「…彼女じゃないって?」
「何が言いたいわけ」
名前がおどおどしながら台所へ消えて行って数秒。
まさか兄貴からニヤニヤと意地悪い顔で言われるとは思っていなかったので、平坦な声が出た。
返答を聞いて兄貴は眉をぴくりと動かして「わかるだろ?」と笑う。
分かるからあえて聞いてるんだよ。
「あれだけ好かれてるのに、このままでいいのって話。バレーも、名前ちゃんも」
「余計なお世話だよ。僕は僕のペースでやってるから」
「まあ蛍にとってはそれでいいかもしれないけどさー」
ぐーっと両腕を高く天井へ上げて伸びをする兄貴。
それを冷めた目で見つめる僕。
言いたいことは分かってるんだよ、僕がどうすればいいのかも。
だけど、今はまだ勇気が持てない、なんて情けない事を思っているなんて、口が裂けても言えない。
分かってるんだ、そんなこと。
「名前ちゃんはいい子だね。訳も分からず蛍に連れられて、練習についてきて。そんで、家にまで呼ばれて。普通なら文句の一つでも言ってもおかしくないと思うよ。あの子の都合なんて全部無視してるんだからさ」
「どうせ暇だと思うけど」
「暇な時間って貴重なんだよ。それをお前の為に費やしてくれてることに気づけ。名前ちゃんだって、バレーが全てじゃないだろ」
「まあ…元々興味はなかっただろうね」
「じゃあ、名前ちゃんは何でお前の横でずっとニコニコして立ってるんだよ。蛍は何で名前ちゃんを毎回連れてくるんだよ」
分かってる。
わざわざ兄貴に言われなくても、自分がそうしてしまう理由は。
苛立ちからか、トントントンと指でテーブルを叩いていたらしい。
他人に指摘されるまでもなく分かってる。
「まあ、人の青春の邪魔をするわけにはいかないけどさー、一つ忠告するとすれば、」
兄貴ははぁ、と欠伸を一つ。
そして、涙目を拭い、じっと僕を見た。
「いつまでも自分を好いてくれていると思うなよ」
ズキン。
ここ最近で一番胸に刺さった言葉だった。
心の中で「名前は僕の事を好きだって言ってくれた」と反論する声が上がる。
が、それもすぐに「相手にされないと分かれば、すぐに離れていく」と冷たい声がかかる。
自分でも心奥底で理解している事を、現実に引き上げられた気がした。
指先が冷えていくのを感じる。
分かっていたはずなのに、ここまで言われるまで自覚しなかった。
あの鈍感娘は他人からの気持ちに気づきやしない。
それは日向の件で良く知っているし、僕も。
だけど、他人からの気持ちは決して0ではない。日向がそうだったように。
それに気づいた名前が、どう反応するのかなんて考えるだけでも頭痛がする。
お人好しのようでバカで、鈍感で。
…僕だけを見て欲しいと言えば、嫌とは言わないだろうけど。
「わかってる」
苦し紛れに出た声は、情けない事に僅かに震えていた。
兄貴は少しだけ目を細めて、息を吐いた。
◇◇◇
「遅くまでありがとうございました」
「いいのよ、また遊びに来てね、名前ちゃん」
玄関で靴を履き、ぺこりとお兄さんと月島くんのお母さんに頭を下げると、二人とも笑顔で言ってくれる。
それが嬉しくて、私まで笑顔になった。
いつまで経ってもお別れの挨拶をしない私達に嫌気がさしたのか、結局最後は月島くんが手を引いて外へ連れ出されてしまった。
振り返りつつ二人に手を振って、私は月島家をあとにした。
また来れたらいいな、なんて我儘かな。
いつものように月島くんは私の隣を歩くし、対して喋りもしないけど。
何だか今日は少しだけ様子がおかしい気がして。
なんだろう、眉間に皺が寄っているのはいつもの事なんだけど、それでも帰宅途中でこんなに機嫌悪いことがあったかなっていうくらい。
下手に話しかけて無視されたら悲しいので、私も一緒になって黙っていた。
「……何で、」
「何?」
やっと口を開いたと思ったら、とんでもなく小さい声だった。
月島くんの人を小馬鹿にしたような喋り方でもなかったから、反応に遅れてしまったけど。
聞き返すと、月島くんは改めて言い直してくれる。
「何で、何も喋らないの」
「…え?」
それは月島くんの方では。
なんて気軽に言える雰囲気でもなくて。
きっとぼうっとした顔で眺めていた事だろう。
月島くんの手がすっと伸びてきて、私の頬をむぎゅっと摘まんでいく。
痛い。
「何するの、月島くん」
「死んでるのかと思って」
「……どういうこと?」
馬鹿にされてるの、これ。
怒ればいいのかな、これ。
イライラしつつ、私の頬を摘まむ手の甲を今度は私が摘まんでやった。
それを見て「痛いよ」と言うから「私もね」と答える。
「馬鹿だよね、名前」
私の頬から手を離して、そして頭を撫でる月島くん。
こそばゆさに顔を背けようとしたら、すぐに月島くんの顔が近づいてきて、私の唇に一瞬触れた。
「…月島くんの方がバカだよ」
どん、と軽く月島くんの胸を押し、私は少しだけ距離を取った。
もうそこにはいつものようなムカツク笑みを見せる月島くんがいた。
ちょっとだけ安心した。
◇◇◇
「付き合ってないって言ったよね?」
パン、と乾いた音と頬に走る痛み。
ああ、面倒だなぁと思っていた矢先の事。
流石にぶたれると思ってなかったので、私は涙目になっちゃったけど、謝る気はない。
だって嘘は言ってないから。
目の前のテニス部のユニフォームとツインテールの可愛い女子を眺めて、私は溜息を吐いた。
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