あれから我妻はウチに来なくなった。
休みの日に朝から晩まで入り浸る事もない。
平日に晩飯を食べるまで居る事もない。

連絡は来る。
何事もなかったような、連絡は。
元々来ていた連絡だって「めしなに」とか「いまどこ」とか疑問符でさえないような素っ気ない連絡だったから、これは変わらない。
でも電話は来ない。

気を悪くした、んだと思う。
最初の話と違うし、私が拒否ったからこれは仕方ないと思う。
でも私もこれ以上我妻の顔を見るのがしんどいから、丁度いいなって思った。
まだ胸は痛いけれど、きっとこのまま何事もなかったように時が過ぎれば、きっと前の様になれると思う。
それくらい大人になったつもりだ。
学生の時の様に、バカみたいにずっと一人の事しか考える事もない。
大丈夫、大丈夫。

自分にそう言い聞かせて、胸にしまい込む。



会社で「いつにする」と書かれたスマホ画面を見て、ため息を吐く。
これはきっと合コンの日程を聞いているんだろう。
自分で言っておいて傷つくなんて、子供なんだろうか。
いい大人が情けない。

小さく痛む胸を気にしない振りをして、隣でキーボードを叩いている後輩に声を掛けた。

「イチゴちゃん、相談があるんだけど」
「はぁい、OKです、5秒待ってください」

画面から目を逸らす事なく、イチゴちゃんは返事をしてくれた。
彼女は私の1つ下の後輩だ。イチゴちゃん、というのは愛称ではなく本名。珍しい名前だから、この会社の女性陣には「イチゴちゃん」と呼ばれている。
少しぶりっ子な所はあるけれど、勤務に支障はないと私は思っている。
ゆるめに巻いた茶色の髪が揺れ「何でしょう?先輩」と愛くるしい顔がこちらを向いた。

「あの、知り合いの会社の人と合コンしようかと思うんだけど、イチゴちゃん、どう?」
「年齢は幾つですか? メンツは何人で? それから職種は?」

あまり私語は良くないから小声でこっそり言ったんだけど、思いの他気を引く話題だったみたい。
キラリとイチゴちゃんの目が光って、矢継ぎ早に質問が飛んできた。
ぶりっ子な装いなのに肉食的な彼女の様子に圧倒されながら、私は一つ一つ答えていく。

「私の年齢より上はいないよ。あと向こうは3人。職種は…何だっけ?」

我妻から聞いていた情報を開示していくけれど、そう言えば私、我妻の仕事知らないや。
まあ、知ったところでどうということはないんだけど。

「せんぱぁい、そこ大事ですよぉ? 今度聞いておいてくださいね。で、こっちのメンツはどうします?あと一人ですけど」
「あ、イチゴちゃん参加してくれるの? 私は控えようと思っているから、他の人誘ってもらっても…」
「せんぱぁい、そんなんだから彼氏いないんですよぉ。強制です〜」
「…わかった」

何だろう、私の方が先輩だというのにこの言われよう。
今の私にグサグサと刺さる一言を持ってくるあたり、この子は天然風ぶりっ子なんだなと思い知った。
彼氏なんて、今要らないよ…。

ちらっと頭に浮かんだ金髪を振り払う事が出来なくて、またズキズキと胸が痛んだ。

「うーん、誰でもいいなら、あの子にしますけどぉ?」

少し考え込むような素振りを見せたイチゴちゃんは、ふと人差指をフロアの端に向かって指した。
あぁ、あの子ね。
視線を向けたら、眼鏡の大人しそうな女の子が目に入る。
あの子は沙耶ちゃん、見た目では考えられない肉食系女子だ。

「いいよ。じゃあ、後で誘っておいてくれる? 店はどうしよっか」
「適当にピックアップしておきまぁす。予定の日程だけ開示希望ですぅ」
「了解」

出来る後輩なのは素晴らしいけれど、もっと喋り方を変えるといいと思うんだけどな。
可愛いからいいのか。
あっという間に合コンの予定が決まってしまった。
一応立場的に私が幹事なんだろうけれど、合コンマスターのイチゴちゃんがサポートしてくれるなら、問題なさそう。
彼女の夢は寿退社すること。
なので、目ぼしい独身男性を狙うために合コンに参加しまくっているらしい。
心強い。

