自分の顔に朝日が差して、夢の終わりを告げる。
起きたくないけれど、起きなくてはと無理やり上半身を起こし、寝間着のまま縁側へ。
さして広くもない廊下を歩き、至る所の窓やら扉やらを開けて、小さく欠伸を一つ。
草履を履いて庭の小さな井戸から桶一杯の水を持ってくると、それを台所へ運んで軽く顔を洗う。
井戸水は地中深くで冷やされて、眠気を飛ばすには丁度いい。

手ぬぐいで顔を拭い、身支度の開始だ。
寝間着から手頃な寝間着と袴へ着替え、髪はハーフアップに。
家を出る準備が整うと、最後に仏間にある仏壇の前へ腰掛けて、手を合わせる。

「おはよう、お父さん、お母さん」

数年前に病気で他界した母は、昔から身体が弱かった。
子供も私しかおらず、父は母の医療費を稼ぐため、毎日遅くまで仕事をしていた。
家は決して貧乏ではなくて、むしろ世間から見れば裕福と数えられる家だった。
だがやはり、母に最先端の医療を受けさせるためには、父が無理をしなければならなかった。
私は女学校へ行き、なるべく早く働きに出ると言ったが、父も母も許してはくれなかった。
良い年頃になったら、私の為に婚約者を見繕うと笑いながら言っていた父が懐かしい。

だが、父の努力実らず、母は病気が原因で天に召され。
その後を追うように、父は職場で倒れ、母と同じところへ逝ってしまった。
悲しんでいる余裕はなかった。
父の残した会社をどうするのか、考えなければならなかったからだ。

きっと家族思いの優しい子ならば、父親の残した会社を存続させるために奔走しただろう。
だけど、私はそうしなかった。
父の残した会社を人に売り、残されたお金で小さな家に移った。
家に居たお手伝いさんに暇を出し、最終的に家には私一人と小さな仏壇だけが残った。

いくらかお金があるとはいえ、死ぬまで生活するほどお金はない。
繁華街にできた飲食店へ働きに出させてもらい、細々と生活費を稼いでいる。
女性が働きに出るのは珍しいことだが、そうしないと生きて行けない。
お嬢様育ちであるとはいえ、働きに出るのは嫌いなどではなかった。

軽く仏壇の掃除を済ませると、私はカバンを持って玄関へ。
そろそろ出勤しなければならない。
モーニングのお客様が来る時間である。

そうして、私の一日は始まる。
これからこの世界で生きるためには、必要な事だ。


◇◇◇


「名前ちゃん、おはよう」
「おはようございます。加瀬様」

朝いちばんに店へとやってきたのは、常連さんの加瀬様。
白髭を整えたダンディなおじさまである。流行りのハットがとても似合っていて、それだけで身分の高い人だという事が分かる。
店は出来てまだ日が経っていないが、こうした身分の高い人達が息抜きにやってくるところだった。
奥の席に案内し、お水の入ったコップを加瀬様の前に置いた。

「今日は何になさいますか」
「サンドウィッチにしようかな。珍しいものが好みでね」
「畏まりました」

注文を聞いて、厨房へ。
暫くすると加瀬様のサンドウィッチが出来上がり、それをお盆に乗せて運ぶ。
サンドウィッチを見せると、加瀬様は皺の入った目元を細め喜んでいた。

「ああ、ありがとうね。…そう言えば、最近中々物騒になってきたらしいじゃないか」
「そうみたいですね。神隠しに合う人が多いとか」
「名前ちゃんも気を付けるんだよ。なんでも、鬼が出るとか」

お皿を置いた指先がぴくりと反応する。
私は加瀬様ににこりと微笑んで「鬼なんて、いるわけないですよ」と一言。
「そうだな」と言って同じく加瀬様が笑ったのを見て、私は頭を下げその場を後にした。

例え、鬼が存在していたとしても、私には関係のない事だ。
今まで私がどれだけ苦労してきたと思っているんだ。これ以上悩みの種を増やさないためにも、変な噂に惑わされないようにしよう。

