番外

「じゃあ、禰豆子。後は頼んだ」
「OK、まかせてお兄ちゃん」

店の焼きたてパンをありったけ袋に詰め、エプロンを綺麗に畳む俺。
レジの中の禰豆子はニコニコとその様子を見ていた。
時計をチラチラと確認すると、約束の時間まで20分前だった。
まだ余裕があるとは言え、彼女はきっともう待っているだろう。

「リア充め。デートですか〜なんなら、ここに連れてきたらいいのに」

レジのカウンターに肘をついて、善逸がつまらなそうにぽつりと零す。
横に立っている伊之助は、じゅーっと手に持っていた紙パックのジュースを口に含んでいた。
俺は善逸の方に向き直り、嘘くさい笑みを浮かべる。

「誰かさんの忠告のお蔭で、名前が暫くこの店に来なくなったんだから、連れてくるわけないだろう? 連れてくるとしたら善逸が居ない時にするよ」
「…笑顔で毒吐かないでくれる?結果、くっついたんだから良かったじゃない。俺のお蔭、俺のお蔭」
「善逸」
「わかった、その音やめて。マジ怖い」

名前を呼んだだけだというのに、善逸は途端泣き出しそうな声を上げ、顔の前に両手を上げて降参する。
俺には善逸のように音が聞こえないので、どんな音がしているのかは分からないけれど、
善逸を怖がらせるくらいの威力はあったようだ。

「オイ、時間いいのか?」
「あ、本当だ。ありがとう、伊之助」

黙っていた伊之助が時計を見ながら口を開いた。
善逸を相手にしていたら、いつの間にか時間が過ぎていたようだ。
俺は慌ててパンの入った袋を手に取り、店をドアに手を掛けた。

「いってらっしゃい、お兄ちゃん」
「炭治郎、名前ちゃんによろしくー」
「あぁ、行ってくる」

禰豆子や善逸達にそう言って、俺は店から出て行った。


――――――――――

時間も思ったよりギリギリとなってしまった。
近道するか。

普段は通らない細い路地を抜け、大通りを通る。
そう言えば前、この道を通った時に初めて名前を見かけたんだった。
もう1年前くらいになるけれど。
まさか、あの時の女の子と今、付き合う事になるなんて。
世の中何があるかわからないな。





あの時も、俺は急いでいた。
帰宅前に冨岡先生に見つかり、耳のピアスについて説教を受けていたら、いつの間にか結構な時間が経っていたんだ。
だから、普段は通らないこの道を駆けていた。
母さんが用事でいない今日は、店の方も人が足りない。
いくら禰豆子が先に店番をしてくれるとは言え、まだ中学生の妹に長時間店を任せるのは気が引けた。

ふと、目の前にあるバス停を見るとバスから女の子が降りてくるところだった。
彼女は一人ではなかった。
足の悪そうなお婆さんと手を繋ぎ、ゆっくりバスから下車していた。
バス停のベンチにお婆さんを座らせたタイミングで、バスのドアが閉まる。
それに気付いた女の子が慌てて手を振って、バスのドアを再度開けてもらったようだ。
お婆さんとは連れではなく、女の子がただ一緒に降りてあげただけみたいだ。
俺は優しい子だな、と思って視線を向けていた。

バスの中からベンチにいるお婆さんに笑顔で手を振る様子を見て、微笑ましく思った。

バスが走り去った後、お婆さんが足元に何か落ちている事に気付いた。
その時には俺はバス停の前を走っていたので、足の悪そうなお婆さんに代わって、それを拾い上げた。

「どうぞ」
「ありがとう。でも、困ったわ…」

落ちていたパスケースを渡すと、どうもお婆さんの様子がおかしい。
どうも、そのパスケースは自分のモノではなくて、バスから一緒に降りてくれた学生のものだという。
確かに、パスケースの中身を検めてみると、通学の定期券も一緒に入っていた。
苗字名前という名前の。

「お婆さん、このパスケースは俺が交番に届けます」
「お願いしてもいいかしら…ごめんなさいね」

低姿勢なお婆さんの姿に俺は笑顔で頷く。
急いでいたとはいえ、落とし物を持ったまま店に帰る訳にはいかない。
スマホで禰豆子にだけは連絡をいれておこう。

禰豆子は思っていた通り「大丈夫!」と返事が返ってきたので、俺はほっと胸を撫で下ろしつつ、店とは反対方向の交番へ足を向けた。

交番で落とし物の手続きを済ませて出てきた時には、とっくに日は落ちていた。
遅くなってしまったな、と思ったけれど俺よりも彼女の方が困っている筈だ。
これで少しでも早く彼女の元に届けばいいと願った。

先程のバス停の前を通りかかると、暗い中、スマホのライトをかざしながら地面に向かって何かを探している女の子を見つけた。
それは先ほど、お婆さんと一緒にこのバス停に降り、パスケースを落とした張本人のようだった。
きっと探しているのは先程のパスケースであることが予想されたので、見過ごすわけにはいかない。

