◇12
昇降機の中、一つずつ下層へ向かう光る数字を眺めていた。
首領のあの様子だと、最悪の相手・太宰ではなさそうだ。
それだけは回避できたことを喜ばしくは思うが、揺るがない事実を突きつけられた。
なまえは首領の紹介で、何処の何奴とも知れない野郎と結婚する。
可愛い部下の祝い事だというのに、釈然としない。
何故素直に祝ってやれないのか、その理由に気付いてしまった。
本当はとっくに気付いていたのに、気付かないフリをしていた。
「後悔先に立たず、とは、よく言ったもんだ。」
自嘲気味に呟いて到着階へ降り、執務室の扉の前で立ち止まる。
溜め息に近い息を吐いて部屋に入ると、何故かなまえが俺の執務机に突っ伏して居眠りをしていた。
幹部の席で…まったく、肝の据わった奴だ。
相手がなまえでなければこんな風には思わなかったかもしれない。
「おい、なまえ。」
呼びかけてみたが反応がない。
執務机の前に立ち、いつもとは逆の位置でなまえを見下ろす。
腕を枕にするようにして眠るなまえが下敷きにしている紙が目に入る。
ふと見ると、肘の先にも書類が散乱していた。その内の一束を手に取る。
「…次の任務の資料か。CASE…38!?一体何通り考えてンだよ…」
呆れたのも一瞬で、ふと腕の傷を思い出した。
こんなに何通りもの筋書を用意させてしまったのは、誰の所為だ。
なまえは自分の資料が不完全だったが為に、俺が負傷したと思っている。
真逆、なまえの事を考えていて気が散っていたとは言えなかった。
ちっぽけな自尊心が比奴を追い詰めたんだ。
未だ沈黙したままの頭をそっと撫でる。
「ごめんな。」
手を離すと、漸く目を醒ましたようだ。
「あ、やば、寝ちゃった…あー、資料、皺になっちゃった。涎垂れてない、よ……ね、」
気付くのが遅い。
固まるなまえを見下ろす。
急速になまえの顔が真っ赤になったと思ったら、これまた勢いよく立ち上がった。
「申し訳ございませんでしたッ!!」
直角に腰を折り、煩いくらい大声で謝罪をされた。
「中也さんが中々戻られないので、つい出来心で中也さんが座る椅子で、中也さんが筆を滑らせる机で仕事をしてみたいなんて愚かな願望を密やかに叶える心算が、真逆眠りこけてしまうという大失態を犯した大うつけ者の私をどうぞ罰して下さい!」
体勢をそのままに、よくこの長台詞を言えるものだ。呆れを通り越して感心してしまう。
言えば図に乗るだろうから言わないが。
それにしても、罰則か。
特段怒っている訳ではないし、此奴の働きをみれば、この程度のことどうって事は無い。
然し“罰”という甘やかな言葉に心が操られた。
「“罰”ねえ。どうすっかな。」
言いながら、未だ直角に折れ曲がったままのなまえの横に移動する。
細かく震えるなまえにバレないように、口元を抑えて笑いを堪える。
咳払いを軽くしてから続けた。
「別に怒っちゃいねえ。こんな事で熱心に仕事をしてる奴にキレる程、小せぇ男じゃねえよ。」
なまえがちらりと視線を寄越す。
「…仮に座面に頬擦りしたとしても?」
「仮じゃなくて、やったな。」
「…いえ、仮令話で」
「やったな。」
「…ハイ、スミマセン。」
溜め息を吐いた俺が手にしていた書類に気付くと、思い出したように机上の書類を掻き集め始めた。
「あの、それ、次の任務の資料でして、取り敢えず41通りの筋書を御用意しました。
どれも中也さんの安全を期した内容になっていますが、一度打ち合わせを…」
書類を纏めようとしていたなまえの腕を掴み、自分の腕に閉じ込めた。
反動でなまえが懸命に作成してくれた資料が微かな音を立てて床へ散る。
まるで時間を切り取ったみたいに、お互い動かず何も言わなかった。
なまえの体は少し冷えていたが柔らかく、ほんのりと香水が香った。
「少しこのままで、聞いてくれ。さっきの“小せぇ男じゃない”っての、撤回する。」
自嘲気味に嗤いながら言った。
なまえは黙って大人しく聞いているようだった。
「もっと早く、自分に素直になってたらこんな事にはならなかったかも知れない。そんな事ばかりが頭を巡って、こんなヘマしちまうなんてな。」
ぴくりとなまえが反応した。医務室で詳しくは答えなかった回答だったからだろう。
「いっつも”中也さん、中也さん”って、俺の尻ばっか追い掛けてたのにな。
逆に、いつも変わらない態度のなまえに、安心しきってた。」
そっと艶の良い髪に触れ、ゆっくり撫でる。
こんなに落ち着く感覚はいつ振りだろうか。
「立原が彼氏面するのも腹立つし、なまえが俺以外の男の話で楽しそうにしてるのも面白くねぇ。
終いには、俺に一言くらい相談があってもいいんじゃねえか、なんて臍を曲げる始末だ。」
今思えば、明白だった。
自分に呆れたとばかりに息を吐き、名残惜しくもなまえを解放してやる。
「結婚するんだろ、なまえ。
俺はどこのどいつが相手かは知らねえが、随分と惚れられてるみてぇじゃねえか。確かに手前は可愛いからな。」
そう言って視線を向けた先のなまえは、顔を真っ赤にして、口をぽっかりと開けていた。
そんな間抜け面すら可愛いと思えてしまうくらいに俺は…
「式決まってンなら俺も招待しろよ?
惚れた女の花嫁姿くらい、見てみてえからな。」
自分がどんな顔をして言っているのか解らなかった。
若しかしたら、なまえの事を言えないくらい間抜け面になっているかもしれない。
「まァ、これが手前の居眠りに対する“罰”だな。
俺の気持ち知ってから結婚しやがれ。」
苦し紛れに笑って見せた。ちゃんと笑えているかは自信がない。
なまえはというと、開いていた口をぎゅっと一文字に結んで震えていた。
この期に及んで俺の気持ちなんて知ったところで迷惑だろう。
文句の一つや二つ、受け入れる覚悟はできている。
するとなまえの手が伸びてきて、弱々しく俺の胴体に巻きついた。
こんな思いをするのなら
花や草に生まれたかった
中原中也 |
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*confeito*