すぐには無理でも、いつかきっと忘れられると思っていた。
どれだけ私が想っていようと、一方通行で結ばれない想いなら嫌でも傷つくし、何より月島くんに嫌な思いをさせているのならば、一刻も早く離れないとと思っていた。
今までこんなに離れたことは無かったけど、このまま平和に過ごせはきっと、私の想いも小さくなって、今はまだズキズキ痛む胸もそのうち「あんな事もあったなぁ」なんて、いい思い出になるのかなって思っていたのに。

どこか諦めたようにも見える日向くんの顔を見ていたら、自分が何を口にしようとしていたかなんて、嫌でも分かってしまって。
いくら離れたとしても、私の気持ちは誰に向いているのか自覚してしまった。

「…苗字さんが、月島のこと大好きなのを無理やり忘れる必要なんてあるの?」

追い討ちをかけるように日向くんの言葉が続く。
全部が閉ざした氷の扉に突き刺さっていくようだった。
その言葉に縋りたいという気持ちがふつふつと湧いてくる。
だめだ、だって私はそばに居るだけで幸せになれないから。

「…私は欲張りだから」

自分の声がこんなにも弱々しくて、力がないなんて初めて知った。
この先を口にするのが、心の底から怖い。
誰にも口にしなかった言葉を、今、日向くんに告げようとしている。
私のわがままで一方的な気持ち。

「好きな人に好きになって欲しいって、思っちゃう」

唇が震える。
私が好きなだけで居られれば良かったのに、月島くんから同じように想われたいって考えちゃう。
あれだけ一緒にいても、私たちは付き合ってもなくて。
月島くんはたまに手を繋いだり、キスしたりするけど、それすら傷つく行為になってしまった。

「私だけが好きでいることに疲れちゃったの」

報われない想いを抱えて、無邪気に月島くんに笑いかけることがつらい。
月島くんを真剣に好きだと言う子に、私は自分の都合で失礼な事をしてきた。
付き合ってもいない癖に、月島くんが私を好きでいてくれているようなそんな勘違いと、このままずっとそばに居てもいいんだって、勝手な思い込み。
でもそれは現実とは違っていて。

『月島くんとは付き合ってない』

何度も繰り返し伝えてきた言葉。
それは全て私自身を傷つけてきた。

これ以上傷つきたくない。


「やめようって、思ったの…」


私は今まで、好きになってもらう努力をしなかったのだから、月島くんが私を好きになるはずないのにね。



ぎゅうっと腰の横にある私の右手を強く握った。
痛みは感じなかった、でもぶるぶると震えているのだけ分かった。
泣き叫びたい感情がそこに現れていた。
日向くんは何も言わない。私の勝手な気持ちを聞いて、引いてしまったかもしれない。
それならそれで構わないけど。

「…でもやっぱり、日向くんが言うように無理みたい」

月島くんを忘れる為の言葉をたくさん積み上げても、結局私は自分でそれを壊してしまう。
忘れるために月島くんと距離を取ったのに、月島くんを好きな子達のために、誠実になろうと思ったのに。

「私は、月島くんしか好きになれないんだって、わかった」

離れても想いが消えることはない。
むしろどんどん大きくなっていく。
自分がどんどんわがままな酷い女の子になっていく。
私だけが、月島くんの傍にいて、私だけが月島くんのことを考えていたい。

「どうしても、無理みたい」

あんなに自分勝手で、何も口にしてくれない酷い月島くんだけど。

頬につうっと雫が伝う。
私の泣き顔を見て日向くんは少し驚いたようだった。
ずっと我慢してきた。この気持ちに素直になってしまっていいのかな。もう我慢するつもりはないけど。

驚いていた日向くんの顔が、ゆっくり安堵したように穏やかになっていく。
私もそれを見て不器用に微笑んだ。

「……でも、顔合わせるの気まずいかも。酷い態度とった気がするし」
「そんな事気にしなくていいと思う! …月島の自業自得なわけだし」
「…自業自得?」
「あとさ、今は月島も色々思うところがあるだろうし、練習も頑張ってるからさ、」

私のポツリと呟いた声に、日向くんはまるで私を励ますように明るく言う。
その後に続く言葉を聞いて、私は涙を拭いながらこくりと頷いた。


◇◇◇


何とか泣き止んでくれた苗字さんを慰めて、それから早く家に帰って休むといいと伝えると、苗字さんは俺にお礼を言って大人しく教室を出ていった。
1人残された俺は、苗字さんの席に座ると、机に突っ伏し瞼を閉じた。
時刻はとっくに部活が始まっている時間。
このままバレー部に顔を出さねば、影山に馬鹿みたいに怒鳴られるのも分かっている。
けど、もう少しだけこうしていたい。

「冗談のつもりなんてコレっぽっちもなかったよ」

教室を出る時、振り返った苗字さんが微笑みながら、
「日向くんの冗談のお陰で気がついたよ、ありがとう」と言って俺に手を振った。
俺も笑顔で手を振り見送った。
でも苗字さんは気づかない。その一言で、俺を傷つけていることに。

月島の事を諦めてくれるなら、俺にとってどれだけ救われるのか君は知らないだろう。
少なくとも入学当時からずっと君の隣に居て、バレー部を紹介した俺からすれば月島ほど邪魔な奴はいない。
少しでも俺の事を異性として見てくれるなら、俺はきっとこのチャンスを逃すことはしなかった。

でも、俺じゃだめなんだ。

決して冗談じゃなかった。
苗字さんを腕の中に閉じ込めようとした時、このままどうか抵抗しないでと。
どうか、抱き締め返してくれと望まずにはいられなかった。
無理だと分かってはいた。でもそれでも望んだ。

「苗字さん」

誰もいない教室で君の名前を呟く。
ずっとずっと呼んでいたい。

彼女の目には月島以外映っていない。
誰かで代用できるものでもない、月島じゃないといけない。
俺は月島にはなれない。

とっくに諦めついていたと思っていたけど、まだまだ時間は掛かるみたいだ。

ねえ、苗字さん。

これが最初で最後だから、どうか。

「名前…」

君の名前を呼んで泣く俺を許して。