◆1
相手にバレている片想いほど、楽で哀しいものはないと思う。
実ることのない恋と解っているし、身分違いだと罵られても仕方がない。
相手は自分が属する組織の六大幹部様。
必死に手を伸ばして距離を縮めようと努力はしているけれど、そんなに人生は甘くない。
まして平々凡々な私が辿り着ける場所なんて高が知れている。
努力だけでは決して埋まらない距離が存在していることも。
それでも焦がれずにはいられない程に、彼の人は眩しくて私は手を伸ばし続けている。
そう、今も憧れの人の目の前で頭を下げて、右手を差し出している。
「中也さん、報告書完成しました!御確認のうえ私とお付き合いお願いします。」
「おう、お疲れ。確認だけしてやるから、左手に持ってる書類寄越せ。」
嗚呼、その鋭い視線が好き。多忙を極めている今、屹度私に構っている暇など無いだろう事は承知の上。
然し、常にキャパ超過のこの気持ちを抑える事なんて如何してできようか…否、できる訳がない。
「なぁ、おい。」
綺麗な御尊顔に青筋が。片眉がぴくりと動いたので相当お怒りの御様子。
顔色もあまり良くないから、恐らく睡眠時間を削っての業務が続いているのだろう。
「みょうじ、佳い加減に…」
「下の名前でお願いします。」
「…手前ぇな。」
眉間に皺を寄せたお顔も素敵だけれど、ここは譲れない。
それくらいの御褒美をいただいてもバチは当たらない筈だ。
真っ直ぐ見つめてにこりと微笑む。
意地を張るだけ虚しいけれど、引く気は一切ないという意思を見せる。
中也さんが溜め息を零す。そのアンニュイな感じもまた良い。
「なまえ、さっさと書類見せろ。」
「はい、中也さん。」
私は素直に報告書を手渡した。それと同時に執務机の上を見る。
未処理の書類の束を適当に取って一礼し、自席へ戻る。
中也さんは視線を一瞬寄越して書類に戻っていった。
あの報告書ならば十分もかからないだろうか。私は手にした書類に目を通しながら考える。
これらの書類は明日の任務の資料だった。
簡潔に重要事項を纏め、必要であれば補足資料を作成し添付する。
私が同行できない任務はより丁寧な資料を用意する。
それぐらいしか、私に出来ることなんてないから。
それすらも彼の人には必要のないことなのではないだろうかと、本当は気付いているけれど。
ちらりと腕時計を見ると、約八分が経過しようとしていた。
作成した資料と淹れたての珈琲を持ち、再び中也さんの元へ向かった。
音も立てずに執務机に珈琲を置く。中也さんは丁度、最後の頁の文字を追っていた。
視線はそのままでゆっくりと伸びてくる手が求めているものは明らか。
私はその手に置いたばかりの珈琲を手渡す。
それを一口飲んで書類を置くと、軽く息を吐く中也さんの姿に痺れる。
文字を追い終えたばかりの疲れた視線が私を捉えた。
「上出来だ、訂正は無し、このまま上げる。」
「良かった、では私とお付き合いして頂くということでよろしいですね。」
「よろしくねぇよ、莫迦。」
困ったように笑った顔に疲労の色が出ていた。私にはそれを癒す権利はない。
だから…
「それ、明日の任務の資料だろ。直ぐ見るから」
「いえ、まだ未完成でして。あと十分程お時間頂きたく、代わりにコレを。」
書類を受け取ろうと差し出された手に、珈琲と一緒に持ってきた少し熱めのおしぼりを乗せる。
「早急に仕上げますので、それで暫く目隠しさせていただけませんか。」
だから、少し卑怯な手段も厭わない。
じとりと睨む目に微笑み返し、再度お願いをすると、渋々おしぼりを目に被せて背凭れにもたれ掛かる。
「五分だ、それ以上は待たねえ。」
「ふふ、これは手厳しい。有難う御座います、きっかり五分で仕上げてきます。」
そう言って、また未処理の書類の山から数束持ち出しその場を立ち去る。
明日の分の資料は完成していた。既に渡せる状態でなければ抑々持ってはこない。