「あ、そういう訳で今日、帰り付き合ってくださぁい」
「え?」
「合コンに着ていく服、買いに行きますよ〜。先輩もね」
「私、家にあるやつでいい」
「強制ですぅ〜」

有無を言わさない後輩の態度に、やっぱり私は先輩の威厳がないんだろうかと少し傷ついた。
でもまぁ、気は紛れるか。
早く家に帰っても、最近は嫌な事しか考えないし。
「おっけー」とひらひら手を振って私達は業務へと戻ったのだった。


――――――――――――――

「一応確認しておきますけどぉ、先輩の知り合いって何の知り合いですか?」

イチゴちゃんの買い物に付き合い、そしてイチゴちゃんの倍の時間を掛けて私の服選びが完了した後。
晩御飯のパスタをつつきながら、イチゴちゃんが不思議そうに尋ねた。
パスタを巻いていたフォークが思わず止まってしまった。

「何の…って」
「ほらぁ、友達とか、元カレとかぁ」
「あぁ…学生の時の友達」

どういう関係かと聞かれればそう答えるしかない。
一瞬それ以上になったけれど、自ら手を引いた。
どうしてもチラつく金髪の幻影にまた息を吐いた。

「何でそんなに沈んでるんですかぁ?」
「沈んでない。買い物に疲れただけ」
「ほんとですかぁ?」

ちらっと上目遣いでこちらを見るイチゴちゃん。
本当によくできた後輩だ。
先輩の顔色すら把握しているとは。
後輩に末恐ろしさを感じながら、また手元を動かす私。

「ちなみにイケメンですかぁ?」
「…うーん、イケメンだと思う」

少し惚れた弱みもあるかもしれないけど。
別に顔は悪くないんだよね、我妻は。

「ふぅん。頑張ってお洒落しないとですねぇ」
「そうだね」
「先輩もですよぉ?」
「わかってるって」

こんなに乗り気になれない時点で、合コンに参加するのはどうかと思うけれど。
足元に置かれた買い物袋を見つめて、また息を吐いた。
イチゴちゃんに言われるまま買ったけど、これ着て行かないといけないのか。

「違うやつ着てきたら怒りますからねぇ?」
「分かったってば…何で私まで買い物してるの」
「先輩の私服ってぇ、クソダサすぎるんでぇ」
「……」

ニコニコと清楚な微笑みをばら撒きながら、毒しか吐いてない。
別に人に見せるための服でもなかったから、家出は適当にキャラクターもののTシャツばかりなんだけど
後輩にクソダサって言われるなんて。
今度服買いに行こうかな。

「沙耶の方はぁ、完全に狙いにいってますからぁ。先輩も気を付けましょうね?」
「あ、そうなんだ」
「狙いの殿方を取られないようにしてくださいよぉ」
「そんなのいるかな」

そう言ってパクリとパスタを口に含むと、目をぱちくりとさせたイチゴちゃんと目が合った。



「その知り合いって、最近一緒に過ごしてる人なんじゃないんですかぁ?」



ピタ、と完全に私の手が止まる。
その様子を見て察したイチゴちゃんが続けた。

「先輩の同期の…誰でしたっけ?あの、超ムカつく人。あの人が触れ回ってましたよぉ? 苗字に男がいるって」

唇を尖らせて言う姿も可愛らしいけど、バクバクと心臓が鳴り響いていてそれどころではない。
あのクソ野郎。人のネタをパクるだけじゃなくて、とんでもない噂まで流してくれたな。
怒りで指先がプルプルし始めてきた。

「その様子だと図星ですかぁ? あの人の言う事、信じてなかったんですけど、マジなんですね」
「マジでもない。ただの友達だし。最近、よく飲むから」
「ほんとですかぁ?」
「ほんとだって」

私がそう言うと、納得のいっていない顔で「ふぅん」と呟くイチゴちゃん。
全然信用してないな、この子。
察しの良い後輩を持つ先輩は大変だ。

それから全然味のしないパスタを食べながら、私は当日は地蔵にでもなろうかと思いを馳せていた。


トップページへ