「どうかした?」

もう夜になる。
女の子一人でおいてはおけないため、俺は背後からそっと声を掛けた。

俺の声にビクリと女の子が反応する。
ライトを俺の方へ向け「え、えっと…」と困った様子だった。
眼鏡の向こうの瞳が一瞬揺れたのが分かる。

俺は安心させるように微笑んで「落とし物?」と白々しく尋ねる。
彼女は「は、はい…」と言い辛そうに口を開いた。

「定期券を落としちゃって…多分ここだと思ったんですけど…」

やっぱり、あのパスケースの持ち主だった。

「それなら、交番にあるんじゃないかな? きっと誰かが届けてくれているよ」

目の前で自分が届けた、とは何となく言い辛くて、遠回しにそう言った。
すると女の子は凄く喜んだ表情を見せ「そうです、よね!」と早速交番の方へ駆けて行こうとした。
俺も一安心だ、と小さく息を吐いたら、駆け出していた足が止まる。
急に俺の方へ向き、そしてとことこと小さい歩幅が近付いてくる。
何だろう?なんて思いつつ、首を傾げた。

「有難うございます。これ、さっき買ったものなんですけど、良かったら」

彼女の手にあったビニール袋から出てきた、コンビニのチョココロネ。
俺の掌の上に乗せて、彼女は満足そうに「コンビニのやつで一番おいしいパンです」とにっこり微笑む。
思わずポカンとしていたら、彼女が心配そうな顔をしていた事に気付いた。

「あ、あぁ。頂いてもいいの?」
「是非どうぞ。買いすぎちゃったんです」

ゆっくりチョココロネを受け取って、俺は彼女を見た。
すぐに彼女は「では!」と言いながら走り去ってしまったけれど。
何となく、小さくなっていく背中を見つつ、俺は茫然とその場に立っていた。

彼女の姿が見えなくなって、俺も自分の店に向かって歩き出す。
掌のチョココロネを睨みながら、どうしたものかと少し考えた。
持っていても仕方がないので、袋を開封する。

折角の頂き物を食べないわけにいかない。
パクリ、と一口頬張ると彼女の言う通り、美味しかった。

そういえば、ウチの店にはチョココロネ、置いていなかったな。
今度作ってみてもいいかもしれない。
別に深い意味はないけれど、何となくそう思った。




―――――――――――


「遅くなってすまない」

公園のベンチに見慣れた彼女を見つけ、俺は大慌てで駆け寄る。
くるっとこちらを向いた彼女は、俺を見つけて嬉しそうに微笑んだ。

素直に可愛いと思った俺は善逸の言うリア充なんだろうか。

「大丈夫。炭治郎くんを待ってる時間も楽しいの」

ふふ、ときらきらした笑顔を向けられてしまったら。
俺だって何だか胸のあたりがムズムズしてしまう。

彼女、名前の横に腰を掛け、俺は彼女の膝の上にあった手を握る。
ビクリと名前が少し驚いた様子だったけど、すぐに握り返してくれた。
一緒に居るとどうしても触れていたくて仕方がない。
男としてどうなんだと言われてしまうかもしれないが、名前の前では我慢が出来そうにないんだ。

「炭治郎くんって、結構…」
「何?」

それを見て名前が顔を赤らめる。
分かっているけれど、わざと名前の顔を覗き込んで尋ねると更に頬の赤みは増した。
可愛い。

「…そういう所!」
「ん?」

少し怒ったように上目遣いする所も可愛い。
これがわざとじゃない所が、またいい。
口には出さないけど。

「あ、そうだ。パンを持ってきたんだ…食べる?」
「パン!」

思い出したように手に持っていた袋を見せると、まるで棒を取ってきた犬のような顔をして彼女が袋を見つめる。
でもすぐにはっとして、ブンブンと首を振った。
珍しいな。


「ぱ、パンは…後でしっかり全部ちゃんと頂きます。が、その前にこちらを食べてもらいたい、なぁって」


ちらっと背中に隠すように置かれていた弁当袋。
それを両手で持って俺に差し出す名前。

「俺に?」
「そ、そうだよ? 味は…保障しないけど」

唇を尖らせて視線を逸らす名前に、俺は愛しさがあふれ出しそうだった。
きっと俺の為に作ってきてくれたんだろう、可愛らしいお弁当を受け取って俺はにこりと微笑んだ。

「名前」
「なあに?」

俯きかけだった名前の顎に手を添えて、そっとサクランボのような唇を啄んでやる。
リップ音がして顔を離すと唇だけじゃなくて、顔までサクランボの色に変化した名前がそこにいた。

「ありがとう、好きだよ。名前」
「……ッッ!!」

その後何も言わなくなった名前は暫く俺の背中をポカポカと叩いていた。
偶に「炭治郎くんのばか」とか「このタラシ!」とか聞こえるけど、知らんぷりしておく。


でも小さな声で「私も」と言っていたのだけは、口が綻んでしまったけれど。






「私、チョココロネ好きなんだー」
「知ってる。コンビニのチョココロネが好きなんだろう?」
「何で知ってるの!?」
「さあ?」
「…でも、一番はかまどベーカリーのだからね!」
「……はぁ(何もせずに帰せる気がしない)」