おかしい。
何がおかしいかと言われれば一つしかないんだけど。
夏休みに入ってから毎日のようにバレーの練習があるにもかかわらず、これまで鬱陶しいくらいに顔を出していた人間が急に顔を出さなくなった。
ただそれだけの話。

連絡先なんて知らないし、知っててもこっちから連絡する気はないけれど、それでも居る事が当たり前だった人間が居ないのは落ち着かない。
勿論、夏休み中ずっと暇なわけじゃないことも承知。
でも何か用事があるときは事前に僕に言っていた、はず。

ピタリと足取りが止まる理由で考えられるのは、病気、とか。
まさか。バカは風邪ひかないとか言うし、最後に見た時も風邪の予兆なんか感じなかった。
そんなどうでもいい事に悩んでいると、ふらふらと歩く日向が僕の隣に腰かけてくる。
いつもと同じ調子の日向を見ていたら少し腹が立って「何」と声を掛けてしまった。
日向は僕の低い声に驚きながらも「……月島、なんかあった?」と言う。

「何にもないけど、何?」
「何にもないけど、そんなに機嫌悪いの?」
「誰が」
「……」

タオルを頭から被る日向が絶句したのが分かった。
それはそれで何だかムカツクので、日向から視線を逸らして、スポドリを一口。

「あ、そう言えばさ」
「……」

もう日向の会話は無視してやろう。
面倒くさそうにずれた眼鏡をクイっと指で上げつつ、聞き流した。


「苗字さん、最近来ないけど、どうしたの?」


ピクリ、と頬が僅かに痙攣した。
聞き流すつもりだったのに、聞き流せなかった。
僕は答えるつもりなんて無かったのに、無意識に口に出していた。

「そんなの僕が聞きたいくらいだけど。しかも何で僕に聞くわけ?」
「…だって、お前…」

何か言いたげな日向は驚いた顔になって、そして言葉を途中で止めて、思い出したように近くのカバンから携帯を取り出す。
僕はその様子を目を細めて見ていた。
僅かに安堵もしているかもしれない。
連絡先を知る日向が連絡すれば、きっと他愛のない理由で休んでいることが分かるに違いない。
名前は抜けているところがあるから、きっとそうだろう。
なんてことが頭に浮かんだからだ。

だから、きっと次回のバレー部の練習の時には、いつものように名前がコート脇に座っているはずだと、信じて疑わなかった。



次のバレーの練習。
その日、少し早めに体育館へと向かった。
体育館の入り口横にある靴を眺めて、中に居る人間を特定し、求めていた人間が居ない事に僅かに落胆する。
が、それを顔には出さないで、そのまま体育館へ。
中へ入ると予想通り、彼女はいなかった。
先に来ていた先輩達が、僕がこの時間に居る事に驚いていたけど、そんなものに構っている余裕はなかった。
アップをしながらも、体育館へ誰かが入ってくるたびに視線をやった。

……違う。

自分の中の気持ちが段々と焦りに変わっていくのに、時間は掛からなかった。
その日の練習は最後まで何をしていたのか、終わった後にはほとんど記憶に残っていなかった。
帰る間際に日向に尋ねようと思ったが、僕のつまらないプライドが邪魔をして口に出来なかった。

「うざい」

誰に言ったわけでもない。
隣に居た山口がぎょっとした顔でこっちを見たけど、何も言ってこなかった。

どうすればいい。このイライラは。
たった数日顔を見ていないだけ。ただそれだけなのに。
それまでは殆ど毎日顔を見て、手を繋いで、たまにキスをした。

何で。

自然と作った拳に力が入って痛い。

それと同時に頭の中に、一つの言葉が浮かぶ。


『いつまでも自分を好いてくれていると思うなよ』


この前、名前が家に来た時に、兄貴が言っていた言葉。
その言葉を聞いてた当時、僕自身意味をよく理解していると思っていた。
が、今になって何とも言えない不安が過る。

いや、まさか。
ただ数日顔を見てないだけ。
そう、それだけなのだから、そんなに不安になる必要もないじゃないか。
だいたいあの間抜け女子の所為で僕が不安になるのもどうかしている。

頭に浮かんだ邪念を考えないようにして、その日を過ごした。


◇◇◇


もう何日経っただろう。それだけ長い間、名前はバレー部に顔を出していない。
明日で夏休みが終わる、というのにも関わらず、結局あれから顔を見ていない。
やっぱり何かあったのかもしれない。
病気の可能性はすぐに低いと踏んだが、もしかしたら長期で入院しているのかもしれない。
その可能性が一番高い。

自分に都合のよい理由だとわかっているけれど、そんな馬鹿みたいな理由で納得しなければいけないくらい、僕は限界だった。


だから、夏休み最後の練習に向かおうと、校門を過ぎた時に校舎内を歩く名前の姿が見えて、僕が思わず足を止めた。

一階の廊下を一人で歩く名前。
それは体育館とは逆方向だったし、一瞬しか見えなかったけど、名前であることは間違いない。
僕が名前も見間違うはずないからだ。

体育館へ向かおうとしていた足は、そのまま校舎内へ。
山口には「職員室に用がある」と言って別れた。
校舎内へ入ると、自然と足が早足に代わり、先程名前が歩いていたところを、スタスタと進んでいく。
一つの空き教室の扉が開いている事に気づき、そっと近づいた。
中でバタバタと慌ただしそうにカバンから書類の束を出す名前を視界に入れた瞬間、僕は教室に入っていた。


「名前」


恥ずかしいけど、情けない声だった。
しばらく呼んでいなかっただけなのに。
僕の声を耳に入れた名前はビクリと身体を震わし、恐る恐る僕の方へ視線を向ける。

その表情は、どこか怯えているようだった。