08

「ここまで連れてきてしまって、すまない。……名前は、気にしないでいいから」

私が泣きそうになっている顔を見て、炭治郎くんが安心させるように微笑んだ。
違うの違うの、そう言う意味じゃないの。
言葉が出ない代わりに首を横に振る。違うの、炭治郎くん。
ポタポタと私の膝に落ちていく雫を、拭う事もしないで炭治郎くんを見つめる。
歪んだ視界の中の炭治郎くんは、優しい笑みをしたまま空いている手でそっと私の涙を拭ってくれた。

「ただの、独り言だから」

炭治郎くんはもう一度、そう言うと今度は私に重ねていた手を離して立ち上がろうとする。
やだ、帰らないで、違うの、炭治郎くん。
こんな時まで私は本当に情けない。
炭治郎くんは私に告白してくれたのに、返事もしないなんて。

学校で決めた覚悟は何だったのか。
いつまでもウジウジしている場合じゃない事くらい、分かっている。

だから、


「た、炭治郎くん!」

やっと喉の奥から言葉となって発することができた。
立ち上がった炭治郎くんの手を掴んで、下から見上げるように顔を見る。
ちょっと驚いた顔をした炭治郎くんは「どうしたんだ?」と何事も無かったように、尋ねてきた。
無かったことになんて、しない。

「わ、私の話も…聞いてくれる、かな?」

ずっと、言えなかったことがあるの。

そう言うと、炭治郎くんの瞳が揺れた。
そして、また同じ場所に座り直し「聞くよ」と優しく言ってくれた。


はぁ、と小さく息を吐いて胸に手を当てる。
緊張する、炭治郎くんもそうだったのかな。
でも、私よりきっと炭治郎くんの方が緊張していただろうし、今も不安だと思う。
炭治郎くんが伝えてくれた事、私も伝えなくちゃ。


「あのね、私、好きな人がいるの」


最初は小さな声だった。
でも隣にいる炭治郎くんにはよく聞こえていたようで、一瞬目を見開いたけど「…うん」と頷く。
息を吸って、私は続けた。

「素敵なパン屋さんのお話を、学校で聞いたの。すぐに行ってみたくなっちゃって、その日の放課後に行ったんだよ」
「…それって、うちの…」

炭治郎くんの目と私の目が合う。
私だって炭治郎くんを安心させてあげたい。
きっと不器用だったと思うけど、にこりと微笑む私。

「パン目当てで行ったのに、素敵な店員さんがいて、ね。私は、その店員さんに会いに毎日通うようになったの。…あ、勿論パンも好きだから!」

慌ててそう言うと、隣からクスっと笑う声が聞こえた。
こくりこくりと頷いて、炭治郎くんは黙って聞いてくれる。

「…人を好きになったの、初めてだったんだ。だから、自分からアプローチするなんて出来なくて…でも、会いたいから毎日通ったの。でもね、店員さんのお友達に『相手は気付いてるよ』って言われて、凄く恥ずかしくなっちゃって」

言いながら私の頬も赤くなってきているだろう。
でも、伝えたい。
炭治郎くんに、聞いて欲しい。

もう恥ずかしくて炭治郎くんの顔は見れない。

「店員さんの表情がね、私とお話している時、つらそうだったんだ。それを見て『もしかして嫌われてるんじゃないか』って…思って」

段々語尾が小さくなってくる。
でも私の声よりも大きい声で炭治郎くんが言った。

「嫌いじゃない」

私の手をまた握ってくれた。
握られた手を見ながら、ゆっくり顔を上げる。

「…あ、」

顔が赤いのは私だけだと思っていた。
でも、炭治郎くんの顔も夕焼けみたいに仄かに染まっていた。
目は私をじっと捉えて、握った手に力が籠っている。

心臓の音が炭治郎くんに聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい、大きな音を立てていた。

次の瞬間には握られた手を引かれ、そのまま身体は炭治郎くんの胸へ。
突然の事で反応できなかった私は、瞼をぱちくりとさせて「え、え…?」と混乱するばかり。



「好きだ、名前」



そっと炭治郎くんに抱き締められ、耳元で聞こえた声に私はまた言葉が出なかった。
だけど、私もきちんと伝えたくて代わりに背中に手を回しておく。


「…私も、炭治郎くんが好きだよ」


ずっと、そうだったらいいのにって思ってた。
夢のまた夢、都合の良い夢物語だとしても、願ってやまない。
でも、叶った。
いるのか分からない神様に、心中で感謝を述べた。




