18

 少し町へ降りたら、訓練所では考えられないほど賑やかな空間が広がっていた。人が密集しているのはさることながら、色々な物が競い合うように高く積まれている。人混みに流されないよう人の波に上手く乗って歩きつつ、今までは来ることのできなかった町を堪能していた。規律やら鍛錬やらで厳しく縛られた訓練兵に取って、道沿いに並んでいる市場は眺めているだけで心が躍ってしまう。スキップ混じりに歩いているのが分かったらしく、隣で並んで歩いているライナーが口を開いた。

「あまりはしゃぐなよ」
「とか言って、ライナーも楽しんでるでしょ?」
「まあ、こうして町に降りることはないからな……」

 数日前、ミーナたちが仲良く町で遊んできたのを見てから、トロスト区で定期的に開催されていた大規模な市場は今も続いているのかトーマスから聞いてみたのだ。これまで、あたしの休日は疲労回復に努めてばかりで町に降りたりして来なかったのだけれど、この時期は美味しいものが沢山売っているという話をされ、誘惑に負けてしまった。毎日、あのスープばかり飲んでいたらサシャじゃなくても飽きが来る。訓練ばかりの日々から解放されて、ひとときの休息だ。明日からまた訓練だ、とかそう言うのは頭の片隅に置いておく。

「やっぱり、二人にも来て欲しかったね」
「アニは兎も角、ベルトルトは体調が悪いってんだからどうにもできんだろ」
「うん……」

 長らく縁のなかった煌びやかな町を楽しむほど、みんなで来れたらどんなに良かっただろう、と欲が芽を出してしまう。次の休日が来たら、町に降りてみようと考えてみんなに声をかけた。アニにはダメ元で頼み込んでみて、あえなく却下。対人格闘術で勝ったら来てくれ、と無茶を言っても惨敗。悔しがるあたしを気の毒に思ったマルコが立ち直らせてくれた。ベルトルトに関しては、約束こそライナーと一緒に取り付けたものの、当日迎えに行ったら体調を崩してしまったらしい。寝ていたら治るとのことで、最終的にライナーと二人だけで送り出されてしまった。きっとベルトルトは気を遣ってくれたんだろう。あたしは数々の露天を観察しながら、食欲を満たす他にも、市場での訓練所でお目にかかれないようなお見舞いを買っていこうと目論んでいた。

「俺だけじゃ不満か」
「ううん、なんか新鮮なんだ。二人きりだもん」

 四人一緒に行動が常だったのが、まだ体から抜けきれていない。ライナーは訓練兵になってからもベルトルトと一緒でいることが圧倒的に多いので、背の高い影が一つ分なくなっただけでなんだか不思議な気分だ。背は人より頭一つ分高いのに、影が薄いと称されるベルトルトだけど、あたしにとっては違う。

「ああ、お前が迷子にならないか監視しやすくて助かる」
「ライナーこそ、いい物があったりしてどっか行かないでよ」
「お前みたいなことはしないさ」

 ライナーの世話焼きは度を過ぎることがある。面倒見がいいのはいいけれど、子供扱いされてしまって皮肉を返したら、上手く買わされてしまった。生産性のない談笑をしながら、途絶える先が見当たらないくらい長く連なった市場の中を歩く。

「アニに何かあげたら迷惑かな?」

 食べ物以外にも、生活用品など様々な物が売り買いされている。その中でも、いっとう輝きを放っている物が並べられた店も多くあった。商品を手に取っているのは女性ばかりで近くまで行かずとも見当がつく。真っ先に頭の中に浮かんだのはアニの顔だった。か弱い乙女を自称することもあるアニならアクセサリーにも興味があるんだろうか。

「プレゼントか。お前からなら捨てはしないと思うぞ」
「そ、そう?」
「悩んでないで見てみたらどうだ」

 店から距離を取って様子を伺っているあたしに、ライナーが助言してくれる。そうは言っても、アニに押し付けてしまっても嬉しくないし、見て帰るだけって言うのも店からしたら迷惑かもしれない。そうこうしていたら、決断しきれないでいるあたしを置いてライナーが一歩前に出た。「来いよ」と振り返って手を動かしたら、店の前に行ってしまう。一人佇んでいるわけにも行かなくなって、慌てて背中を追いかけた。

「いらっしゃい」

 店番をしていたのは初老の男性だった。見るからに職人と言った出たちで、目の前に整列しているアクセサリーの製作者が誰か一眼でわかる。店の机いっぱいに並べられた装飾品たちは、あたしの想像よりずっと綺麗で沢山の種類があった。簡素なものから、豪華なものまで、埋め込まれた宝石も色とりどりだ。ライナーやベルトルト、アニの瞳の色と同じものが目に入るだけで、宝物を見つけたような気分になった。

