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 訓練兵になってから、よく見聞きするようになった言葉で恋がある。あたしにはよく理解できないし、しそうな予兆もないので、そこまで興味はないのだが。食堂や宿舎やらで、嫌でも耳に入ってくることだ。女子が固まって、どの男は嫌だとか、訓練兵の中で誰がかっこいいとかの話は日常茶飯事だった。そこでよく話題に挙げられるのが、ライナーだと言うのはそこで知った。巻き込まれた形で聞いた話では、がたいが良いところや頼りになるところが評価が高いポイントらしい。ライナーが人気なので、よく一緒にいるあたしはライナーについて聞かれる。好みのタイプはクリスタみたいな人、と答えていてるものの、的確な助言をできているかどうかは怪しいところだ。会話から察するに、恋バナではあたしが気にしていなかった視点から人を見ているらしかった。言動がどう、だとか性格がああ、と言った話はあたしでもわかるけれど、女子の会話は容姿が含まれた途端に複雑化する。あの言葉は誰に言われるんだったら良いけど、誰だと駄目だ。とか、そんな具合だ。そもそも、恋がよくわかっていないのだから、そういった話に付いていけないのは当然かもしれないが。ずっとその態度でいたからか、一時期、ノエルは性的嗜好が女性でアニと出来てるんじゃないか、という話が湧いて出たこともある。自分が恋愛をするとしても性別を気にするとは思えないので、どう否定しようか悩んでいる内に収まっていた。あれは、アニが手を回してくれたんだろうか。あたしは現状で満足しているから、アニとそういう関係になりたいと考えたことはない。そうだとしても、きっと幸せだ。

「フランツになんて言われたの?」

 あたしがらしくもないことを考えていたのは、女子寮のお祭りムードに乗ったからだ。今一番熱い恋の行方が、ハンナとフランツだった。訓練兵団で入った頃から互いに一目惚れだったらしく、あたしはてっきり付き合っているんだと思っていた。夕食を終えてから、一人呼び出されたハンナは訓練所近くの湖で告白を受けたそうだ。返事に何と言ったのかは、ハンナの喜びようから言われずとも察せた。

「ハンナは僕にとって天の恵みだよ。安い言葉かもしれないけど、ずっと一緒にいて欲しいって……」
「きゃーっ!」

 まるで告白の時を再現しているような芝居がかったハンナの言葉に、輪を囲っていた女子が歓喜の悲鳴をあげる。ハンナに問いかけたミーナなんか頬を抑えて、うっとりと目を輝かせていた。

「ほとんど、プロポーズじゃない!」
「そうなの……」

 夜空に散りばめられた星空、月の光を反射して輝く湖。みんなは告白の状況を話し出すハンナを食い入るように聞いている。フランツがそこまでロマンチストで紳士的だと知らなかったあたしは感嘆の息を漏らした。これだけ女子からの評判がいいなら、フランツの告白は大成功だ。あたしは女心に疎いらしいので、わからないけれど。

「あたしも言われたいなぁ」
「そんな素敵な彼氏ほしー」

 ハンナとフランツのカップル成立もあってか、女子寮はいつもより賑やかだ。ハンナの話が惚気に移行したあたりで、羨望の眼差しをした人から同じような言葉が次々と声が上がる。

「ハンナとフランツはお似合いだもんね」

 訓練中も二人一緒にいるところを見たりしてきた。二人は他人とは思えないくらい息がぴったりで、何より二人でいる時に幸せそうな雰囲気がこちらまで伝わってくる。お互いが好きすぎるあまりに我を忘れているような言動が多いのには、この際目を瞑ろう。

「私もそんな人欲しい!」
「わかる!」

 話題は、訓練兵の中で誰が一番彼氏になって欲しいか、に変わりつつあった。この女子会はあたしの自室で開催されている。まだ終わる様子はなさそうで、寝るのも遅くなってしまいそうだ。ミーナに連れられて輪の中にいるのだけど、相槌や当たり障りのない言葉ばかり並べているうちに不安になってくる。ベッドで横になって座学の教科書を読んでいるアニに目で助けを求めた。目が合ったものの、すぐに逸らされてしまう。白熱している女子会からはもう逃れられそうにない。

「ベルトルトは悪くないけど、なんて言うか」
「積極性に欠ける」

 あはは、と残酷な言葉が目の前で飛び交っている。ユミルがクリスタを教育に悪いと参加させなかったのは正解だったかもしれない。女子たちの分析が事実に基づいているからこそ、この場が女子寮で良かった。食堂で楽しそうに談笑しながら、値踏みしている女子たちも増えてきてはいるが、自分がされる側だったら恐ろしい。自分が女で良かったと初めて感じた。

「ま、ベルトルトにはノエルがいるからね」
「あたし?」

 自分なんか蚊帳の外で女子トークを眺めていたら、突然自分の番が回ってきて反射的に聞き返す。確かに、ライナーとベルトルトとは隣にいることが多いのでそういう仲なんじゃないかと勘違いされることもあった。その度、あたしが完全否定していたのですっかりなくなったとばかり考えていたのだけど。

