07



義勇さん…冨岡先生と出かけてから、何だかふとした時に冨岡先生のあの微笑みを思い出してしまって、
何だかぼーっとする事が増えた。
そもそもイケメンと出かける事自体初めてだったから仕方ないかもしれないけれど。
だから、お昼休みに冨岡先生とお昼を食べていても、あの時の光景が思い出されてしまって、少し気まずい。

はあ、と誰もいない保健室でため息を吐いた。

こんなんじゃだめだ、しっかり仕事しないと!
気を取り直して、目の前のカルテに書き込んでいく。
そう言えば、今日は珍しくカウンセリングが入っていたんだった。
不死川先生から暫くしていなかったけれど、他の先生もちょくちょく相談してくれるようになった。
少しずつメンタルヘルスが広がってきているみたいで、嬉しい。

コンコン、と保健室のドアが鳴る。
もう、そんな時間だったっけ。
時計をちらりと見ると、確かに約束の時間の五分前だった。
ノックの相手は分かっているけれど、ドアの前で「入ってもいいだろうか!」と大きめの声を出しているその人で確認した。

大慌てでドアに走り、扉を開けるとやっぱりその人だった。

「どうぞ、煉獄先生。お待ちしておりましたよ」

ギョロっと大きい瞳に、凛々しい眉毛。
そして何よりインパクトのある髪の色。
腕を組んだ煉獄先生はぱぁっと表情を明るくして「そうさせてもらう!」と私の後に続いて入って来た。

いつものようにソファを勧め、私が煉獄先生の向かいに座る。
手にはちゃんとノートとシャーペンも準備してある。

「あ、始める前にお茶をお出ししますね」
「気を遣わなくていい!こちらが相談させて頂いているのだから」
「…ありがとうございます。でもお茶があった方が話しやすいと思いますよ?」
「そうか!なら、お願いしてもいいだろうか」

眉を八の字に垂らし、申し訳なさそうに言う煉獄先生。
私は返事の代わりに笑顔でこくりと頷いた。
最近仕入れた紅茶がある。
美味しそうだったから、是非カウンセリングの時に出そうと思っていたんだよね。
カップに注いで、煉獄先生の前にことりと置いた。

「どうぞ」
「ああ!ありがとう」

煉獄先生は大きな手でそっとカップを持つと、一口含んで「うまい」と声を上げてくれた。
その様子に私も満足気で向かいに座る。
さて、本題に入りましょうか。

「煉獄先生は悩みなんて無さそうに見えますけど…」
「いや、そんな事はない! 事実こうして、苗字に聞いてもらおうとしているのだから」
「どんなお悩みですか?」

私がノートを広げ首を傾げると、普段と変わらない様子で煉獄先生は口を開いた。
悩みがある人、というのは皆口に出すのを嫌がる人が多い。
けれど、煉獄先生はその点堂々としていて、俄かに悩みがあるのかとまだ信じられない。
それでも私と話す事で解決につながるかもしれない。

「俺の声が、五月蠅いらしい」
「…え?」

ハッキリとそう言い切る煉獄先生。
言われた言葉の意味を理解するのに数秒掛ったけれど、どうやらそのままの意味だったみたい。

「煉獄先生が五月蠅い、って言われているんですか?」
「そうらしい」

何だろう、少し煉獄先生の表情も困ったような顔をしている。
まあ、困るだろうけれど。
煉獄先生の授業は生徒に人気だ。
ハキハキとハッキリ説明してくれるので、非常に分かりやすいと好評だったはず。
彼自身も女子生徒からの人気も厚い。
そんな彼に今更五月蠅い、なんていう人がいるんだろうか。

「そんな事…誰が」
「…すれ違いざまに生徒たちが話していた。俺はそんなに喧しいのだろうか?」

煉獄先生の頭の上に犬の耳のようなものが見える。
その耳がシュンと垂れ下がっているような気がして、何だか可哀そうになってしまった。
多分、その話をしていた生徒は深く考えずに口にしただけだと思う。
声が少し大きい、という意味だったのかもしれない。
決してそれは悪い意味ではなくて、分かりやすい授業をしてくれる、という感想を述べていただけのような気がする。