店のカウンターに乱雑に置かれた、お客様の読み終わった新聞。
見出しは「若い女性、行方不明続く」と書かれている。
それを見て、私は溜息が零れた。

とうとう始まってしまったのか。
鬼滅の世界が。

避けたかった未来が現実になろうとしている中、私は幼いころの事を思い出していた。


◇◇◇


昔々のお話。
庭にある池の周りで飛び跳ねていたじゃじゃ馬な私は、足を滑らせ池の中へ落ちてしまったことがあった。
その時は近くに居た家の人が助けてくれて、事なきを得たのだが、頭を強く打ってしまったがために、しばらく医者へかかることとなった。
脳震盪を起こした私はその場で気絶したらしく、暫くして目が覚めた。
瞼を開けた瞬間、私の脳内に知らないハズの記憶が流れ込んできて、酷く混乱したことを覚えている。

私は、苗字名前と言う名の子供になる前、成人した女性だった。
勿論、この明治、大正の世ではなく、令和というはるか先の年号の時代だ。
成人だった私が死んだのかどうかは覚えていない。気が付いたら私は子供になっていて、時代も昔になっていた。
これが転生と呼ばれる現象なのだと、悩みつくした頭で辿り着いた結論だった。
二度目の人生はどのように生きようか。
残念な事にこの世界は令和のそれとは大きく異なる。ので、人生二度目だと言えどもチートのように優秀でいられるはずはなかった。辛うじて、学問には強いくらい。

この時代も父も母も優しく、恵まれた環境だったので、すぐに私は悩むことを止めた。
二度目の人生なのだから、好きに生きよう。前の人生では結婚していたかどうか忘れたが、結婚などをしてみたい。
呑気にそんな事を考えて数年が経過したある時。
家にやってくる貸本屋のお兄さんが街の噂を教えてくれた。

「夜になると鬼がやってきて、人を食らう」のだと。
それだけではない、その鬼を倒すために、鬼殺隊なる組織がいるらしいとも。
勿論噂でしかない話なのだが、私はその話を耳にした途端、青ざめてしまった。

鬼、鬼殺隊。
これらの単語を私は前の人生で、見聞きしたことがあったからだ。

それは、鬼滅の刃という有名な漫画の内容で、私も軽くだが読んでいた。

貸本屋のお兄さんは定期的に家にやってくるたびに、鬼の話を残していった。
彼からすれば、ただ単に噂話のつもりだったかもしれないが、詳しい話を聞くたびに私が血の気を引いていた事に気づいてくれれば、もう少し私も平穏に生きることが出来たのに。
話を聞き、やっと理解したのは、私は昔の日本へ転生したのではなく、鬼滅の刃の世界に転生したということだ。

それを知った時、私は暫く部屋から出てこれないくらいショックを受けた。
せめて、それが平和な内容の漫画ならば問題などなかった。
鬼。そう、鬼が人を喰らうのだ。しかも、街中に潜んで。
内容を最後まで読んでいないので、どうなるのか最終的な内容は知らないが、大体のあらすじは鬼が出てきて人を食べ、それを鬼殺隊がやっつけるという、少年漫画王道ともいえる内容だったはずだ。
今それが現実に起こりうろうとしている。
そんなことってあるか。
折角の二度目の人生が、そんな恐ろしい世界で始まるなんて、誰が想像出来ただろうか。

父や母が心配そうに様子を尋ねてきたが、正直に答えられるはずもない。
誰にも相談できない中、私は何日も寝ずに必死で考えた。

……鬼なんて、早々出くわす事なんてない。
そう考えた事もあったけれど、隣町で何人かが凄惨な死を遂げたという事件があったと聞いて、すぐに考えを改めた。
この世界が鬼滅の世界であるならば、いつその被害者になるか分からない。
だとすれば、そうならないように今から対策を取る必要がある。

そう、鬼滅の刃に登場する人物や、場所に近づかないということ。

場所については、描写されていない箇所等あるので、不明点が多いが人物となると話は別だ。
メインキャラクター達はとても目を引く恰好をしていたはずだ。
もし目に入ったとしても、彼らに近づかなければ、鬼の被害にあう事もあるまい。

その考えにたどり着いた時、私はようやく自分の部屋から出る事が出来た。
これから、私がどのように生きて行くべきなのか、神様が示してくれたに違いない。
ならば、私は自分が凄惨な死を遂げないためにも、それらから逃げる必要がある。

逃げて逃げて逃げて。
そして、幸せな生活を送る。

それが私の二度目の人生の目標となった。
1
×Unext top index