今日も残業を終えて家に帰ってくると、見慣れた頭の見慣れた人影が私の家の前に立っている。
それが視界に見えたあたりから、私の視線は鋭いものになっているけど、とうの本人は気付いている癖に知らん顔でずっとそのまま。
最近はずっとこうだ。
この前の一件は会社まで迎えに来たけど、ちゃんと連絡を入れるようにしたら何故かずっと家の前で待っている。
だって連絡を入れないと、鬼電されるんだもの。

…ありえない。
彼氏彼女の関係なら、アリだと思うけど。
私達は所謂、体の関係というやつだ。
それなのに毎晩家にやってきては、晩御飯を食べ、そして帰るなんて。
訳が分からない。

今日も例外ではないんだけど。

「おかえり、名前」
「ん」

渋々、自分の家の前にたどり着くと、スマホから視線を逸らさずに我妻が言う。
私がドアを開けやすいように、体を避ける。
ポケットから家の鍵を取り出し、私は鍵を開けた。
途端、後ろの我妻も当然のように家の中に入ってくる。

「今日の飯、どうするー?」
「あー、ラーメン買ってきた。食べる?」
「食べる」

言いながら思ったけど、何で当然のように私がこいつの飯まで用意しているんだろう。
最近日課となりつつある、スーパーへの寄り道。
自分一人ならコンビニで十分なのに。
朝ご飯で使った皿を洗おうとしたら、背広を脱いだ我妻がさっと腕を捲る。
洗ってくれるの、有難い。
私はその間に自分のジャケットを脱いで、同じように腕を捲った。
スーパーの袋から白菜と煮卵を取り出し、白菜をさっと水で洗う。

二人とも無言でご飯の用意をしているのが、何だか変で。
何か喋らないとと思うけれど、こうも毎日一緒だと喋る事もない。
我妻だって、つまらない筈なのに何で毎日やってくるんだろう。
別に食費が浮いているわけでもないし。
何故なら、我妻は律儀に食費は清算してくれるから。

それに…。


「何で、毎日来るの?」


とうとう思っていた言葉が漏れた。
皿を洗う横顔に尋ねると、我妻は何でもないような声で「別に」と答える。
別にってなんだよ別にって。そんなわけないでしょ。

ゴトン、と白菜の使わない部分を切り落とし、小袋にポイする。

「しかもちゃんと飯を食べたら帰るしさ。何で?」

ザクザク、と包丁の音が部屋に響く。
我妻は考えているのか、すぐに口を開かない。

だって、私達は体の関係なんでしょう。
あの日我妻にそういうお友達になろうと言われてから、そういう事、一回もないじゃん。
ただ毎日我妻が来て、ご飯を食べて、健全な時間?かわからないけど、遅くならない時間に帰るし。
絶対その方が我妻もしんどい筈なのに。


「まあ、そうだね。……何なら、俺は名前とやる事やってもいいんだけど」
「ブフォ」


悶々と考えていたら、我妻がやっと口を開いた。
けど、あまりの発言に思わず私は吹き出してしまった上、サクっと指を包丁で撫でてしまった。
包丁を置いて指を見ていたら、すーっと血の線が浮かび上がる。
あ、切った。

「えっ、切ったの!?」

我妻が慌てて声を上げる。
あんたの発言のお蔭でね。

水で流そうと、我妻に「退いて」と言ったけどシンクから退かない。
泡が付いた手をさっと水で濡らし、私の切った指を掴む我妻。
それを見ていたら、自然な動作で私を指は我妻に食われた。

「は?」
「ん?」

指を引っこ抜こうとしたけど、指だけじゃなくて手首まで掴まれていて抜く事が出来ない。
ペロリと私の指から口を離した我妻は、私をみてニヤリと笑う。

「刺激強すぎた?」
「あのねぇ…」

やっと離してくれた手をすぐさま引っこ抜き、ケガしてない方の手で擦る私。

言おうとしていた事はあったけど、ニヤニヤ笑う顔に気力が失せてしまう。
ほんと、分からない。
コイツが。

そしてコイツの一個一個の動作でドキドキしつつある、私も。

面倒だな、と思う。
このままだと。
そのまま育ってしまったら。
その感情の名前を知らない年齢ではない。
そこそこ経験している、けど実った事はない。
だからこそ、今回も実る訳がない。


「我妻さぁ」
「なに?」
「彼女欲しい?」


包丁を持ち直して、白菜を切っていく。
我妻の方は見ない。
見れない。

私の言葉に我妻は即答で「欲しいよ」と答えた。
ですよね、あんた女の子好きだもんね。昔から。
切った白菜をボールに入れて、チラっと我妻を見ると、我妻はずっとこっちを見ていた。
まさか見られていると思ってなかったから、ちょっと吃驚した。


「欲しいよ」


いつもの我妻はへらっとしていて、なよっとしているのに、そう口に出す我妻は真剣な目で私を見ていた。
ズキン、と胸が僅かに痛む。
ああ、そう、面倒だ。


「今日、会社の子が合コンしませんかーってさ。あんたの会社の人とウチでしない?」


面倒な感情に蓋をして、今日の会社の出来事を呟いた。
我妻の目が一瞬開かれて、すぐに「合コン?」と零した。

「そう。うち、女の子多いし。みんな寿退社するから、独身ばかりだし」
「何それ、俺に合コンセッティングしろって言ってんの?」
「彼女欲しいんでしょ。優しい私が見繕ってあげるって言ってるの」

我妻の声が低くなる。
機嫌が悪そうだ。怒ってる。
でも、私は止まらない。


「さっさと良い人見つけてよ。そしたら、私、あんたとお友達に戻れるんだからさ」


そう、ただのお友達。
こんな体の関係じゃなくて。
ズキンズキン。

小さかった胸の痛みもどんどん大きくなる。
本当に面倒だ。
必死に理性で痛みをこらえる。

好きじゃない。

我妻の事、好きじゃないよ。

ただの友達だよ。

分からずやの自分に言い聞かせる。
我妻は良い奴だ。
大切な、友達。
だから、好きになっちゃいけない人だ。


「俺に彼女が出来ればいいと思ってる?」


皿を洗う手を止めて、我妻がそう言う。
私は自分の手は止めない。
止めてしまったら、我妻に捕まる気がしたから。


「最初から言ってるじゃん。私は、我妻と友達でいたんだって」


お鍋に水を入れようと、我妻に手で「退いて」と動かしたけど、動かない。
動かないから、無理やり横から水を入れようと手を伸ばした。
その手は我妻の手によって止められ、そして。

凄い力で腕が引かれたと思ったら、自分の顔の前には我妻の顔があった。


初めてかどうかわからないけど、素面では初めての唇の感触と共に。


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