◆1 中也さんを愛でるだけの話


普通とは何処を中心にして普通と言うのか解らないけれど、私は普通も普通、極々平凡な女だと思う。
平凡な家庭に生まれ、平凡に幼少期を過ごし、平凡な学生生活を送り、平凡な会社に就職した。
平凡な容姿ながら平凡に恋をしたりもしたけれど、平凡な私には想いを繋ぎ止める魅力もなく、“他に好きな人ができた”というよくある理由でフラレること数回。
かといって、引き止める程にのめり込んだ恋もなく、二つ返事で了承してきた。
現在も同僚の恋人がいるにはいるが、時間の問題だろうと考える程には冷めていた。
抑々、最初から熱を持っていたのか、今となってはよく解らない。
そんな私にも、最近密かな楽しみができた。

毎週金曜日、週の終わりに一週間の勤労に対する御褒美として、ランチを外で摂ることにしている。
そんな細やかな自分への御褒美を堪能していた一か月前。
パスタ屋さんで、マスカルポーネチーズのトマトクリームパスタを頬張っている時のことだった。

私の斜め前の席に着座した人に、一瞬で心を奪われた。

私史上最も整った顔の男性だった。女性でもこんな綺麗な人、見たことない。
思わずパスタを口に運ぶ手が止まる。

羽織っていた外套を椅子に掛け、帽子を取り、店員に珈琲を注文する。

そんなありふれた所作一つ一つが美しい。
見つめ過ぎたのか、視線がぶつかりそうになって、咄嗟に俯く。

ちらりと見た腕時計の針が思っていた以上に進んでいて、慌てて残りのパスタを流し込んだ。
会計でお釣りを待っている間にあの綺麗な人を盗み見ると、唯々珈琲を味わっている風だった。
その時、次週の金曜日のランチもパスタに決定した。

あの人の姿を思い浮かべると、今まで感じたことのない高揚感を得て、あっという間に一週間が過ぎた。

また同じ時間に出くわすとは限らない。
確率でいったらどれ程低いか解らない。
それでも、私の足をあのパスタ屋さんへ動かすには、その僅かな期待だけで充分だった。

先週の再現をしたくて、先週と全く同じパスタを注文して待つ。
そして運ばれてきたパスタを食べながら凝視していた入口に奇跡を見る。

本当に、あの綺麗な人が来店したのだ。

先週と違うのは、お供を連れていたことだった。鼻に絆創膏を貼った、茶髪の青年。
装いが随分とラフだけれど、部下?友達?というか、どんな職業なのだろう。

連れていたのが女性でなくてホッとしつつ、二人の会話に耳を全力で傾けた。
全身が耳になったのではないかと思う程に集中していた。
流石に会話の内容はあまり聞こえなかったけれど、連れの青年が、彼のことを“チュウヤさん"と呼んでいた。
珍しい名前と思いつつ、脳にその名が刻まれた。

胸とお腹がいっぱいになった所で時間切れ。
会計の最中、突き刺さるような視線を感じ、その方向を見ると、あの青年が私を見ていた。
直ぐに視線は逸らされたけれど、普通の視線ではなかった。
言うなら、殺気を感じるような……
途端に怖くなり、足早に会社へ戻った。

殺気を帯びた視線を向けられる様な事を、果たして私がしたのだろうか。
聞き耳を立てていたのがバレて気分を害した、とか?
そんなに聞かれては不味い内容の話を、あんなオープンな場でしているとも思えないし。
私の行動は褒められたものではない、という事は理解している。
一歩間違えたらストーカーとして通報される可能性だって孕んでいる。程々にしなければ。



そう思ったのは本当だ。一つも嘘はない。
けれど、もうあのパスタ屋さんに行かない、と言った訳でもない。
私は懲りずに、金曜日の御褒美ランチであのパスタ屋さんを訪れた。

別に、彼の名前を知ったからと言って、話掛けるだとか、知り合いになりたいだとか、そういう心算は微塵もない。
唯、目の保養をといったところだ。
一応、彼氏もいる身であるし、あんな綺麗な人とどうこうなろうだなんて烏滸がましい。
徐々に早まる鼓動にあれこれ言い訳をしていると、いつものパスタが運ばれてくる。

程なくして開かれる店の扉。現れたのは“チュウヤさん"だった。
毎度毎度、変わらぬ美しさに目が眩む。今日は壮年の男性を連れていた。
モノクルをした紳士風で、執事だと言われても不思議はない雰囲気だった。

いよいよ“チュウヤさん”の正体が怪しくなってきた。

主従関係、という訳ではないが、壮年の男性がチュウヤさんに敬意を払っているように見える。
実はチュウヤさんはどこぞの御曹司で、先週の青年は悪友で、執事にバレたから今日は執事を連れてきたとか…?
うーん、なんだかしっくりこない。

妄想とお腹が膨らみ席を立つ。
パスタの味が解らないくらい頭の中がごちゃごちゃで、一向に整理できないまま会計へ進む。

「失礼。」

ふと、後ろから、思いもよらない人に声を掛けられる。
声に振り返ると、そこに立っていたのは先程までチュウヤさんと席を共にしていた壮年の男性だった。
座っていた筈の席を見ると、チュウヤさんが一人で珈琲杯を傾けていた。

「これはお嬢さんのものですかな。」

そう言って差し出されたのは、見覚えのある薄桜色の手巾だった。
イニシャル入りのそれは、紛れもなく私の物だった。

「あ、そうです!でもどうして…」

「卓上に置き忘れている様子だったので、差し出がましいとは思いましたがお持ち致しました。」

物凄く丁寧な言い回しに恐縮してしまう。

「有難う御座います、全然気付かなかったです。」

手巾を受け取り深めにお辞儀をする。
顔を上げる前に「ではこれで」と、席へ戻って行った。
手巾を確り鞄へ仕舞い、会計を済ませ、ちらりとチュウヤさんの席へ視線を送る。
壮年の男性と目が合い、軽く会釈されたので会釈をし返し、そそくさと会社へ戻った。

そう遠くない会社へと戻る道のりで、ある違和感に気付き足を止めた。

私は手巾を卓上に置いただろうか。

無意識に置いたとして、私があの席に座って手巾を置き忘れて行ったと気付くのが早すぎやしないか。

もしかして

「見られてた…?」

一瞬そんな考えが浮かんだが、人の目を引く様な美人なら解るが、平凡な私を見ている理由がない。
偶々目に入り、偶々気付いて持ってきてくれたのだろう。
忘れ物をするなんて注意力が散漫になっているのだ。午後の仕事は気を引き締めて行こう。



2024.04.29*ruka


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*confeito*