「若いお二人さん。デートかい?」
「なっ、いや。俺たちは……」

 この店に連れてきたのはライナーなのに、何やら言いづらそうにしている。頬が赤くなっているので、照れているのだろうか。

「デートです!ね、ライナー」
「若いねぇ、羨ましいよ」

 老人の言葉に大きく頷いたら、老人は微笑ましそうに皺のついた目尻を緩ませた。二人っきりのお出かけなら間違いではない。ライナーの方を振り返ったら、冴えない顔をしていた。思っていた反応とは違って、首を傾げる。

「確かに間違いではないけどな……」
「でしょ」

 ライナーに行ってから、商品に目を走らせる。ライナーが無理矢理にでも連れてきてくれて良かった。アニに似合いそうなものを見て、つけているところを想像するだけで胸が熱くなる。最初はただの思いつきだったのに、本来の目的を忘れて考え込んでしまう。アニは指輪を一つ大切にしているから、指輪なんてどうだろうか。少し思い浮かべて、首を振る。だめだ。訓練時にはつけられないし、つけられない指輪はかさばるだけだ。

「贈り物かな?」
「はい。コイツがなんかあげたいらしくて」
「そうなんですが、あたし……こういうのは疎くて。何がいいか」
「贈り物なら、髪留めかネックレスなんかも人気だね」

 選びきれないで頭を悩ませていたあたしを見かねて、店主が声をかけてくれた。指で示された先の商品を一つ一つ見ていきながら、想像する。ネックレスだったら、服の中に入れれば見えないし、あまり邪魔にもならないかもしれない。アニがつけてくれたらの話になるけれど。ただ、ネックレスとなると豪華な装飾が施された物が多くて、アニに送るには憚られる。値段もそう安くはないし、訓練生活の傍ら貯金してきたお金が飛んでしまう。現実的なのは髪留めだ。アニは髪を結んでいるから、要らなくても最悪使えるし、それなりのものを選べば値段も気にしなくていい。

「髪留めか。いいんじゃねえか」

 髪留めに惹かれて、目についた物を手に取っていると、ライナーが話しかけてきた。ライナーが言うのなら、あたしの考えは間違っていなかったようだ。

「ほんと?」
「俺に聞くなよ。アニのことはお前の方が知ってんだからな」

 同郷のライナーならアニの好みもよく知っているかと思っていたのに、そうでもないらしい。アニとの仲をライナーに認められたのを喜びつつ、プレゼントにする商品を見極める。

「お、そんなん似合うんじゃねぇか」
「アニに?」
「いいや、お前にだ」
「あたしかぁ」

 ライナーに横槍を入れられながら、手に取って吟味する。女性向けの店にいたってライナーも楽しくないだろうから、早めに決めてしまわないと。文句の一つも言わないで付き合ってくれるライナーに感謝しつつ、頭を悩ませる。実際につけている様子を想像しながら目を滑らせていると、とある一点に視点が留まった。

「あっ、これいいかも……」
「なんだ?」

 様子を伺ってくるライナーへ手に取ったものを見せる。髪留めのそばに置かれていた髪ゴムだった。煌めく糸が編み込まれているらしく、人差し指と親指に摘んだ先で角度によって宝石のように輝いている。髪留めは贈り物としての可憐さもあり、アニがつけたら似合うだろうというものはあったけれど、訓練兵がつけるにしては些か大ぶりで素朴さがかけていた。教官に注意されてしまうような物を贈ってもつけてはくれないだろうし、と決めかねていたのだ。髪ゴムなら、実用的でひかえめではありつつも贈り物に相応しい可憐さを兼ね備えている。ついでに、値段も高くない。

「すみません。この髪ゴムをください」
「毎度。贈り物なんだろ?包んであげよう」

 親切な申し出をありがたく受け取って、包装してもらうことにした。悩みに悩んだ末、選んだ髪ゴムを店主に手渡す。髪ゴムが可愛らしく包装されていくのを見つめていたあたしへライナーが話しかけてくる。

「ノエルは買わなくていいのか」
「あたし?あたしは……ほら、すぐ壊しちゃいそうだし」

 アクセサリーは見ていて楽しいし、つけてみたいとも考えてたりもする。自分用を買おうとは思えないのは、訓練兵にしては飾り過ぎてしまうし、すぐに壊してしまいそうだからだ。買った翌日に、不注意で壊してしまって悲しみに暮れる自分の姿が容易に浮かぶ。