「最初の適正判断の時から、いちゃついてたでしょ!」

 指摘されて、過去の情景が蘇ってくる。起き上がれないでいるあたしを起こしてくれた際に、足元がふらついてベルトルトの胸元に飛び込んだこともあった。いちゃついている、と捉えられてもおかしくはないのだろうか。

「そんなんじゃないよ。ベルトルトは……」
「やっぱり、本命はライナー?」

 首を横に振ってただ否定するだけは、憶測を加速させるだけだったと後に後悔した。一時期は払拭したはずの話も取り出されて、女子会がまたも盛り上がりを加速させている。投げかけられる憶測と問いに、大切な人だ、と伝えるも加熱した女子会では意味をなさなかった。

「大切ね……ミカサみたいな感じじゃなくて?」

 女子会を存分に楽しんでいるミーナが爛々とした瞳であたしに問いかける。正面にいるミカサも自室から連れてこられたあたしと同じ側の人間だ。あたしの真正面なので顔を上げたらすぐに視線が合う。ミカサの表情はあまり読めないけれど、あたしより女子会を楽しんでいる気がした。立ち上がって去らないあたり、ミカサも同年代の同性と恋愛話を話せて嬉しんだろう。ミカサが恋に心を燃やす女子であることは、同期の全員が知っていり。最初こそ、ミカサは純粋に家族としてエレンが大切なんだと思っていたけれど、ミーナからの説明を受けるにそれは違うらしい。つまり、ミーナはミカサと同じような感情をベルトルトに持っているのか、と聞いているのだ。

「違う……エレンは、家族」

 自身のことを揶揄されたのがわかったのだろう。マフラーの裾を引いて、白い肌を赤く染めたミカサがあたしよりも前に言い切った。ミーナの説明は合っていたらしく、小さい声で言ったミカサは顔を伏せてしまう。周りの人がミカサの様子に釘付けになっているので、あたしの順番は終わったようだ。隠れてホッと息を吐いた。エレンとミカサの進捗なんか聞かれているミカサは耳まで真っ赤で林檎みたいになっている。

「じゃあさ、ノエルは訓練兵の中で誰が気になる?」
「へ……あ、あたし?」

 ずい、と距離を詰めてくるミーナに目を泳がせる。ミカサを半分犠牲にして油断し切っていたところで、あたしに会話の中心が舞い戻ってきた。女子会の話題は予測不能で、何があるか分からないのをすっかり失念していたのだ。同期の面々を頭に浮かべて、必死に答えを考える。あの子は恋愛なんてしてなかったし、そもそも子供だった。恋なんて頭の片隅にもない時代で、聞こうとも話そうとも思わなかった。あの子の好みなんか知るはずないが、このまま自分の意見を言うのは、ノエル・ジンジャーの答えだと言えるだろうか。
 なら、あの子が選びそうな。あの子の隣に相応しい人間がいいかもしれない。美人で、誰よりも心が澄んでいたあの子の隣に立つ人間。誠実で優しい心を持った人だ。同期にぴったりの人物像が頭の中に浮かび上がって、その名前を口走っていた。

「マルコ、とか」
「えぇ!マルコ!?」

 ミーナや女子たちには予想外の人物だったらしく、何やらざわめいている。性格良し、気配り良しのマルコがちらほらと名前を上げられているのは聞いていたが、正直に言うと恋抜きでもっと注目されて良い人物だ。本人が憲兵団を志望しているのは有名な話で、彼なら憲兵団に所属して内地側から変革をもたらすかもしれない。

「ライナーとベルトルトとマルコ。四角関係?」
「そんなんじゃないよ……」

 あたしにそこまで人に好かれる要素があるとは思えないので、ミーナのあらぬ妄想を慌てて否定する。訓練兵団内でそんな関係になってしまったら、まともに訓練できなさそうだ。

「私、ライナーを応援しちゃおうかな」
「本当に、ライナーは違うんだよ。そもそも、本人はクリスタが気になってるみたいだし」

 本物の女神を置いて、あたしなんかを好きになるだろうか。本人もよく目で追っているし、今朝も食事当番でスープを配っているクリスタを凝視して何か呟いていたような覚えがある。好きでもない人間と噂を立てられたら、たまったもんじゃないだろうし、本人がいなくて本当に幸運だった。
 
「そう?私は違う気がする。女の勘ってやつかな」

 ウインクを飛ばすミーナに苦笑いしかできないのを許してほしい。ただでさえ慣れないテーマに食らいついて、混乱しているのだ。

「あー、あー……フランツと出会った時とか、ハンナも女の勘とかあったの?」

 我ながら無理矢理だった。フランツのことを聞かれたハンナが饒舌になるのを利用させてもらい、あたしは追求を逃れられたのだ。ミーナから攻めるような視線を向けられていたものの、うねり始めた渦にミーナも意識を取られていった。就寝時間をとっくに過ぎた頃、女子会はようやく解散になった。解散となった女子会の名残の位置であたしは女子会を乗り越えた余韻に浸る。季節も変わり、肌寒くなってきた。冷たい床に座っていれば体も冷える。あたしは立ち上がって、くしゅんとくしゃみをした。