95. 幸せ


善逸さんが目を覚まして、それから伊之助さん、カナヲちゃんが目を覚まして。
最後に炭治郎さんが目を覚ました時には、あの戦いから結構な時間が経過していた。
意識が戻ったと言えども、彼からが日常生活を送れるようになるまで、本当に長い時間が掛かった。
この人たちが一人も欠けずに元気で居てくれて、本当に本当に嬉しかった。
目が覚めたと分かると、今まで見舞いに来ていた人たちもまた頻繁に顔を出すようになった。
特に炭治郎さんはお友達が多いから、私が知らない人が良く炭治郎さんを訪ねてお部屋にやってくる。

善逸さんも伊之助さんも暇さえあれば、炭治郎さんのベッドの付近でゴロゴロしていて、ぶっちゃけ邪魔。
でもその光景を見られる事が幸せだと分かっているので、邪魔だと思いつつも精々小言を言うくらいに留めている。

善逸さんは私の隣に来て、私の髪に触れる事が多くなった。
髪を切った経緯を知っているからだろうか。
何かを惜しむように毛先に触れている。
くすぐったいので、いつも手を弾いてしまうけれど。

善逸さんの頬のケガがすっかり完治し、炭治郎さんのケガももう大丈夫と言われ始めたころ。
炭治郎さんが皆を集めてにこにこと話し出した。

「家に帰ろうと思う」

隣に座る禰豆子ちゃんもまたコクコクと頷く。
それがいい。
たった二人だけになってしまったけれど、大切な家族が居る家に戻るのが一番いい選択だ。
誰も反対はしなかった。
だけど、炭治郎さんは続けて「皆にもついてきてほしい」と口にした。
それに驚いたのは私だ。

「わ、私たちもよろしいのですか?」
「勿論だ」

片目だけ色が変わってしまった瞳を見つめていたら、優しく目を細める炭治郎さん。
その言葉に胸がいっぱいになった。

炭治郎さんの家に帰る日を二日後に控え、ここぞとばかりにそれ以上に見舞いの数も増えた。
善逸さんの服を収納しようと廊下を歩いていた時、炭治郎さんたちの部屋から愈史郎さんが出てきて、
私は「あ、」と思わず声を上げる。

「げ」

私に気付いた愈史郎さんが茶々丸ちゃんを抱きながら、嫌そうに顔を歪めた。
レディに対して顔を歪めるなんて、なんて失礼な人だ。

「愈史郎さん! 来てたならなんで顔出してくれないんですか!!」
「お前に用があって来たわけじゃない!」
「いいじゃないですか。少しくらいお茶でもしましょうよ」
「お前と茶なんて飲むか! お前の後ろに鬼みたいな顔をしたバカがいるからな!」

言われて振り返ると、廊下の角から凄まじく目を吊り上げた善逸さんがこちらを見ている。
何してるの、あの人。
気付かれたら仕方ない、とばかりにズンズンと角から身体を出して私に向かってくる善逸さん。
そして、私と愈史郎さんの間に入って歯茎を見せガチガチと歯を鳴らす。
こっわ。

「何でそんなに仲がいいんですかねぇ?」
「あら、羨ましいんですか。それなら善逸さんからも言ってやってくださいな。ね、愈史郎さん、お茶しましょ」
「どう考えても違うだろ。お前の頭はお花畑か」

何故か善逸さんと愈史郎さんから私が責められているような気がしなくもない。
誠に遺憾である。
そうこうしているうちにさっさと廊下を駆けていく愈史郎さん。
その小さくなる背中に「またお手紙書きますね〜」と手を振ると、善逸さんがすぐに「書かなくていいよ!」と声を上げた。
何てこと言うんだ、この人は。

「ところで、善逸さんは何してたんですか。さっきお部屋に居ませんでしたよね」

取り残された私たちはそのまま、お部屋に戻るため扉に手を掛けた。
中には炭治郎さんと禰豆子ちゃんが仲良く談笑していた。
その前を通り、綺麗に畳んだ衣類を棚へ収納する。

善逸さんはじっとそれを見ながら「ちょっと手紙出してきてた」とぽつりと零した。

「手紙?」
「そう、藤乃さんに」

善逸さんが目を覚ます前。
藤乃さんはこのお屋敷に顔を出してくれた。
前に手紙で善逸さんが目を覚ましたことを伝えるとそれはもう喜んでいたな。
善逸さんからも連絡していたら、きっと藤乃さんの嬉しいだろう。

