◇ 優しい狼が欲しいもの 弐


太宰が満足する頃、私の体力は零に近い状態になっていた。
二人並んで横たわり、気怠くも太宰の身体に擦り寄る。
柔らかく包み込まれ、優しく頭を撫でられた。

「そろそろ教えてよ、怒っていた理由。」

顔を上げて問うと、太宰は困ったように少し笑った。

「自分の携帯端末を見てごらんよ。私に送ってきた文章ったら、酷いものだよ。」

太宰の腕から抜け出し言われた通り、放られていた携帯端末を取る。
再び元の位置に戻り、電子文書履歴を確認する。
その間も太宰は私の頭を撫で続けるものだから、若干の眠気を感じていた。
然し、意味不明な文章を目の当たりにして、眠気は吹き飛んだ。

「"し、ゆ"…?なに、これ。どういう意味?」

「それは私の台詞なのだけれど。」

呆れたような声が、頭上から降ってくる。それもそうだ。
こんな文章を送られて、太宰もさぞ困惑したことだろう。
素直に申し訳なく思い、謝罪した。

「そこでだ、なまえちゃん。答え合わせをしようじゃないか。」

楽しそうな太宰には悪いが、答え合わせをしようにも、肝心なその答えを私は持ち合わせていない。

「と言っても、なまえは一切思い出せないみたいだから、私の推理と答えを示そう。
それで正解かどうかを判断してくれればいいよ。」

にこりと微笑まれると拒絶できない。
私が小さく頷くと、太宰は下着だけ身につけ布団から抜け出す。
熱の塊がいなくなると、急に肌寒く感じて布団に包まり、太宰を待った。
太宰は程なくして戻ってきた。
白い箱を携えて。
見た感じは洋菓子が入っていそうだ。
中身は何なのか気になり、開封を促す視線を送ったが、笑顔だけを返された。

「まあ、待ちなよ。私の推理を聞いてからだよ。」

その白い箱の中身が答え、ということだろうか。
私は布団に包まったまま上体を起こすと、姿勢を正し頷いた。

「なまえから送られてきた文章"しゆ"。
これを見た時、私は助けを求められているのかと思った。
"死ぬ"を慌てて打った結果、誤字に加え、漢字変換もされず送られてきたのではないか。」

太宰は名探偵よろしく、真剣な表情で顎に手を当てて推理を始めた。
私は黙って聞きつつ、自分の記憶を辿る。

「然し、助けを求めるのなら、もっと単純で構わない。聡明な君なら、相手に解り易いよう"助けて"と打つだろう。仮令、二文字しか打てない状況だとしても。
だから私は、救助要請の可能性を捨てた。では、なまえの言う"しゆ"とは一体何か。」

勿体振るような話し方に、私はもう太宰を見ていなかった。
白い箱の中身が気になる。
期待通りの甘い洋菓子なのか、それとも別のものなのか。
そろりと手を伸ばしてみたけれど、太宰に捕まり指を絡め取られてしまった。

「なまえ、肝心なのはここからだよ。ちゃんと聞いて。」

怒られてしまった。
知らずに丸まっていた背中を再度伸ばし、素直に返事をしたら頭を撫でられた。

「今日はなまえは非番だろう。ということは、惰眠を貪っている頃だ。
寝惚けて連絡を寄越した確率は非常に高い。そして君は、思いつきで行動することが多いからね。空腹を感じたが食べたいものがなく、外は雨。自ら外出する気になれなかった。
なまえは私に買ってきてほしい、と連絡を試みた。が、全部打ち終わる前に睡魔に負け、不完全な文章が私に送信された。」