けれど、そうでもしないとあの人は休まないから。
私に出来ることなんて、これくらいしかないから。
少しだけ早目に中也さんの執務室を訪れる。できるだけ物音を立てないように。
そして来客用の椅子に座ってその時を待つ。
約束の五分が経過して中也さんを見ると、おしぼりを目から外していた。
何その正確すぎる体内時計。
幾分かすっきりした様子の目が私に向けられたのを合図に席を立った。
「来てンなら声掛けろよ。」
「きっかり五分と思いまして。」
どうやら少しは休めた様だ。そのことに安堵し書類を差し出す。
「資料完成しましたので御確認をお願いします。それと」
「確認だけだ、付き合わねぇよ。」
「まだ何も言ってないのに。」
先回りして否定されてしまったので、口を尖らせながら書類を渡す。
ぶつくさと文句を言いながら、未処理書類の束を纏めていると、小さい笑い声が聞こえた。
「まぁでも、感謝はしてる。今度美味いモンでもおごってやるから考えとけ。」
「本当ですか!あ、でも…」
思ってもいなかった御褒美に思わず声を上げてしまったが、その先はなんとか飲み込んだ。
不思議そうな顔が向けられたので、首を左右に振った。
「私に割く時間は必要ありませんので、その分お休みになってください。」
中也さんは優しい。仲間、部下思いだ。
そこが良い所であり、不安要素でもある。
「随分と見縊られたもんだなぁ?俺を誰だと思ってンだ。」
余裕そうな表情で言う中也さんは、それはそれは麗しい。
それだけで充分過ぎる御褒美になっていることを本人は知らない。
「出過ぎた発言でした、申し訳ありません。」
「それにな、 」
中也さんは言葉を区切ると、片肘を執務机に突き顎を乗せた。
上目遣いで私を見上げるその顔は殺人級にイケメンだった。
「愉しい食事はそれだけで疲労回復になンだよ。つべこべ言わずに付き合え。」
思わず見惚れてしまい、反応が遅れた。
「ッ…は!私としたことが!」
慌てて携帯端末を取り出し、流れるように写真機能を起動させ、極自然に連写した。
「おい…何してやがる。」
「え?」
「え、じゃねえ!」
顔を赤くして怒る姿も愛らしい。
「あぁ!中也さん返して!」
簡単に携帯端末を取り上げられ、泣き出しそうになった時、中也さんが手にしていた私の携帯端末が着信を告げた。
「あ?……おじさま?」
中也さんが画面に表示された文字を見て眉間に皺を寄せる。
その隙に携帯端末を取り返して、慌てて通話釦を押した。
「みょうじです、お待たせ致しました、首領。」
後ろで吹き出す音がしたが無視して、いつも持ち歩いている手帳を取り出す。
『忙しい所悪いね、なまえちゃん。来週の火曜日なのだけれど…』
首領と一通り会話を済ませ通話を終了すると、書類に目を通し終わった中也さんが腕組みをしながら私を睨んでいた。
つい写真に収めていると舌打ちされたので止めた。保存はした。
視線が説明を求めていたので素直に応じる。
「中也さん、来週の火曜、十八時より会合が入りましたので、予定表更新しておきますね。
軽くお食事が出ますので、その日は早めにお昼を済ませておいて下さい。」
「なんッで!いつも!手前ぇに俺の予定確認の連絡がいくんだよ!首領も姐さんも!」
机を叩いて声を荒げる中也さんに微笑む。
「なんでって、私の方が中也さんの御予定を事細かに把握しているからに決まっているではないですか。」
然も可笑しなことを言っているのは中也さんとばかりに言うと、納得いかない顔のまま、手帳に予定を書き込んでいた。
人間は一生、人間の愛憎の中で
苦しまなければならぬものです。
のがれ出ることは出来ません。 太宰 治 |
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*confeito*