「よく似合うと思うけどな」
「あははっ、ありがとう」

 ライナーが褒めてくれると、そんな気がしてきてしまう。煽られたらすぐ調子に乗ってしまうのは自分の悪い癖だ。お礼を伝えたら、ライナーは冗談を言う時の顔を作った。

「ああ……今度来たらアニに選んでもらえ」
「楽しそうだけど、アニが来てくれるかな」

 考えるだけで口角が上がってしまうような光景だけど、アニが快くついてきてくれるかどうか。休日には体を休めたいだろうし、やることもあるみたいだ。こうなったら対人格闘で勝つしかない。

「お前からプレゼントをもらっちゃ、来ない訳にはいかんだろ」
「そういうつもりじゃないよ!」

 いたずらっ子のように歯を見せて笑うライナーに、そんな下心は持ち合わせていないと主張する。正直なところ、それでもし、もし。来てくれるのだとしたら、期待する気持ちが一ミリもないとは言えない。みんなで買い物なんて、楽しいに決まっているんだから。こうやって一緒に入れるのも訓練兵までで、卒業したらバラバラになってしまうだろうし。調査兵団になったら、第一回目の壁外調査で生き残れるとも限らない。訓練兵の間に、出来るだけ思い出を作っておきたかった。

「あいつの一匹狼っぷりを治せるのはお前しかいないぞ」
「そうかなぁ?」

 ライナーは調子の良いことばかり言っていて、本当かどうかは怪しいところだ。兵士としての協調性が欠け過ぎているとかでライナーがアニの一匹狼ぶりを懸念しているのは知っているけれど。

「はい、できたよ」
「ありがとうございます」

 贈り物らしく梱包された品物を受け取って、店主に礼を告げる。挨拶代わりに、ニコリと微笑んだ店主は最後に妙なことをライナーに伝えて目配せしていた。

「わしはお兄さんを応援してるからの」
「は、はあ?」

 プレゼントを両手でしっかり抱き抱えながら、次なる目標を達成的そうな店を探す。装飾品を売っていた店主の言葉が引っかかって、同じくなんとも言え無さそうな表情のライナーを見上げる。

「なんか、勘違いされた?」
「そうかもしれんな……」
 
 少しふざけ過ぎたのが良くなかった。複雑な事情を抱えた三角関係に誤解されてしまったらしい。まあ、起きてしまったことは仕方ない。店主に声をかけられたライナーの顔を思い出してこっそり笑ったら、微妙な表情をしたままのライナーの手を握った。時間は有限なんだから、市場を精一杯楽しまないと。

「ほら、行こう!」
「あまりはしゃぐなっていっただろ」
「ライナーと一緒だもん。そりゃあ、はしゃいじゃうよ!」

 人混みに負けずにグイグイと腕をひいたら、ライナーの呆れた声が聞こえたのでさらに繋いだ手のひらに力を込めた。ライナーはあたしに注意しているのに笑っている。最初こそあたしが先導できていたものの、歩幅が違うのですぐに追いつかれてしまった。少し前まではあたしとそこまで変わらない身長差だったのに、成長期を迎えて体格から差をつけられてしまった。握っている手も、触っているだけで皮が厚くてゴツゴツしてるのがわかる。あたしから手を重ねたのに、すっかり覆い被さられてしまっていた。それでも、伝わってくる熱だけは何も変わらない。

「食いもんを探しに来たんだっけか?」
「そうだね。食材買って料理するのと、買って食べるのどっちが良いかな」

 元は何か買って食べ歩きでもするつもりだったけれど、店に並んでいる野菜を見たらたまにはスープ以外を作ってみたくなったのだ。休日の昼すぎだったら調理場を使っても問題ないだろうし、材料を揃えるにもうってつけの場所だろう。隣で歩くライナーに問いかけたら、彼は悩む素振りを見せてから言った。

「たまには豪勢な飯もいいかもな。ベルトルトにも分けてやればいい」
「じゃあ、決まりだ!」
「つっても、ノエル。レシピとか覚えてるのかよ」

 開拓地では支給品ばかり、訓練所では決められたレシピ通りに作るのでライナーたちの前でまともな料理を披露したことは少ない。心配そうなライナーを前にして、あたしは「ふっふっふっ」と忍び笑いをした。クリスタまでとはいかなくても、なけなしの女子力は備えている。
 
「甘く見ないで頂きたいね。レシピの一つや……二つ……」
「二つ?」
「ひ、一つあれば十分だよ!ほら、材料買わないと!!」

 喋りながら、あたしの切り札があまりにも少ないことを思い出した。無理矢理誤魔化して、熱くなった頬を隠すようにライナーの腕を引いた。ライナーの笑い声が聞こえてくるけれど、あたしは良さげな店探しに専念する。石畳の道を人混みに揉まれながら進んで、野菜や果実を山盛りにして売っている店を見つけた。

