94. ばか


一晩の長い闘いは終わりを告げた。
失ったものはとても大きい。
生きている私たちはそのすべての責任を負わなければならない。

元気だったはずの私も愈史郎さんとお話して気が抜けたのか、そのままバターンと倒れてしまったらしく、
建物の外に出られない愈史郎さんが大変慌ててしまったと後から聞いた。
私の場合単純な疲労だったようで、いつの間にか運び込まれた蝶屋敷で目を覚ますと、アオイさんが泣きながら私のお腹に蹲っていた。
その隣には宇髄さんのお嫁さんたちが心配そうな顔で座っていて、私が目を覚ました途端、須磨さんは大きな声を上げ皆さんにしばかれていた。
雛鶴さんは涙を流し、私の手を握って「また、会えたわね」と言ってくれた。

私以外の人は皆当分目を覚ます事がないだろうと言っていた。
当然と言えば当然なんだけども。
あれだけの重症でありながら、動いていた方がおかしかった。
吉原の時では次の日に善逸さんは目を覚ましたけれど、今回ばかりはそうもいかないだろう。
でも、生きていてくれるだけでいい。

「お嫁ちゃん、髪が…」
「…そうなんです、切っちゃいました」

私の髪は肩に届かない長さになってしまった。
自分で行ったことなので後悔はないけれど、切りそろえたいところではある。
残念ながら、もう善逸さんのシュシュは付けられない。
そんな私を見て、雛鶴さんが髪を切ってくれるという。
回復するのを待って、私は雛鶴さんに髪を切りそろえて貰った。

ざっくばらんだった長さの髪が切り揃えられて、完全なショートカットへ。
短い髪型にするのが久しぶりだったので、違和感は凄まじいけれど、これはこれでお気に入りだ。

それから1週間経った。
まだ彼らは目を覚まさない。
それでも少しずつ回復している事が目に見えて分かる。
善逸さんの頬の傷が少しずつ治ってきているのも分かった。
たまに愈史郎さんが訪ねてきて、善逸さんの頬の傷を睨んで帰っていく。
この傷を治療してくれたのも、愈史郎さんだと聞いたのでお礼を言ったけれど、愈史郎さんはまだ私に警戒心強めな態度である。
それでも私は愈史郎さんとお話がしたくて、来るたびにどうでもいいお話をしては過ごしている。

禰豆子ちゃんは、ずっと炭治郎さんの横にいた。
自身の怪我も酷いのに、ずっと隣で炭治郎さんのお世話をしていた。
私もその逆隣で眠る善逸さんのベッドの間に腰を下ろして、過ごすことも多い。

「…名前ちゃん、」

禰豆子ちゃんが私の名を呼んでくれた。
初めて聞いた声に私は感動で涙が出そうだったけれど、ぐっと堪え「なあに?」と何とか笑顔で返すことが出来た。

「私が何も分からない間に、名前ちゃんも私を守ってくれてたよね。本当にありがとう」
「…私が禰豆子ちゃんを守るよりも、禰豆子ちゃんが私を守ってくれた方が多いよ」

そう言うと、禰豆子ちゃんは、炭治郎さんの手を握りながらにこりと笑った。

「私、ずっと禰豆子ちゃんとお話ししたかったの」
「私も、名前ちゃんとお話ししたかった」

クスクス、と2人でににこやかに笑って。
たまに誰かの鼾を聞いて。
そうして、長い時間2人でたくさんの事を話した。


ある日、私に来客だとアオイさんが教えてくれた。
お仕事もそこそこに慌てて客間へ向かうと、畳に座ってお茶を飲んでいた藤乃さんがそこにいた。

「藤乃、さん」

私達の視線が合うと、私はそのまま座っている藤乃さんに抱き着いた。
少し痩せただろうか。最後に見た記憶と照らし合わせて私は少しだけ悲しくなった。
藤乃さんは少し体勢を崩したけれど、私を優しく受け止めてくれて、それから頭を撫でてくれた。

