私の返答を聞いて、日向くんは納得いかない顔をするかと思っていた。
だって言った私自身、自分の発言と気持ちが不安定なことに気づいているから。
きっと鋭い日向くんならそれすら見抜いてしまうだろうと思っていた。
頭の片隅でどうやってやり過ごそうかななんて考えるくらいに。

でも、日向くんは普段と変わらない、まるで「今日も部活行くでしょ?」と尋ねるトーンそのままに、

「そうなんだ」

と一言呟いただけ。

まさかそんなあっさり返されるとは思わなかったから、拍子抜けした顔で日向くんを眺めることしか出来なかった。
あまりに長い間ぽかんとしていたから、日向くんに「ご飯食べないの?」と言われてしまい、私は慌ててお弁当の巾着袋を開封した。
思った以上に追及されなかったから良かったのかもしれないけど、日向くんならもっと突っ込んでくると思ったのにな。

まあ、いっか。

そうやって一安心出来たのもその時まで。
その日の放課後、私は自分の意識の甘さを認識した時には、遅かった。


「俺と付き合ってくれる?」


頬を染めるわけでもなく、恥ずかしがるわけでもなく。
本当に日常のなんでもないことのように、ほんの僅かに笑みさえ見せて、なにかの冗談なのかと錯覚するくらいに。

少し前に、もしかしたら日向くんから好かれているかもしれない、なんて思っていた時期もあった。
だけど、あの時は月島くんへの気持ちを自覚した時で、申し訳ないと思いながらも、日向くんの気持ちを事前に制止した。
その気持ちを聞いてしまったら、これから日向くんをそういう目で見てしまうからだ。
私をバレー部へ誘ってくれた大切な友達を失う、それが分かっていたからだ。

「…え?」

別に呼び出されたわけでもない。
気がついたら授業が終わっていて、教室には日向くんと私しか残っていなかっただけ。
ここ最近、自分の意識がどこか別のところにある気がしていたけど、こうもはっきり集中してないとなると、これからのテストとか考えるだけでため息が出る。なんて、どうでもいい事を考えていた。
それだけ、なんの前ぶりも無かった。

「あ、ごめん、そんなに驚かれると思ってなかったから」

私の顔色を確認しつつ、日向くんはカバンを手に持った。
これから、バレー部に行くんだろう事は簡単に予想されたけど、私には不思議でならない。
今、君は何を言ったか分かってるの?

私が何かを言う前に、日向くんは驚いた私を映す瞳をこちらに向けて、困ったように笑う。
誰が聞いても驚く場面だろうに、何故日向くんは平気なんだろう。

「ちょっとは考えたこと無かった? 俺が苗字さんのこと、好きかもって」
「…私の自意識過剰かなと思ったことは…」
「やっぱり分かってたよなぁー」

その時初めて日向くんは恥ずかしそうに、後頭部を指でかいた。
やっと日向くんの感情らしい姿をみて、ほんの少しホッとする。
日向くんが口にしたセリフは夢だったんじゃないかって思うくらい。
でも、きっと冗談だと思う。

「日向くん、そんなこと言っても私、バレー部に行かないよ」
「…あ、俺の言いたい事、何で分かったの?」
「日向くんは優しいから」

遠回しに私をバレー部に誘う口実の一つだと思った。
きっと日向くんも私と月島くんの間に何か問題あったことくらい、簡単に察することができたんじゃないかなって思うし、バレー部から足が遠のいてしまった私を無理やりバレー部に近寄らせようとするための日向くんなりの気遣いであることは間違いない。
もしかしたら、私の事を本当に好いてくれていたかもしれないけど。

まさか、ね。

「もう気にしないで。月島くんの事も、もう忘れることにするし」
「何があったかは知らないけど、忘れないといけないようなこと?」
「…月島くんの迷惑になるからね」
「迷惑?」

ぴくりと日向くんの眉が動く。
私はそれに気づかない振りをして、やっとこさ椅子から立ち上がり、日向くんの隣をすり抜けようとした。
もう、この場から立ち去りたくて仕方なかったから。
だけど、日向くんとすれ違いそうになったその瞬間、日向くんの口元が僅かに動いた。


「先に謝っておくね。ごめん」


言うが早いか、私の身体は日向くんの方へ引き寄せられた。
一瞬何をされたのか分からなかったけど、すぐに身体中の毛が逆立つような感覚が走り、一瞬にして血の気を失った。
私の身体は日向くんによって抱きしめられていた。
ボトン、とカバンが床に落ちた音がこだまする。

「…ッ、嫌!」

咄嗟に手が出た。
日向くんの腕やら胸板やらを押しのけて、何としてでもそこから抜け出そうと試みたのだ。
無意識だった。


「誰ならいいの?」

「そんなの、つ…」


日向くんの声は、いつもと同じ声音だった。

抱き寄せられた手は、パッとあっと言う間に離されて。
私は、自分が何を言おうとしたのか嫌でも理解してしまった。

見開いた目で日向くんを見ると、日向くんは穏やかな笑みで、


「…忘れるなんて無理だよ、だって苗字さんは、月島のこと、大好きなんだから」


と言った。