「どれも、美味しそうだね……」
「そんなに腹が空いてんのか?まだ生だぞ」
「いやぁ、想像しただけでお腹が減っちゃって。サシャなら生で齧り付きかねないけどさ」

 店主に挨拶をして、材料になる野菜を見定めていく。どんな野菜が美味しいだとか、どれはあまり美味しくないだとか。見極め方を教えてくれたのはあの子だった。忘れもしない。二人で買い出しに行って、あの子と料理をする時間が大好きだった。

「なあ、そんなに買ってどうするつもりだ」
「匂いに釣られて人が来るかもしれないでしょ?」
「そんな奴、サシャ以外にいるとは思えんがな」

 材料になる野菜を見極めるのに、腕いっぱい抱えていたらライナーに変な顔をされてしまったので答える。サシャが真っ先に飛んできそうなのは絶対として、調理場で料理を振る舞うのも悪くないだろう。日頃の食事とは違う物をこの際、みんなに食べてほしいし。

「お兄さんたち、訓練兵でしょう?」
「休日なんです」

 店主の女性が話しかけてきたので、大きく頷いた。あたしたちの訓練所からはトラスト区が一番近いから、息抜きに訪れる兵士も多くいるんだろう。ライナーの体格で分かったのかもしれない。
 
「食べ盛りなんだから、たくさん食べた方がいいわ。買う物はそれで全部?」
「はい、これでお願いします」

 あたしが胸元に抱えていた野菜を見て、女性は朗らかに微笑んだ。傷まないように手渡して、まとめて紙袋に纏めてもらう。代金を支払い、野菜が入った紙袋を受け取ろうとしたら、ライナーに奪われてしまった。
 
「重いだろ。俺が持つさ」
「ありがとう、ライナー」
「気にすんなよ」

 驚いた顔をしていたらしく、ライナーは宥めるように言った。あたしにとって、負担だった紙袋をライナーは楽々小脇に抱えている。その力を羨ましく感じつつ、感謝を告げた。

「こんなの入れたか?ノエル」

 紙袋の中身に視線を落としたライナーが訝しげな表情で、真っ赤に熟したリンゴを取り出す。あたしが入れるはずのない物に何も言えないで首を横に振ると、店の奥から声がした。

「それはサービスだよ。お嬢ちゃん」
「あっ、ありがとうございます」
「いいのよ。訓練兵を諦めて生産者に回った私にはこれくらいしかできないからね」

 訓練兵は過酷な訓練を課されるが故に、脱落者も多くいる。最初ほどはいかなくても、耐え切れなくなった者が馬車で帰って行く姿は何度も見ていた。この女性も訓練で心折れた一人なんだろう。

「美味しくいただきます」
「そうして頂戴」

 改めて頭を下げたら、女性は微笑みを浮かべて見送ってくれた。訓練所を去っていった同期たちも、こうやって生活していくんだろうか。

「もう手は繋がないのか?」

 町へ来た目的もほぼ達成して、物思いに耽りつつ歩いていたあたしにライナーが声をかけてきた。ふと視線をやったら、紙袋を持っていない方の手が寂しそうに宙を彷徨っている。

「今度はライナーが迷子になりそうなんだ」
「……そうだな。握ってくれ」
「ふふ、いいよ」

 数少ないライナーの頼みなので、断る訳にはいかない。手を離しておいて、迷子になられても困るし。寂しがっていた手を捕まえ、肩を並ばせて歩き出した。
 大規模な市場で盛り上がっているのもあってか、道行く人は皆よそいきの格好をしている。訓練所では着飾ることもないので、蝶のように舞うワンピースを翻して歩く女性たちとすれ違うとつい目で追ってしまった。

「どうした?」
「いやぁ……せっかくのお出かけだったからおめかししてくればよかったね」
「そういや、いつもの服だな」
「これしかないからさ……」

 あたしの格好は訓練兵のジャケットを脱いだだけという有様だ。そもそも、私服を多く持っていないのによそいきの小洒落た服を持っているはずがなかった。クローゼットに入った服も数えるほどしかないけれど、アニも私服を肥やすタイプではないので違和感を感じることもなく、そのままにしていたのだ。身だしなみへの意識の低さが祟ってしまった。
 
「服屋にでも寄ってくか」
「ライナーが選んでくれるなら頼りになるね」
「おいおい、女の好みなんてわからんぞ」

 ライナーが服屋に目を向けて言うので、任せてしまおうとしたら困らせてしまったようだ。一人で行ったら無難な服しか選べ無さそうなので誘ってみたのだけど。ライナーならあたしに似合う服を上手く選んでくれそうだった。
 
