08



目的の教室の前で足を止めた私は、そーっと中の様子を確認しつつ、生徒の気が散らないようゆっくり後ろのドアを開けた。
ドア付近の生徒は私の方を見て気になっていた様子だったけれど、それも一瞬で終わる。
大きな音を立てないように中に侵入し、一番後ろのロッカーに背中を預け黒板に目をやる。
そうすると、目の前で授業を行っている煉獄先生と目があったけれど、すぐに優しく微笑んでくれて私までつられて笑ってしまった。

何故私が煉獄先生の授業中の教室にいるかというと。
前に煉獄先生が「自分の声が五月蠅い」と心配していたからだ。
私は別に問題ないと思っているけれど、実際の授業ではどうなのかを一応確認するため、この場にいる。
とは言え、その心配は杞憂に終わりそうだけれど。

勿論教室に入る前から、廊下で暫く中の様子は確認していたけれど、煉獄先生が心配するほど五月蠅く感じたりはしなかった。
教室に入ってからもそれは同様。
とても聞き取りやすい声で、後ろの生徒の耳まではっきりと認識しやすい声だと思う。
授業の声が聞き取りづらいと何が起こるかというと、まず生徒の表情が変わる。
酷く退屈そうな顔になり、最終的には寝る。
でもこの教室の生徒はそんな事はないし、皆黒板を追い、煉獄先生の言葉で教科書に目をやったりと忙しそうだ。

やっぱり煉獄先生の杞憂で終わりそうだ。
もう私のお仕事はこれで終了なのだが、久々の歴史の授業。
最後まで聞いてもいいかもしれない。

結局私は授業が終わる時間まで、後ろで耳をそばだてていた。


――――――――――――


「本当に助かった、ありがとう!」
「いえいえ、お気になさらず。私も久しぶりの授業、楽しんで聞いていました」

授業後、生徒が移動教室のため教室には私と煉獄先生しか残っていない。
先程の授業の所見を述べると煉獄先生は凄く嬉しそうにしていた。
なんだかいい事をしたなぁ、とこちらの気分まで良くなってしまう。

「生徒たちも良い子ばかりで良かったです。私が教室に入って授業の迷惑にならないか心配でしたから」
「邪魔になんてならない!名前には本当に感謝しかない」

はっきりとそう言って頂けるのは素直に嬉しい。
私も煉獄先生に「ありがとうございます」と呟いて、微笑んだ。

「では私は保健室に戻ります。また何かありましたら、お気軽にご相談下さいね」
「あ、あぁ!名前、このお礼はまたさせてくれ!」
「いえいえ、お気になさらず! 当然の事ですから」

少し興奮気味に大きな声でそう言う煉獄先生。
私は心の中で少しだけ笑って、煉獄先生の教室から出た。



廊下を歩いて保健室に向かおうとした時、背後で人が歩いている気配があった。

「苗字」

私が振り向く前に、背後の人が声を掛ける。
それは紛れもない冨岡先生のものだった。
すぐに振り返ろうと思っていたので、そのまま振り返り「あ、冨岡先生!」と答えると、何だか様子のおかしい冨岡先生がそこにいた。

何だろう、こう…気まずいような?
いつもの冨岡先生なら、私の目を見つめてお話してくれるけれど、今日はその視線は俯きがちである。
どうしたんだろう?

「冨岡先生、どうかしました?」

そっと近寄って尋ねるけれど、冨岡先生との視線は合わない。
どうしたんだろう?

「あ、いや…何でもない」

すっと顔まで逸らされて、私の横をすり抜けていく冨岡先生。
私は冨岡先生の背中を首を傾げて見つめる事しか出来なかった。
今日の冨岡先生、何だか変だ。
まあ、後でお昼の時に聞いてみてもいいかもしれない。

そんな事を考えながら、私は保健室へ足を進めた。



――――――――――――――


お昼のチャイムが鳴り、お昼休みを告げた。
そして間髪開けずに保健室のドアがノックされる。
あまりに早いご登場に正直困惑した。

「どうぞ」

ドアに向かって声を掛けると、すっとドアは開いて、午前中同様視線の合わない冨岡先生がパンを持って入って来た。
黙ってそのままいつものように、私の向かいに座り、パンの袋を開けようとする。
いつもなら、保健室にやってくるのももう少し後なんだけれど。
ちらっと時計を見てびっくりする。
やっぱり今日の冨岡先生は変だ。



「義勇さん…?」



パンを持った義勇さんに声を掛けてみる。
私が名前を呼ぶとビクリとその手が止まり、ちょっとだけ、ちょっとだけ私の方に顔を向けた。
相変わらず視線は合わないけれど。

「……何だ」
「何かありました? 体調が悪いとか…」

身を乗り出して、義勇さんの額に手を伸ばそうとした。
ただ熱があるか見たかっただけなんだけれど、それは額に触れる事なく、義勇さんの手によって掴まれただけだった。
まさか掴まれると思っていなかったので、引っ込めようとしたけれど義勇さんの掴む手が強くて引かない。
更に訳が分からない。これは本当に義勇さんがおかしい。

「どうしたんですか?」

もう一度問うてみる。
義勇さんの顔を覗き込むように尋ねるとやっと義勇さんの口が開いた。

「…何でもない」

いや、嘘だし。
そんな何かありました、というような態度で何でもない訳ないでしょう。
今だって義勇さんと視線は合わないわけだし。

義勇さんの良い所の一つ。
人と目を逸らさない事だ。
なのに、今日はそんな事ない。
何かあったと考えるべきだし、実際そうだろう。
まあ、言いたくないならいいんだけど。

ちょっとしたモヤモヤを感じながら口を噤んでいると、私が唇を尖らせている事に気付いた義勇さんがぱっと手を離した。
黙って私も腰を下ろし、自分のお弁当を広げる事にする。
いつもは私が色々喋って義勇さんが答えてくれるけれど、どうしても今日はそんな気分になれない。
お昼休みに一緒にご飯を食べるようになり、そしてこの前は休みの日にデートっぽいことまでした。
別に深い意味は無いけど。
結構義勇さんとは仲が良くなってきたと思っていたけれど、こうしてみるとまだ壁があるみたい。


「……もう聞きませんから」


不機嫌を装ってそう言ってみた。
何だろう。別に不機嫌になる必要はないのに。
人には言いにくいことがあるって、分かっている筈なのに。
それでも目の前のこの人には隠し事をしてほしくなかったと思っているのだろうか。
変なのは私もなのかも。


その日のお昼休みは、未だかつてない程楽しくないお昼休みだった。

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