「…確かに煉獄先生のお声は遠くまでハッキリ伝わりやすいですけど」
「そ、そうか…!」

少しショックを受けたような顔でこちらを見る煉獄先生。

「でもそれは煉獄先生の長所だと私は思いますよ。それに、生徒たちから不満として挙がってきてはいないですし」

実は先日、生徒全員にアンケートを実施したのだ。
授業や休み時間、または友達との生活の中での困った事や気になる事を書いてもらえるようにしたプリントを配ったのだが、
そこでは煉獄先生の話題はほとんど出ていない。
一番多かったのは、冨岡先生の指導方法改善を求む声と宇髄先生の教室から聞こえる騒音についてだった。
煉獄先生の話題は0ではない。でも、確か…

「煉獄先生は生徒に好かれていますよ。放課後勉強に付き合ってくれた、とか…授業が分かりやすい、とか。そう言った話は聞きました。ですので、きっとその生徒も先生の授業の様子を、喋っていただけではないでしょうか?」
「…そ、そうだろうか!」

煉獄先生は嬉しそうに目を輝かせて私を見る。
いつもの煉獄先生に戻ってくれたようで、私も嬉しい。
煉獄先生に微笑んで「ええ」と言うと、さらに煉獄先生の表情は明るくなった。

「もしまだ心配でしたら、今度授業の様子を見に行っても宜しいですか?」
「あぁ、頼む! 第三者から見て貰えると安心だ」
「わかりました。今度、都合をつけて見学に行かせてもらいますね」

ノートに授業の見学、と分かりやすく大きめに書いて私はノートを閉じた。
自分の前に置いたカップを手に取り、一口頂く。
煉獄先生はやはりいい先生だ。
生徒が嫌がっていないかを考えてここまで相談に来てくれる。
自分の悪い所を改善しようとする気持ちは、本当に大切だ。

「何だか、とっても気分が良い!」
「それは良かったです。煉獄先生のお声、私好きなので自信もって下さい」
「…ありがとう!」

煉獄先生のお顔が一瞬、固まったような気がしたけれど、すぐにいつもの煉獄先生の爽やかな表情へ戻った。
キラキラした笑顔だ、凄い。
思わずそのオーラに圧倒されていると、煉獄先生が「苗字」と私の名を呼ぶ。

「何でしょうか?」

そう尋ねると、煉獄先生はそのままの笑顔で「名前で呼んでもいいだろうか!」と叫んだのだ。
ええ、叫んだんです。

突然ボリュームがアップした事で思わずポカンとしてしまった。

「名前…?」
「あぁ。苗字の名前だ」
「あー…どうぞ?」
「わかった! これからは名前と呼ばせてもらう!」

なぜ突然名前呼びになったのかはわからないけれど、別に嫌ではない。
呼んでもらう分には全然構わないので、了承した。
相変わらずの笑顔でうんうんと頷く煉獄先生。


「では、そろそろ失礼させてもらう事にしよう」
「そうですね。お疲れ様でした、煉獄先生」


そう言って、ドアの方まで煉獄先生を見送る私。
廊下に出た煉獄先生がくるっとこちらを見て、そしてまたあのキラキラした顔で


「じゃあ、また来るよ、名前。今日は本当にありがとう!」


そこそこ大きい声で、手を振りながら立ち去る煉獄先生。
…えーっと、さっきはああ言いましたが、
五月蠅いと零した生徒の気持ちが少しだけ分かるような気がしますよ、わたし。
そんなに大きな声で名前を言わないで欲しい、少し恥ずかしい。

はあ、と煉獄先生の背中を見つめてため息を吐いた。


冨岡先生も、名前を呼ばれて恥ずかしかったのだろうか。
先日のお出かけの時に「義勇さん」と呼んだけれど。
嫌じゃなかったらいいな。

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