「じゃあ、また今度来たらにしようよ。荷物もあるし」
「それがいい」

 ライナーは荷物を持ってくれているし、このまま入店するのは酷だろう。それに、夕食の食事当番が来る前に料理を済ませてしまわないといけないので、そろそろ帰った方が良さげだった。またの来る時には、最初から服屋に寄ってしまおう。後ろ髪が引かれる思いもありつつ、あたしたちは町から離れていくのだった。

「――そんで、コニーが絞られてたな」
「やっぱり、楽しそうだなぁ。男子寮」
「忍び込むなよ」
「分かってるってば」
 
 馬車で帰道についたあたしたちは、戦利品を抱えてたわいもない話をしながら訓練所まで揺られていた。ライナーに釘を刺されつつ、いつか行ってみたいなとヘラヘラしていたら、正面に座っていたライナーが急に俯きがちになる。

「ライナー?」

 膝の上に乗せていた紙袋を退けて、顔を覗き込む前にライナーは顔を上げた。視線はあたしではなく、流れていく景色に向いている。

「……なあ。生産者とか、お前に合ってると思うんだが」
「え」

 ライナーの口から語られたのは突拍子もない話だった。大きく目を見開いて瞬きをしてしまう。あたしとは目を合わせないまま、ライナーは口を開く。

「南の方で野菜作んのも、悪くないかもしれん」

「お前の作る野菜なら美味いだろうしな」とライナーは言葉を続けた。つまり、ライナーはあたしに訓練兵を続けて欲しくないのだろうか。生産者側になって、人類を支えてほしいと。

「ライナー、あたしは」
「いや、すまん、忘れてくれ……」

 あたしの言葉を遮ると、ライナーはそれきり顔を俯かせてしまった。あたしはその場で足を楽にする。不愉快ではなかった、ライナーがあたしを案じて言ってくれた言葉だと理解しているから。実際、成績が良くはないのだから諦めてしまうのも選択肢の一つなんだろう。

「ライナー、あたしは何を言われても訓練兵はやめないよ」
「……だろうな、悪かった」
「ううん、早く帰って料理作ろう?」
「ああ、俺も腹がへってきた」

 あたしたちには、この袋一杯の食材を美味しく調理する義務がある。ベルトルトにもお見舞いのリンゴと暖かくて栄養がある料理を持っていってあげないと。ガタガタと揺れている荷台に背をつけて、くだらないお喋りを再開したのだった。


 訓練所についたあたしたちは調理場に直行した。運良く帰ってきた時間も昼過ぎの閑散とした食堂で、使う人はいなさそうだ。そうと決まったら、まな板を引っ張り出して、山積みの材料を仕込んでいく。罰則で磨いた皮剥きスキルで買ってきた芋や人参を処理して、ライナーに渡す。事前に指示しておいた通りに切ってくれるので、ひとまずは大量の食材を下ごしらえだ。

「流石の手捌きだな」
「あんまり嬉しくないけどね……」
「前みたいにヘマして怪我するんじゃないぞ」
「わかってる」

 ライナーに注意されつつ、我ながら良い手際で野菜を剥き終わった。やることがなくなったら、ライナーの手伝いだ。今回の料理に相応しい形、角切りになるように芋を切っていく。訓練所の食事でよく見る形だ。

「意外に手際がいいんだな」
「これくらいしかできないからね」

 一旦野菜を水洗いするので、山盛りになったボウルに切り終わった分を乗せる。手先が特別不器用じゃないのは助かった。技巧術では頭の回転が足りていないけれど。
 ライナーがやってくれた分と合わせたら、随分な量になってしまった。長らく料理してこなかったから、多く買ってき過ぎたらしい。その割に高くなかったので、もしかしたらまけてくれていたのかもしれなかった。

「しっかし、すごい量だ」
「調理すれば多少は……サシャも、ライナーもいるし」
「食い切れないとは言ってない」

 自信ありげなにライナーは言った。残ると言うことはないだろうから、安心していいだろう。訓練所には食べ盛りの若者がたくさんいる。
 下準備が一通り終わったら、備え付けられている大鍋に具材を入れた。火をつけて、大きなヘラで炒めていく。野菜を炒めているだけなのに、普段の調理ではしない良い匂いが漂ってきた。ジュウジュウと食欲の唆られる音を聞きながら、手を動かしていると扉が勢いよく開いた。

「こっ、ここから良い匂いがします!!」
「落ち着けよ、サシャ。まだ飯の時間じゃないだろ」

 予想していた通り、涎を溢れさせたサシャが飛び込んできたので、ライナーと顔を見合わせて笑ってしまう。野生の獣になりかけているサシャを落ち着かせていたコニーは、調理場にいるあたしたちに驚いていた。