「なにか言ってました?」
「……まあ、今度言う」
「何か言えない事でも?」
「今度言う」
「はぁ」

モゴモゴと口を動かす姿をちらっと横目に私は息を吐いた。
こうなったらガンとして言わないだろう。
変に頑固なんだから。

「おい、名前」

突然、大きな音を立てて伊之助さんが部屋に入ってきた。
私を見つけると、大股でこちらまでやって来たかと思うと、善逸さんに目配せし「少し借りる」と言って私の手首を掴む。
いつもの善逸さんならまるで狂犬のように吠えまくるのに、今日に限っては大人しく、

「あぁ」

と、不機嫌そうに漏らすだけ。
二人に何があったのだろうか。
良くは分からないけれど、そのまま伊之助さんに腕を引かれて私と伊之助さんは部屋を出た。
部屋を出る時、善逸さんが苦しそうな顔をしていたのが印象的だった。


◇◇◇


「ここに座れ」
「え、ええ」

雲の間から三日月が顔を出していた。
誰も居ない縁側に腰を下ろし、私と伊之助さんが並ぶ。
何でここに連れて来られたんだろう、と疑問に思いつつも空模様に綺麗な光景に言葉を失った。

「……綺麗だな」

珍しく伊之助さんが口にした。
普段花を見ても綺麗だとか素敵だとか言わない人が。
びっくりして顔を見ると、伊之助さんの視線は私にあった。

「ええ、とっても綺麗な月ですね」
「月じゃねぇ」
「というと?」
「……」

じゃあ伊之助さんは何を綺麗だと言ったのか。
尋ねると口を閉ざしてしまったので、尋ねる事はできない。
私は頭に疑問符を沢山並べつつも、また視線を空に戻し、三日月が雲に隠れるのを見ていた。

「髪はもう伸ばさないのか」

何だか今日は伊之助さんがよくしゃべる。
私は空に視線をやったまま「暫くはこのままですよ」と言った。
長いのも好きだったけれど、短くてもいいかなと思う。
だって善逸さんが似合うと言ってくれたから。
シュシュがつけられないのはちょっと悲しいけれどね。

「伊之助さんと同じくらいですね」

おそろい、と言うと伊之助さんが「は、はぁ?」と声が裏返った。
照れているんだろうか。
本当に最初にあったころと比較すると、人間味が増して付き合いやすくなったなぁ。

「…お前は、」
「はい」

私はいい加減視線を下ろし、伊之助さんを見た。
私をここに呼んだ理由を、そろそろ話してくれるかと思ったからだ。
たじろいだ顔を見せたけれど、すぐに伊之助さんは真面目に私をじっと見つめた。


「お前は、ずっとアイツが好きなのか」


アイツ、と言われて浮かぶのは勿論、善逸さんだ。
私は何も応えずにただにこりと笑っておいた。
答えるまでもないからだ。

その表情を見て、伊之助さんは何かに気付いたように「そうか」と悲し気に呟いた。

「……もしかしたら、私はあの人の傍に居られないかもしれません。でも、そうなったとしてもきっと最後の最後まで、あの人の傍に居る事を選択します」
「んな事あるわけねえだろうが」
「だから、あるかもしれない話ですよ」

伊之助さんがそう断言してくれるのは純粋に嬉しいけれど。
この先何があるか分からない。
でも私は馬鹿だから、あの人から離れる事は出来ないだろう。
ずっとずっと、これから先も。

「ありえねえ話だ」
「そうですか? わりと私はあると思っていますよ。だって善逸さんは素敵な人ですから」

私以外にもそれに気付く人がきっといる。
それはとても悲しいけれど、嬉しくもあるのだ。
あの人の魅力がたくさんの人に知ってもらえる、あの人にとっても良い事だと思うから。


「アイツがお前以外を選ぶことなんてねえよ」


強い口調で、伊之助さんはそう言ってくれた。
私は一瞬言葉を失ったけれど、すぐに頬を緩めて「ありがとうございます」とお礼を言った。


「もういいだろ」


ふと、不機嫌を含んだ声が上から降ってきた。
いつの間にそこにいたのか、いつの間にか善逸さんは私達の後ろで腕を組んで立っていた。
伊之助さんがじろりと善逸さんを睨んだけれど

「あぁ、もういい」

と言ってひらひらと手を振った。
それを見て善逸さんが引き上げるように私の腕を掴む。
ひょい、と私の身体は善逸さんの腕の中へ。
そしてそのまま人さらいのように、そのまま私を捕まえてその場を後にする善逸さん。
まだ伊之助さんとの話が済んでいないのだが、伊之助さんはどこかスッキリとした顔で私を見ていた。