「大事なときに、傍にいれなくて、ごめんなさいっ…」

そう言って泣き喚く私を見て、藤乃さんはいつもの優しい笑顔のまま、涙を零していた。

「私こそ、貴方達が頑張っている間、何も出来なくて、ごめんなさい」

二人で暫く抱き合い、そして散々泣いた。

「旦那様はきっと、善逸さんと名前さんの傍の方が嬉しいと思いまして」

2人泣き止んだ頃、背中に隠していた大きな箱を風呂敷から取り出す藤乃さん。
その箱が大切な人であることを理解した私は、箱に手を伸ばして箱を優しく抱きしめた。

素敵な人だった。
降って沸いた不審者極まりない私を、屋敷に置いてくれた。
いつも優しい目をしていた。
私の、大好きな、おじいちゃん。

「こんなに小さくなってしまったんですね」
「……」

藤乃さんは悲しそうに目を細める。

あの時、本当なら駆けつけたかった。
それでも手紙で藤乃さんは「まだ帰る時ではない」と制してくれた。
実際、あれから幾日も経たないうちに、無惨との戦闘が始まってしまった。
戦いが終わって、私だけでも帰ろうと思っていたところ、藤乃さんはこうして旦那様と一緒に訪ねてきてくれた。

「まるで私の考えている事が分かるみたいですね、藤乃さんは」

そう言ってにこりと笑うと、少しだけ驚いた顔をして、同じように優しく微笑む藤乃さん。


「だって私の可愛い妹ですもの」


その一言が心の底から嬉しいと思う。


◇◇◇


しばらく泊って行って欲しい、という私の言葉に首を振って、藤乃さんは帰って行った。

「私も最後のお仕事をしないといけませんので、その準備に」

そう呟く背中はいつもの藤乃さんの、お姉ちゃんの背中だった。


慌ただしく日々が過ぎていく。
沢山の人が眠っている彼らを見舞いにきてくれた。
でもまだ彼らは目を覚まさない。

炭治郎さんをお世話する禰豆子ちゃん。
いつの間にか甲斐甲斐しく伊之助さんのベッド周りにいるアオイさん。
すみちゃん達はカナヲちゃんの頬を濡れた手ぬぐいで拭いながら、目を覚ますのを待っている。
私だって、いつも善逸さんの目が明くのを今か今かと待っている。

ふと瞼を閉じると、今はもういない人の顔ばかりが浮かんでいく。
私に刀をくれたしのぶさん、私のおにぎりを食べてくれた時透さん、お兄さんと仲直りがしたかった玄弥さん。
素敵な殿方と出会いたいと言っていた甘露寺さん、そしてその甘露寺さんを想う伊黒さん。
大きな体で優しい心を持つ悲鳴嶼さん。

みんなみんな、会いたいと願っても、もう顔を見る事は叶わない。

「……一緒に、お墓参りに行きましょうね」

固く閉じた目を見つめて、私はぽつりと呟いた。
返事なんて返ってこない事は分かっているのに。
仕方ないから私は布団の中にある手をそっと握った。
暖かい、固くて大きな手。
何だか懐かしく感じてしまう。
この手にどれだけ守られてきたんだろう。
今まで、ずっと。

「やっぱり、この手じゃないと」

私にはこの手を離す事なんて出来ない。

自分の胸の前に善逸さんの手を両手で包んだ。



「……可愛いお嬢さん、失恋でもしましたか」



幻聴だろうかと一瞬、自分の耳を疑った。
慌てて声の方へ眼を向けると、途端に見開いていた視界はぐらりと歪んでいく。
ここのところ、ずっと泣いてばっかりだ。
いい加減この緩みっぱなしの涙腺をどうにかしたいところではあるけれど、今日はまだ、いいか。

「何でそんな事言うんですか?」
「…そりゃ、そんな悲しそうな顔をして、髪までばっさり切ってさ。失恋した乙女の顔だよ、それ」
「じゃあ、失恋したんでしょうね。いつまでたっても意中の男性が目を覚ましてくれなくて、よそ見でもしようかと思ったんでしょう」
「あー…それは困る」

ぴくりと私の手の中の指先が微かに動く。
流暢にぺらぺらと喋っている様子は元気だけれど、その表情は痛みで歪んでいる。
それでも、ずっと望んでいた琥珀色の瞳が私を見つめている事だけが、こんなにも嬉しい。



「……ねえ、その趣味の悪い首につけてるやつ、誰からの贈り物だよそれ」



目を覚ました金髪の王子様は、私の首元を見つめ今にも舌打ちを零しそうな顔で呟いた。
ロマンチックな雰囲気なんて欠片も存在しないセリフに、私は善逸さんの手をそっと頬に当てた。


「ばか」


善逸さんの手に私の涙が零れ落ちた。



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