「お前ら、何やってんだ?夕飯はだいぶ後だろ」
「ご飯作ってるんだ」

 あたしが口にして、サシャが前を横切った。大鍋を覗き込んで息を吐いたと思ったら、胸一杯に息を吸い込んだ。買ってくるのではなく、調理場で料理するのは失敗だっかもしれない。

「そ、その。ノエル、私にちょっとだけ味見させてもらえたりは……?」
「味見じゃなくて、普通に食べなよ」

 瞳を潤ませながらも、乙女とは思えないほどの涎を隠そうとしていないサシャに頷く。みんなに振る舞うつもりで作っているから良いけれど、サシャの味見はちょっとだけでは済まなそうだ。
 
「は……ノエル。あなた、女神ですか?」
「えぇ……」

 何故かサシャに至近距離で拝まれている。感謝されているはずなのに、圧が凄い。これがサシャの食べ物への執着なんだろうか。女神なんて、クリスタじゃあるまいし。

「お、俺にも食わせてくれよ」
「勿論だよ。限りはあるけどね」

 おずおずと挙手したコニーにも、料理を食べてもらおう。作業がままならないので、コニーには調理場からサシャを引き摺り出してもらい、食堂で待ってもらうことにした。嵐が去ってから、体力をだいぶ持っていかれた気がする。額の汗を拭っていたら、ライナーが同情する視線を向けてきた。
 
「女神だってな」
「食欲が暴走して幻覚が見えてたね」
「お前の言ってた通りだ」

 町で話していた通りの展開になってしまった。サシャの執着は凄まじい。あの執着っぷりの原因はなんなんだろう。訓練所でひもじい生活を余儀なくされた結果の反動、なのだろうか。
 
「食べ物あるところにサシャあり、だから」
「ま、そうだろうな」

 深く考えるのはよそう。今は料理に専念しないと。ライナーには使用した器具の洗い物をしてもらって、あたしは大体の熱が通るように炒めたら、火を止める。調理場にあった小麦粉を振り入れて野菜と混ぜ合わせた。なじんできたら、買っておいた牛乳の瓶の蓋を開けて水と一緒に流し込む。調理場に牛乳が焦げたようないい匂いが立ち込めてくる。火をつけ、とろみがついてくるまで混ぜ続けた。

「そこで牛乳を入れるのか」
「うん、ちょっと珍しいでしょ」
「美味そうだ」

 基本的なスープに牛乳を入れる工程はないけれど、あたしのレシピでは白いスープを作っていく。ライナーも物珍しそうに覗き込んできて、スンスンと匂いを嗅いでいた。思い出そうとしなくても、レシピは記憶に刻まれている。かき混ぜていたヘラにスープが絡まるようになってきたら、蓋を乗せて煮込んだ。

「何人分用意すればいいか見てくる」
「ああ」

 コトコトと湯気をあげている大鍋をライナーに任せて、用意するお皿の数を確認するためにあたしは食堂へ向かった。食堂に近づいて、違和感を覚える。予定ではサシャとコニーの二人分なのだけど、それにしては賑やかだ。開けた先の光景を目に浮かべつつ、食堂の中へと入った。まだ扉が半開きなのに、茶色の髪の毛が俊敏に反応してあたしの両手を掴む。

「ノエル!ご飯は出来ましたか!?ご飯は!!」
「あとちょっとだけど……なんか、増えたね」
「ごめん、ノエル。いい匂いがしてきたから、つい……」

 申し訳なさそうに眉を下げたのは、アルミンだった。その隣にはエレンとミカサ。コニーはいいとして、アルミンと同じように笑っているマルコとジャン。ふんぞり返ったユミルとクリスタ、なんと隅で頬杖をついているアニまでいる。ほぼ食事時と同じような景色だった。顔を赤らめて興奮しているサシャはコニーに引き渡して、どうにか解放される。

「僕たちに何か手伝えることがあるかな」
「じゃあ、食器を人数分用意しておいてくれる?」
「うん、わかった」

 アルミンたちが手伝いを申し出てくれたけれど、もう味付けをするだけなので用意するのが大変になってしまった食器の用意をお願いすることにした。それにしても、ここまで人が集まるだなんて、食べ物の力は偉大だ。予想通りだったと言えば、そうなのかもしれない。

「みんな、美味しそうな匂いに釣られたんだよ」
「マルコ、俺まで一緒にするんじゃねぇ」
「だって、お前が先に気づいただろ」
「っちょっと黙っとけ」

 真実を言ったマルコがジャンに怒鳴られながら苦笑いを浮かべて、食器を取りに調理場へ向かった。鍋もよく煮込めた頃だろう、あたしもその後ろに続こうとしてクリスタに名前を呼ばれる。

