◆11
ポートマフィア本部ビル内を駆ける人物が一人。
なまえが全力疾走していた。
目的地は医務室。
昇降機を待っている時間が勿体ない。
階段を一つ飛ばしで駆け下りて行く。
医務室に着くと勢いよく扉を開いた。
そこに居たのは、怪我の治療をする己の上司。
「中也さんッ!」
涙目のなまえの目に映ったのは、右上腕に包帯を巻いた中原だった。
「なんだ、なまえ。随分息切れしてるじゃねぇか。基礎体力作りを怠るなっていつも言ってンだろ。」
ぜえぜえと息を切らすなまえを見て、中原が笑いながらに言う。
なまえは息が整わないのも手伝って、何も言えずに中原を見つめた。
「…少し掠っただけだ。ンな、深刻そうな面すんなよ。」
その日の中原の任務に、なまえは同行していなかった。
中原から事務仕事を頼まれており、いつものように任務の補足資料等を手渡し送り出した。
然程難しい任務とは思っていなかった。
“いつもの中原”ならば。
事務仕事に打ち込んでいたなまえに一報が入るまで、医務室でその姿を見るまで、中原に怪我を負わせるとは夢にも思っていなかった。
同行した構成員からの連絡は耳を疑うものだった。
『敵の狙撃が中原幹部の腕に当たった』
なまえは中原の目の前で片膝を着き、そっと腕に触れる。
「ごめんなさい、中也さん…私の資料が足りていないばかりに…」
「いや、手前の作ったモンは完璧だった。
実際、俺の怪我以外はなまえが描いた筋書通りに進んだ。」
「私の描いた筋書に“中也さんが怪我をする”といった類のものは一切ありませんでした。」
歯を食いしばり、中原を否定するなまえは悔しさを滲ませていた。
「なまえに落ち度はねぇさ。俺が考え事をして、一瞬気を抜いたのが原因だ。」
なまえから目を逸らし、バツが悪そうに呟く中原。
その横顔を見た時なまえは、眉間に皺を寄せて問う。
「考え事…ですか。何か、芳しくない情報を得た、とかですか。」
「あー、いや、そういうのじゃねえから、気にすンな。」
じっと見つめるなまえとは目を合わさずに、中原は頬を掻きながら答えた。
何やら様子が可笑しい中原に、なまえは首を傾げる。
「任務とは、関係ないことですか?」
中原は直ぐには答えず、少し間を開けてから小さく肯定の言葉を返す。
「珍しいですね、一体何を」
「気にすンなって、言ったろ。」
更に追求してくるなまえを振り切り、中原が立ち上がる。
治療の為に脱いでいた上着を着込み、帽子を手にした。
「首領に報告してくる。」
「それなら私も」
「いや、一人でいい。先に執務室に戻ってろ。」
そう言うと、一度もなまえを見る事無く、中原は医務室を出て行った。
◇
「怪我の具合はどうだね。」
「…掠っただけです、どうということはありません。」
森の元へ報告に訪れた中原の怪我を聞き、開口一番に訊ねたのはそれだった。
大事には至っていないという報告通り、目の前に立つ中原は平然としていた。
「それならいいが、珍しいね。」
森はそれしか言葉にしてはいなかったが、中原の耳には副音声が確かに聞こえていた。
『この程度の任務で怪我をするなんて』と。
若干俯いてから顔を上げた中原は、何かを決心したような表情をしていた。
森は薄っすらと目を細めて言葉を待った。
「首領、報告の前に一つ、よろしいでしょうか。」
「ふむ、なんだろう。」
姿勢を変えず続きを促す森を、真っ直ぐ見つめ息を吸い込む。
「みょうじの件で。」
「なまえちゃん?」
森は目を丸くして聞き返した。
「その…首領の紹介で、と、風の噂で、耳にしたものですから…」
徐々に勢いを失う中原の言葉に、森は何度か瞬きをした後、途端に笑顔を見せた。
「ああ!何の話かと思ったら!そうなんだよ、いやぁ、本当良かった、なまえちゃんが了承してくれて!」
嬉々として話す森に対し、中原の眉間には深い皺が刻まれていく。
「可愛い可愛いって、先方が随分と気に入っていてね。
断られたらどうしようかと冷や冷やしていたけれど…無事に私の面目も保ってくれたのだよ。」
なまえちゃんによろしく伝えてという森の言葉は、中原には届いていなかった。
再び俯いた中原は右手を強く握り締める。
傷が少しだけ痛んだ。
「…失礼します。」
中原は暗い空気を纏わせて部屋を後にした。
森は中原が出ていった扉が閉まる音でハッとする。
「あれ、任務の報告、受けてないよ?」
おーい、と呼びかける声も空しく、部屋の空気を震わせるだけだった。
恋心というやつ、いくら罵りわめいたところで、
おいそれと胸のとりでを出ていくものでありますまい。
夏目 漱石 |
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*confeito*