あり得るというか、そんな記憶がある気がする。
確かに、寝落ちする前に空腹を感じ、甘いものが食べたいと思った。
ということは、矢張りあの白い箱の中身は…

「ふふ、思い出したかい?正解を。」

期待と歓喜の表情で太宰を見上げると、優しい笑顔が向けられる。

「君の我が儘を叶えるために、雨の中、傘もささずに走ったんだよ。」

「え、大丈夫かな。」

私は白い箱に視線を向け、太宰よりもそちらを心配した。
少しも濡れていない箱にほっとすると、両方の頬を抓られる。

「それなのに、君ときたら!何度呼び鈴を鳴らしても出て来やしない!」

確かに、呼び出しに応答せずに居留守を決め込んだのは悪かった。
だが、あの鬼のような呼び鈴の押し方もどうかと思う。

「なまえが私よりも心配してるこの箱の中身こそ、私の答えだよ。」

太宰は呆れたように言いつつも、私の頬を解放すると、白い箱を差し出した。

「開けていい?」

箱を受け取り確認すると、太宰は優しい笑顔に戻って頷いた。
そっと箱を開けると、一気に記憶が蘇る。

そうだ、私は

『ねぇ、食べちゃうよ。』

涎塗れの狼が言っていたのは、私のことではなく、これのことだったのか。
白く雪化粧したように粉砂糖を上品に纏ったシュークリームが二つ、仲良く並んでいた。
眠りにおちる前、私はシュークリームを食べたくなったんだった。
"しゆ"の二文字でよく辿り着いたものだ。

「正解でしょう?」

こんなドヤ顔をされても全く厭な気分にならないのは、素直に太宰の気持ちが嬉しかったからだろう。
私は箱を横に置き、太宰の首に両腕を絡ませる。

「正解だよ、ありがとう。」

「ご褒美は?」

「……大好き。」

普段は恥ずかしくて、あまり言わない言葉を伝えてから、触れるだけの口付けをした。
口付けも私からすることは極稀で、太宰は吃驚した顔を見せた。
珍しい表情が見れたので、私は少し笑った。
すると、直ぐに太宰の表情は、何か良からぬ事を思いついた時に見せる笑顔に変わる。

「中々希少価値の高いご褒美だね。でも、まだ足りない。」

抱き締められ、啄むような口付けは、徐々に深いものへと変わって、太宰はまた私を布団へと沈めた。

「待って…」

「また?待てないって言っ」

「お願い。」

事を進めようと覆い被さる太宰の胸を押すと、また吃驚した表情を見せるから、私もまた笑った。

「ごめん、嫌とかじゃなくてね。」

上体を起こすと、太宰は私の上から体を退けてくれた。
下着をそそくさと身につける私を、無言の太宰が見つめているのは気づいたけれど、恥ずかしいから気付かないフリをして寝室を抜け出す。

「え、ちょ、なまえ…?」

若干動揺を見せる太宰の声が少し嬉しい。
隣の部屋の腰くらいまでの抽斗を開け、あるものを取り出す。
それを片手に握り締めて、太宰の元に戻り、太宰と向き合うように座る。

「ね、手ぇ出して。」

「ふふ、なんだい?」

楽しそうに太宰は右手を出した。
その掌に、銀色の鉄の塊を乗せた。

「これが正解のご褒美。もう、不法侵入しないでよね。」

この家の合鍵。
何度も太宰にせがまれていて、断り続けていたものだ。
だって、合鍵なんてなくったって、どうせ今日みたいに勝手に入ってくるのだから、態々作る必要もないと思っていた。
けれど、太宰は許しが欲しいのだと言った。
許していない訳ではないと言っても、確かな形が欲しいのだと。
そのまま返事は保留にしていたけれど、今回はこれを渡すに値するくらいには、太宰の気持ちが伝わった。
太宰は暫く合鍵を眺めた後、ぎゅっと握り締め、勢いよく私に抱きついてきた。
と思ったら、結局流れるように布団へ沈められた。
耳元で聞こえる微かな"ありがとう"で全て許せた。

「川に流さないでよ?」

「…………気をつける。」

なんだその間は。
いつもみたいに自殺を試みた際に紛失されたら堪らない。

「大事にしてよ、狼さん。」

「ふふ、なんだいそれ。」

大方、乾いてきた蓬髪をくしゃりと撫でて笑うと、太宰も嬉しそうに笑った。
甘い口付けが降り注ぐ中、夢の話をして、優しい狼と戯れ合う。
雨もまだ降っているみたいだし、もう少し、このままで。


後書

2020.03.10*ruka


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*confeito*