「ノエル。一人で作らせちゃってごめんね。ユミルが離してくれなくて」
「あたしとクリスタに飯を献上するのがお前の役目だろ」
「ユミルってば!そんなことばっかり」
「事実を言っただけなのに優しいなぁ。私のクリスタは」

 クリスタが怒っても可愛らしい顔でユミルを叱っているが、抱き込まれて頭を撫でられていた。賑やかな食堂を眺めつつ、戻ってくると行く前より狭くなった調理場があたしを出迎える。一人分に良さげな皿をマルコが持ってきてくれたので、アルミンたちと一緒に食堂まで持っていってもらう。十分煮込んだ大鍋を開けたら、塩で味付けをしてお玉で軽く味見もする。火の番をしてくれていたライナーにも確認してもらおうと、顔の前にスプーンを差し出す。

「な、なんだ」
「味見、ひと足さきにどうぞ」
「ああ……そうか」

 ライナーが動揺している様子なので不思議がっていたら、スプーンを持っているあたしの手を自分の手で支えて味見してくれた。味わうような間をおいてから、うんうんと頷いてくれる。

「ライナー、どう?」
「すげぇ美味いぞ。これでいいんじゃないか」

 お墨付きも得られたところで、やっとシチューの完成だ。具材が沢山入った大鍋はあたしの持てる重さではなかったので、ライナーに持ってもらう。扉を開けたりしてライナーの補助をしつつ、食堂まで運んでいった。芳しい香りを纏った鍋の登場で主にサシャが歓声を上げる。食事の準備はある民たちが済ませてくれたので、それからあたしがすることはなかった。食事時と同じような形で配膳して、それぞれが一斉に食べ始める。アニの隣に座ってみんなの反応を伺っているあたしに、サシャの叫びが聞こえてきた。

「う、うまい!!うまいですよぉ!!」
「白いスープなんて初めて食べたけど、これは美味ぇよ!ノエル」

 サシャに続いてコニーまで絶賛してくれる。大勢に振る舞うとなるとお墨付きでも拭いきれながった不安も杞憂に終わった。美味美味い、と呟きながら食べているサシャに自然と口が緩んでくる。サシャの執着は並のものではないけれど、ここまで感激してもらえるとまた作りたくなってしまう。

「ヘタクソがこんなもん作れるとはな」
「うん、すごく美味しいよ。ノエル」

 ジャンがスープを口に入れるると、眉を上げて遠回しではあるけれど賞賛してくれた。隣に座っているマルコも「今度、何かお礼をしないとね」と柔らかく微笑んでくれた。
 
「毒は入ってねぇみたいだな」
「おい、ジャン……こんなに美味しいご飯久しぶりだよ。ノエルはすごいね」

 みんなが口々に褒めてくれるので、心から市場で材料を買ってきて調理する選択をしてよかったと思えた。エレンも「すげぇよ、お前」と感心してくれるし、普段黙々と食事をしているミカサまで「美味しい」と言ってくれる。みんなから認めてもらえたようなので、横にいてスープを食べているアニにも恐る恐る尋ねてみることにした。
 
「あ、アニ。どうかな?」
「そんな顔しなくたって……美味しい」
「ほ、ほんと!?よかったぁ!」

 あまりにもあっさりと言われたので拍子抜けしつつ、身体中が熱くなる。さっきからアニの食べている手が止まっていないことも嬉しくて、じっとしていられなくなるのを必死に抑えた。

「あんたの分は?」
「ベルトルトに持って行ったら食べるよ」

 温かいうちに食べた方が美味しいだろうしシチューの味が問題なさげなら、ライナーが切っておいてくれたリンゴと一緒に持っていくつもりだった。サシャの食いっぷりから見て無くなりそうだけど、それはそれで良かった。そう言ったら、アニの手が止まる。じろりとあたしに視線をよこしたと思ったら、スプーンでシチューを掬い上げてあたしの口に押し込んできた。濃厚な牛乳の味が舌に広がったら、スプーンも離れていく。
 
「ど、どしたの。アニ」
「作った人が食べないでどうするのさ」
「……うん。そうする」

 あたしはアニの言葉に従うことした。自分の分をよそい、アニと並んでシチューを堪能した。あの子が教えてくれた、白いシチューは懐かしい味がする。みんなと一緒に特別な食事に舌鼓を打ったら、ベルトルトの分とリンゴを持って宿舎に向かう。洗い物はクリスタたちがしてくれると申し出てくれたので、優しさに甘えて任せてしまった。

