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「…先刻の話の続きだけどよ。飯、今夜にでも行くぞ。」

手帳から私に視線を移すと、拒否はさせないと顔に書いてあったが、私は腕を胸の前で交差させてバツ印を作った。

「今夜は駄目です、あと二十分程したら姐様の執務室へ御移動願います。
明日の任務の打ち合わせがございますので。」

「……あ。」

中也さんはその予定が頭からすっぽり抜け落ちていた様子で、なんとも愛らしい間抜け面を晒す。
そして徐々に紅潮する頬に思わず顔が綻ぶ。
自ら“本人ではなく私に予定確認がくる理由”を示してしまった事に気が付く中也さんが愛し過ぎて。
大きな舌打ちが聞こえてきたので、必死に笑いを堪え、先に持ち出した書類の資料を机上へ置く。
纏めた未処理書類を確認していると、視線を感じたのでそちらに顔を向ける。
と同時に逸らされる視線。

「中也さん?どうかされました。」

なんだろうと思い問い掛けるも、直ぐには返事は戻ってこず、一瞬だけ視線を向けてまた逸らされた。
何か不味いことをしてしまったかと焦ったが、中也さんの表情からどうやら違うらしいと感じる。
頬が未だに紅い。そんなに予定を忘れていた事が恥ずかしかったのだろうか。

「なぁ、」

漸く言葉を発した中也さんが徐に自分の携帯端末を取り出す。
少ない操作の後、携帯端末を手にしていない方の手が私に伸びてきていた。
真逆…

「首領が“おじさま”なら、俺のことはなんて登録してンだよ。」

え、そんな事が気になってたの。なにそれ、可愛い。
けど!当然、本名でなんて登録している訳もなく、あまり本人には知られたくない。
容赦なく着信を知らせるべく震える携帯端末に表示されているのは、目の前で私に架電しているであろう中也さんの登録名。
めちゃくちゃ睨まれている。
そんなに気になるのだろうか。
首領が“おじさま”なのだから、自分だって本名ではないことは明らかに知れているだろうに。

「あ、では、当ててみて下さい。」

苦し紛れに提案してみたが、中也さんはうーん、と考え出した。可愛い。

「……帽子、とか。」

ちょっと照れながら自分のトレードマークを答える中也さんが可愛過ぎて、悶絶しそうになるのを必死に堪えた。

「違います。」

「なら、葡萄酒。」

「いいえ。」

「手袋?いや、待て、チョーカーか?」

「どちらもハズレです。」

「ダ、ダーリンとかじゃねぇよな。」

「ふふ、ベタですね。でも違います。」

腕組みをして真剣に悩みこむ中也さんの唸り声が止まり、殺人的な視線を向けられる。

「真逆…ちびっこ、か?」

「す…凄みながらそんな可愛いこと言わないで…死ぬ」

「あ゛?」

小刻みに震えるのを止められそうにないので、両手で顔を隠す。
地の底より低い声で名前を呼ばれた気がする。

「そんな“ちびっこ”だとか“蛞蝓”だとかの悪口じゃあないですよ。」

「いや、蛞蝓は言ってねぇけどな。」

物凄く厭そうな顔の中也さんも素敵。
けれど、中也さんが頭に思い描いている“其の人”を私は知らない。

“双黒”の片割れ、中也さんの唯一の相棒、太宰治という人。

その人自体に興味は全くないけれど、私の知らない中也さんを知っているから、会った事もないのに嫉妬の対象となっていた。

「ンな、どこぞの包帯無駄遣い装置みてぇなこと言ってねえで、さっさと見せろ。」

これは結構お怒りのご様子。もっと眺めていたいけれど、そろそろ時間だ。

「お、怒らないで下さいね。」

「怒られるような名前で登録してる手前が悪いだろ。」

震え続けている携帯端末を取り出し、中也さんの目の前に画面を突き出した。

「………塩?」

たった一文字を中也さんが凝視する。視線は私に移って無言で説明を求められる。

「いや、ほら、中也さんて私に対して常に塩対応だから。」

正直に説明したのだけれど、どうやら納得いってなさそうな表情。

「他は。」

「え?」

突然、携帯端末を取り上げられ電話帳を開かれる。
他の人がなんて登録されているのかが気になるらしい。
別に見られて恥ずかしいことなんてないからいいか。

「“じい”は広津で、“咳”は芥川だろ。
“もみじ様”は姐さんだろうが…その上の“みっちゃん”?て、誰だ。」

一瞬動きが止まる。
あった、唯一恥ずかしいこと。
顔が熱くなってきて、堪らず携帯端末を取り返す。

「そ、そんな事より、もうお時間ですから、姐様の所へ向かって下さい。」

「あ、おい、誰なんだよ。」

「はい、これ資料です。姐様の分も。いってらっしゃいませ。」

打ち合わせに必要な資料を押し付け移動を促す。
中也さんは舌打ちをしつつ打ち合わせの準備を整えると、退室際に私を見ずに言った。

「俺が戻るまで此処で仕事してろ。」

部屋を出て行く背中に二つ返事で答え、扉が閉まるまで頭を下げ続けた。

「却説。」

恐らく打ち合わせは一時間強かかるだろう。
中也さんの執務机を整理しながら書類を仕分けていく。
中也さんの確認が必要なもの、確認済みのもの、未処理のもの。
大きく分けて最初のものだけを机上に残し、他を手にする。
未処理のものはこれから作業場とする応接室へ置き、確認済みのものの返却や回付へ回った。

いくつかあった書類もあと一つとなり、黒蜥蜴の待機室へ向かった。

「失礼します。」

「おう、なまえ。どうした。」

出迎えてくれたのは立原だった。

「み…立原、丁度良かった。これ中也さんの確認終わったから返却しに来たの。」

書類を手渡すと礼を言いながら受け取る立原こそ、中也さんが気にしていた“みっちゃん”の正体である。
立原とは同期で意気投合し、以来気軽になんでも話せる友人の一人で、プライベートでの呼び名で登録をしてあった。
ポートマフィアの幹部やら名の知れた人達の情報をそのまま登録するのはリスクが高い。
だから敢えて本名での登録は避けていた。
中也さんに電話帳を見られるなんて想定はしていなかったから。
変に思われていないといいけど…。

「あ、そうだ。中也さんに別件で報告があったんだ。」

「今は姐様と打ち合わせ中だから、一時間後くらいなら会えると思うよ。」

「解った、ンじゃあその頃行くわ。」

立原と別れ、中也さんの執務室へ戻る。未処理の書類を纏めるべく、応接の椅子へ腰掛けた。
私は中也さんの執務室で作業することが間々あり、パソコンを常備している為、すんなりと作業を開始した。
作成すべき優先順位をつけ、少しでも中也さんの負担が減る事を祈りながら資料を作成していく。
何の力も持たない私の全力を注いで。

われわれを恋愛から救うものは、
理性よりもむしろ多忙である。
芥川 龍之介 



2022.03.01*ruka


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*confeito*