まあ、今度聞けばいっか。

私だけが慰めて貰った感が否めないが、今度伊之助さんの大好きな天ぷらでも作ろうと心に決めた。


◇◇◇


「この、羽織」

藤乃さんから荷物が届いた。
荷ほどきをすると、出てきたのは一度も袖を通されなかった、羽織が入っていた。
思わず手に取って善逸さんの顔を見ると、ちょっと目を細めて私の手から羽織を取り上げた。

「俺が背負う、色だよ」

今までの金色の羽織から、黒の鱗模様へ。
善逸さんはそのまま羽織に袖を通し、襟を伸ばす。

あの戦いで、善逸さんが何をしたのか。
それを知った時、私はただ善逸さんの胸の中で泣くしかなかった。
この人は、その責任を背負うために藤乃さんからこの羽織を受け取ったのだ。
また涙が出そうになったのをぐっと堪えて雰囲気を変えるように口を開いた。

「じゃあ、私が善逸さんの羽織貰いますから!」
「名前ちゃんのはあるじゃん。俺の羽織は置いておくの。そのうち誰か着るでしょ」
「誰かって誰ですか…」
「だから、誰か」

善逸さんの話は要領を得ない。
最近こんな話ばかりだ。
もう隊服を着る事がないのが少し寂しいけれど、新たな羽織で心機一転とばかりに善逸さんはすくっと立ち上がった。

「さ、行こうか」
「…そうですね」

善逸さんが旦那様の遺骨を背中に担ぎ歩く。
玄関に出ると、既に炭治郎さんと禰豆子ちゃん、伊之助さんが待っていた。
私は自然と善逸さんと手を繋いで、蝶屋敷を後にした。


皆でお墓参りをして、それから炭治郎さんと禰豆子ちゃんが育った山へと入る。
二人が懐かしそうに辺りをきょろきょろと見回す姿はこちらも嬉しくなってくる。
奥まで歩くと、木々の隙間から一軒の家が見えた。
見えた瞬間、炭治郎さんと禰豆子ちゃんが走り出し、そして家の横に野花の咲いた場所を見つけて、二人泣き出してしまった。

何となく、その場所が何なのか察した私達は横に並んで手を合わせた。

炭治郎さんと禰豆子ちゃんのお家を皆で掃除し、ご飯を食べて仲良く皆で眠る。
幸せな日々がそうやって過ぎて行った。


炭治郎さん達のお家で暮らして一か月がたった頃、炭治郎さんと禰豆子ちゃん、それから伊之助さんが蝶屋敷のメンバーに会いに街に出るという。
私と善逸さんも誘われたけれど善逸さんが「俺と名前ちゃんは留守番してるよ」と先に行ったので、お留守番する事が決定してしまった。
皆を見送って、二人きりになってしまったお家で、私はお茶の用意をする。
縁側に寝そべりながら、陽だまりの中にいた善逸さんに声を掛けて、二人で縁側に腰を掛けた。


「幸せですね」


数か月前の慌ただしさが嘘のようだ。
この数年、ずっと命の危険が傍に会った。
だけど、もうそれも終わり。

炭治郎さんとカナヲちゃんはとても仲睦まじいし、伊之助さんが最近アオイさんとイイ感じなのを知った。
禰豆子ちゃんも気になる相手がいるのか、こっそり私に相談しにきては炭治郎さんから不思議な顔で見られる。
こんな穏やかな日常を送れるなんて。

「本当、幸せ」

ぽかぽか陽気につられて気恥ずかしい事を口走ってしまったけれど、善逸さんは茶化したりはしなかった。
体勢を崩していた善逸さんが背筋を伸ばして座りなおし、口を開いた。


「もっと、幸せになりませんか」


お庭から視線を善逸さんへ。
そしてぱちぱちと瞼を数回瞬きして見つめた。
善逸さんは、ほんのり頬を赤らめて私を見ている。

「これ以上幸せになれます? 私、罰が当たりそうですけど」
「まだまだもっと幸せになるよ。名前ちゃんに罰なんて当たるわけない」
「だったら嬉しいですね」

ふふ、と笑うと善逸さんが私の手に自分の手を重ねた。
視線を手にやっていたら、善逸さんの震える声が耳に届いた。


「俺と、結婚してくれる?」


言われた言葉で目を見開き、そして慌てて顔を上げた。
善逸さんはまだ顔が赤かったけれど、それでも真剣に私を見ていた。

口を半開きにしてぽかんと善逸さんを見つめる私はさぞ間抜けな顔をしていたのだろう。
善逸さんのキリッとした顔が段々情けなくなり「名前ちゃん?」と声を掛けられ、そこでやっと我に返った。