「ベルトルト、お見舞いに来たよ」
「の、ノエル?」

 丁度ベッドの淵で腰掛けていたベルトルトに声をかけると、幽霊でも見たような顔で驚いていた。ベルトルトの反応は何らおかしくはない。本来なら入れないのだけど、ライナーの付き添いで男子寮に入れさせてもらったのだ。廊下ですれ違った人たちもベルトルトの様な反応だったので、それが可笑しくて少し笑ってしまった。あたしからライナー、そして盆に乗せたシチューとリンゴに目を向けたベルトルトは、合点がいったようで目尻を下げる。

「ありがとう、ノエル」
「食べられそう?」
「朝よりも平気そうだな、ベルトルト」
「ああ、そこまで酷くないんだ。いただくよ」

 ライナーの言葉に大きく頷いたベルトルトは盆をそのまま受け取ってくれた。シチューは食べられないかと思っていたから、顔色も悪くなさそうで安心する。スプーンを口に運んだベルトルトはみんなと同じように「美味しいよ」と言って顔を綻ばせた。ベルトルトがスープに手をつけている隣であたしとライナーはリンゴをつまみ食いする。水々しい爽やかな酸味と蕩けるような甘味が口の中で広がって贅沢品の味がした。

「町はどうだった?」
「思ったより良かったぞ」
「ね、楽しかった。今度は絶対ベルトルトも行こうね」

 思い返しても、ベルトルトがいなかったのが惜しくなるくらい楽しかった。近いうちは無理でも、また余裕がありそうな日に行ってみたい。興奮が冷めらないままぎゅっと拳を握ったあたしに、ベルトルトは優しげな微笑みをそのままにして、眉を下げた。
 
「うん、体調管理には気をつけるよ」

 ベルトルトの言葉を聞きながら、あたしの脳内には次回のお出かけの計画が浮かんでいた。シャクシャクとリンゴを食べる音が響いている。二つ目のリンゴに手を伸ばしていると、一息ついてからベルトルトがライナーに視線を向けて話しかけていた。
 
「それで……ライナーは」
「俺がどうかしたか?」
「……いや、いいんだ。何もなかったならそれで」

 ベルトルトはそれきり話を切り上げたので、あたしは町の話の続きをすることにした。一方的に話を進めても、ベルトルトが柔らかい相槌をうってくれるのでついつい話し過ぎてしまう。日が暮れる頃になって、時間の経過に気づく。男子寮に帰ってきた同室の人たちが男子寮にいるはずのないあたしを見て驚いていた。ギリギリまで粘ったけれど、あたしが男子寮にいるのをよく思っていないライナーによって返されてしまったのだった。

 翌日、アニに頼んでおいて同じ時間に起床したあたしは、洗面台で顔を洗っているアニの側で顔を洗った。冷ややかな水で眠気を覚まして、髪を結ぼうとしているアニに声を掛ける。

「アニ」
「何?」
「大層なものじゃないけど……じゃん!プレゼントです」

 あらかじめ用意していた包みを掛け声と一緒に、後ろ手から取り出す。目を大きく見開いているアニの様子に悪戯が成功した子供のように笑う。その隙を伺って、アニの細くて真っ白な腕をとった。小さくてか弱いようだけど、しっかりとした厚さのある手のひらにプレゼントが入った包みを乗せる。

「開けてみて」

 いつもの表情に戻ったアニはあたしの言葉に従って、包みを開けていく。シュルシュルとリボンが音を立てて外れると、可愛らしい柄の包み紙から早朝の薄明かりに反射して煌めいている髪ゴムが出てきた。

「大層なものじゃないけど、受け取ってもらえたら嬉しいな。なんて……」

 つけてくれるかもしれない、という期待を抱いてアニが髪を下ろしているタイミングでプレゼントを渡すことにしたのだ。目線を逸らしながら手と手をくっつけて、自身の下心を正直に吐露する。ここで無駄に取り繕おうとして、受け取ってもらえないのは寂しいからだ。

「昨日のといい、あんたって本当……」

 声が聞こえてから顔を上げると、あたしが贈った髪ゴムに指を通したアニが髪をかき集めているところだった。心臓がドキドキと動き出して、喜びが全身を駆け巡る。まさか、その場でつけてくれるだなんて。
 
「あっありがとう、アニ!」
「……それを言うなら私でしょ」

 何を言われているのかわからなくなって固まってしまう。パチリと大きく瞬いたら、アニは髪を結び終わっていた。元の髪ゴムを手に取って、洗面台から離れていく。
 
「ありがとう、ノエル」

 あたしに背中を向けていたけれど、アニの耳は仄かに赤く染まっているようだった。スタスタと歩いて行ってしまうアニを追いかけて、ハグしようとしたらいつものようにあしらわれてしまう。どんなに冷たく見えていても、アニの髪にはキラリと光る髪ゴムがあって。あたしがヘラヘラ笑ってしまうにはそれだけで十分だった。