して私から離れようとする。
慌てて月島くんの背中のシャツを掴もうとするも、避けられてしまった。
何なの…?
「触るな」
やっと私を見た月島くんは、鋭い目つきで私を見る。
さっきまでの高揚感が、まるで極寒にいるかのように凍えてしまった。
おかしい。
月島くんはこんな事言わなかった。私が話しかけてもあまり返事はなかったけれど、邪見にもしなかった。
それはきっと月島くんなりの照れ隠しなんだろうと勝手に解釈したのに。
伸ばしかけた手を慌てて引っ込ませて、ガタガタと身体が震えるのを耐えていた。
こわい。この人、本当に月島くんなの?
「…ど、どうしたの、月島くん…? 何かあったの?」
「うざいって言ったの聞こえなかった?」
余りの豹変ぶりに恐る恐る尋ねてみるも、返ってきたのは棘のある冷たい言葉。
目の前の私を敵と見なしたような言動、行動。
これ以上何をしても、その態度が変わることがないと予想された。
でも、そんなはずない。
「…っ、月島くん、そんな酷いよ。あの子といる時は、そんな顔してなかったよ…?」
「……」
一瞬、月島くんの瞳が揺らいだ。
棘が引っ込んだ事を確認して、私は自分の胸に手を置いて、大きく息を吸う。
まるで大女優にでもなったかのように、悲しげに目を伏せて。
時間を掛けて一粒の涙を頬から垂らせば、きっと月島くんはもう何も言えないはず。
「きっと月島くんも辛い思いをしたんだと思うの。でも、前を向かないと先には進めないよ」
あの子がどれだけ月島くんに影響を与えたのかなんて、考えるだけでも腹が立つけれど、この状況は悪くはない。
あとは私のペースに引き込むだけ。
例えどれだけ、自分を壁で囲った月島くんだろうと、抗えるはずなんてないの。
「だから、私に何でも話してみて。少しでも月島くんの力になりたいよ」
人差し指で雫を掬いとるようにして、儚げに笑ってみる。
月島くんは唇を閉じて、その様子を見ていた。
勝った。
例え躾されていない動物だとしても、小動物の弱々しい声には耳を傾けるはず。
私に気持ちを吐露してくれるまで、きっと時間は掛からないだろうと、私は胸の中でいやらしく笑う。
危うく拒絶されるところだったが、いい方向へ転んだ。
そう、月島くんならきっと私を拒絶なんてしない。
ね、そうでしょ、月島くん。
月島くんがゆっくりと私の手を取った。
優しい力でそっと包んでくれる。
私はそれに喜ぶ素振りを見せつつも、何も言わない。
月島くんは私の手を優しく、優しく…。
まるで手の中でゴミを握りつぶすかのような力で、手首を握り、無理やり腕を引いた。
突然の力に驚く暇もなかった。
捻り上げられた手首は私の顔の横にあった。
そして、近づいてくる月島くんの顔。
「その気持ち悪い仮面を外して、名前の顔をぶったわけ?」
途端に耳に入ったのは、近くの壁を殴る音。
空いていた右手で月島くんが壁を殴ったのだった。
私は、先程よりも身が凍る思いでいっぱいだった。
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