「私、禰豆子ちゃんじゃないですよ?」
「当たり前でしょ、何言ってるの?」
「だって、結婚を申し込まれてます、よね?」
「そうだよ、名前だから言ってる」

突然の呼び捨てにドキンと心臓が跳ねた。
ぎゅう、と重ねられた手が強く握られた。

金色の前髪の隙間から私を射抜くような視線を感じる。


「俺と、一緒に生きて」


握られた手をそのまま引かれて、ばふ、と音を立てて善逸さんの胸の中に。
すぐに善逸さんが背中に手を回し私の髪を優しく撫でる。

あまりの展開の速さについていけない私は、未だまともな事を口に出来ず固まるばかり。

「名前?」

「ひゃい」

何か口にしなければ、と思いやっと出た言葉は見事に噛んだ。
ぶふ、と善逸さんが笑ったことだけは分かった。
恥ずかしい、消えたい。

笑ってる善逸さんの背中を小さく摘まんで、私はやっと落ち着いた。


「……貴方が望むまで、ずっと傍にいますよ」


今までがそうだったように。
これからも。
そう言うと、善逸さんがばっと慌てて身体を離し、私の頬を両手で押さえた。

「俺の望むまでって、名前はどうなの」
「私は、善逸さんが生きてくれればそれで」
「俺は嫌だ。あの時、名前が居てくれればいいなんて思ったけど、俺のいない所で幸せになる事を考えたら地獄からでも蘇るつもりだった」
「……ごめんなさい」

くちゃっと善逸さんの顔が歪む。
その表情を見て、自分の言葉が善逸さんを傷つけてしまったことを知った。

その顔は、見たくないなぁ。


「じゃあ、誰よりも幸せにしてくれるんですか?」


私は貴方を幸せにしたい。
きっとこの世に生きるだれよりもそう思っている。

私の瞳に雫が溜まっていく。


「当たり前だよ。俺の横で幸せにならない筈がないでしょ」


どこからそんな自信が湧くのかわからないけれど。
善逸さんがそう言い切ったので、私は安心して善逸さんの胸に顔を寄せた。

「そうですね、貴方が隣にいないと私は死人みたいだったらしいので」
「誰に言われたのそれ」
「内緒」

自分の唇に人差し指を当てて、泣き顔のままにこりと微笑むと善逸さんがその指にそっと口付けを落とした。


「愛してる」


琥珀色の瞳が私を見つめて、そう言った。
私の指をどけて、それから二人で触れるだけのキスをした。

きっと私はこのために生きてきたんだ。
数年前に貴方に会って、ずっと傍に居て。
こうするために、生まれたんだ。

なんだ、そうか。


「私、ずっと前から善逸さんがいないと生きられないんですね」
「なにそれ」
「今気づいたんです」


愛しい貴方に会うために、時を越えて。
きっと全てに意味があった。
私の全ては貴方のためにあったんだと。

初めて理解した。



「…俺たちの家に帰ろう」
「私たちの、家?」

善逸さんが私の髪を耳にかける。
その愛おしいものを見る目に余り慣れていない私は、恥ずかしくなって目線を逸らしながら言った。

「藤乃さんが準備してくれているから。あの屋敷に帰ろう」

藤乃さんが、と言われて私は思わず善逸さんに自分から飛び込んだ。

「名前ちゃん?」

不思議そうに私を呼ぶ善逸さんの声が聞こえたけれど、私は反応する事が出来なかった。
ぷるぷると震えながら、善逸さんの黒い羽織を握り、そして洪水のように流れ出る涙をどうすることもできなかった。

脳裏を掠めるは、愛しい人達と暮らしたあのお屋敷でのひと時。
あの場にまた戻れるだけで胸が張り裂けそうだ。


「……ほんと、私を喜ばす事だけ上手なんだから」


ぽつりと零した愚痴は、善逸さんの耳にも届いただろうか。
今はただ、二人黙って抱き合って。

これから先待ち受けるもっと幸せな日々に思いを馳せていこう。












あとがき
ハァーッおわりおわりおわりおわり!
あまり深くは語りません。
詳細はメモにがっつり書きます。
取り合えず、ここまでお付き合いくださいました皆様、本当にありがとうございました。
この後のお話は番外と新婚さん編で書いていきますので、
そちらもまたお楽しみにお待ちくださいね^^

この度は本当にありがとうございました!!



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