「あ、あの…炭治郎くん?」
「どうした?」
「そ、そろそろ、離してくれると嬉しいんだけど、な…?」
「…………わかった」

随分回答に時間がかかったなと思いながら、そっと炭治郎くんの身体が離れて行く。
暫くくっついていたから、いい加減私も恥ずかしくて恥ずかしくて死にそうなんだ。
早死にはしたくないから、離れてくれて助かった。

「あ、そうだ」

私を見ていた炭治郎くんが何かに気付いたような声を上げた。
そして、炭治郎くんが横に置いていた袋から、二つの塊を取り出して、一つを私に渡してくれた。
紙に包まれたそれを開けると中から、美味しそうなチョココロネが顔を出した。

「冷めちゃったけど、それでもよかったら」
「ううん、冷めても絶対美味しい! ありがとう、炭治郎くん」

ふわっと香るチョコの匂いに私の頬が緩んでしまう。
早速パクリと一口。

ほら、思った通り。


「美味しくて、ほっぺが落ちちゃう…」


私の言葉を聞いて炭治郎くんは嬉しそうだった。
二口、三口と食べ進んでいたら、炭治郎くんが私の顔を覗き込んできた。

「な、なに?」
「名前、チョコがついてるよ」
「え、えっ!」

言われて急いでそれらしいところを指で拭ったけど、指にチョコはついてない。
顔にチョコを付けてるなんて、子供みたいだ…。

悪戦苦闘する私の手を炭治郎くんが掴んだ。
そして炭治郎くんの顔がゆっくり近付いてくる。


唇の横に柔らかい感触があって、気付いた時には炭治郎くんの顔は離れていた。


「ここだよ」


何をされたのかを理解するまで、ラグがあった。
でも理解をしてしまうと、体全体の血液が沸騰するかと思うくらい、体温が上昇してどうしていいかわからない。

「ききき、きき、き」
「ごめん、あまりに可愛くて、つい」

キス、された?
ふっと優しい笑みの炭治郎くんは全然恥ずかしそうじゃない。
こ、この人、ナチュラルにこういう事が出来る人なんだ!
恐ろしい人だ…。

炭治郎くんに恐れおののいていると、また炭治郎くんの顔が近づいてきた。


「もう一回してもいいだろうか。今度は、口に」


あ、今度はちょっと恥ずかしそうだ。
炭治郎くんの頬に僅かに見えるピンクの色彩。
私の顔はきっとピンクどころではないと思うけど。

言葉に出来ないから、コクコクコクと鳩のように頷いた。
それを見てまた炭治郎くんは笑って、私の眼鏡をそっと取った。


「俺と付き合って欲しい」
「…あ、ふ」


私が返事をする前に私の唇は炭治郎くんのそれに塞がれてしまった。

答えなんてきっと、分かりきっているだろうけど。






「炭治郎くん、聞きたかったんだけど…」
「うん?」
「どうして、初めて会った時、私の名前知ってたの?」
「……あぁ、それは…俺が以前から名前の事、知ってたから」
「…えっ?」

吃驚して炭治郎くんの顔を見たけど、炭治郎くんは楽しそうに唇に指を当てて「内緒」と言った。








あとがき
炭治郎中編これで終わりです。
ちなみにあと一話、番外があります。
フラグだけ最後に残しているので、どんなお話なのか皆さんお分かりかもしれませんが…。
落ち着きましたら、番外を更新させて頂きますね。
この度はご拝読頂きまして、誠に有難うございました!