◆ アイノチカラ 壱


手の中の小さいモノがくっきりと示した一本の線。
そのたった一本の線の威力は絶大で、様々な感情が溢れる。

一先ず落ち着いて、近くの産婦人科を受診することにした。
産婦人科は思ったよりも混雑していて、待ち時間が異様に長く感じた。そわそわしながら、隣に座った妊婦さんを見る。随分とお腹が大きくなっているので、もうじき産まれてくるのかもしれない。
その人は優しい顔で、お腹を愛おしそうに撫でていた。

「みょうじさーん、みょうじなまえさーん。」

「あ、はい。」



「二ヶ月ですね。」

私を担当してくれた女医さんは淡々と告げた。見せられた全体に黒い画面には、小さな白っぽい陰が在った。
二ヶ月、私の中で育った姿だ。
それから説明やら何やら言われた気がするが、右耳から入って、そっくりそのまま左耳へと通り抜けていった。

診察が終わり会計を済ませると、検査結果の数値が印字された用紙と、もう一枚手渡された。
写真だった。
診察時に見た、小さな姿の。

産婦人科を出て、数歩進んで、ふと立ち止まる。
そっとお腹に触れてみた。
いつもと何も変わらないが、中では確かに変わっているのだ。

そこから家までどう帰ってきたか思い出せないくらい、今後の事ばかりを考えていた。
言い切れない程の様々な気持ちを一つ一つ整理して、一番私を支配したもの。

“この子を産んで、育てたい。”

気持ちは決まった。その為にも、先ずする事。
普通ならば、父親である相手に報告が順序だろう。
私の最大の難関にして最重要事項、相手・太宰治に妊娠したことをバレずに、彼の前から消える事。
治は頭が良い上に、勘も鋭いところがある。
何一つバレる事なく姿をくらますというのは至難の業だろう。
でも…治に迷惑を掛けたくない。
武装探偵社なんて特殊な仕事をしている都合上、足枷になるような事は一切しないように心掛けてきた。
それはこれからも変わらない。
私が彼を愛しているが故の選択だ。

なるべく早く身支度をしてこの地を去らなければ。自宅は当然知っているし、合鍵も持っている。
長い時間を過ごせば言葉や行動から気付かれる危険性もある上に、私の体も物理的に変化してくる。
一週間…否、三日でここを出て行こう。荷物は必要最低限でいい。三日間の内、治と会う約束があるのは明日一日だけだ。
それを乗り切れば、屹度、大丈夫。
私はその日の内に逃亡先を選定し、逃亡経路を決めた。



次の日、私は治の家に居た。
約束通り、いつも通り。
久々の休暇だからゆっくりしたい、と二人でまったりとした時間を過ごす。
正直、今日は朝から気持ちが悪かったので助かった。
これが“悪阻”というやつなのだろうか。

まったり過ごしていても、二人で居ると時間が過ぎるのは早く、あっという間に夜になっていた。
夕飯を作るべく台所へ立つ。
すると、甘えるように背後から抱き着く治。
首筋に顎を寄せ、お腹に手が回される。反射的に少し力んでしまった。
気付かれていないかと、横にある治の顔を見る。
優しい笑顔が在った。

「何食べたい?」

バレていない様子だったので、平常心を装い問い掛ける。治はうーんと悩む素振りを見せ、私の耳朶を甘噛みしながら言った。

「なまえ。」

「もう!そうじゃなくって!」

「駄目ぇ?」

二人で顔を合わせ笑い合う。
最近、武装探偵社は大きな案件に携わっていたらしく、久々の休暇、逢瀬という事もあり、治は随分と私に甘えてきた。
治が望むことなら、と優しい口付けを受け入れた。
そのまま台所で事を進めようとする治に慌てて“待て”をして、寝室へと移動した。

お腹に乗っかられる時、やんわりと治の胸板に手を添える。問題無いとは思うが、矢張り少し怖くてあまり腹部を圧迫したくなかったから。
気付かれないように祈りつつ、最後に治を深く刻み込むように愛し合った。

夜もすっかり更けてしまい、簡単な料理だけ作って二人で食す。
治は何を食べても美味しいと笑った。

そんな笑顔
こんな幸せ
本当は手放したくなくて、心の中で涙を流した。

そして胸が痛む。
晩酌に出した日本酒に睡眠薬を混ぜた。
いつもの流れだと、このまま泊まる事になってしまうから。
普段と同じように御猪口を二つ用意して乾杯をする。けれど、私は飲むフリだけ。
徐々に治の瞼が落ちてきた。
手にしていた御猪口を落としそうになっていたので、慌てて受け取る。

「治、眠いのならお布団行こう。」

完全に寝てしまう前にお布団へ誘導し、添い寝の形をとる。
治の頭を撫でていると、気持ち良さそうにして胸に顔を埋めて抱き締められる。
応えるように、治の頭をそっと抱き締めた。

治が寝息を立て始めて暫く経った後、力が抜けきった治の腕をそっと退かしていく。起こさないように慎重に。
なんとか抜け出し、ふと治を見る。

長い睫。
愛しい人。
最後にそっと口付けた。
心の中で別れを告げて。

立ち去ろうとした時、手首を掴まれる。
真逆、起きていたのかと驚き治を見ると、薄らと目を開いている。

「なまえ…?」

バレたかと内心冷や冷やしつつ、なるべく穏やかに微笑みかける。すると治はゆっくりと脱力し、再び眠りへと落ちていった。
今度こそ、と治の家を出て行った。




2019.08.29*ruka


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*confeito*