◆ 1 闇夜に咲く花


雲が邪魔して、月の光が届かない夜。
ヨコハマの港近くの倉庫街。

或る倉庫では銃撃戦が繰り広げられている。

新参者の麻薬密輸組織に、縄張りを荒らされたポートマフィアが制裁を加えているのだ。

其の銃声が微かにしか届かないほど離れた、同じ並びの倉庫と倉庫の間。
其処に私は居る。

渦中の麻薬密輸組織幹部の男と一緒に。

「お仲間を助けに行かなくてよろしいんですの?」

私の背中には倉庫の壁。
男は私に所謂、壁ドン状態。
もっと良い男にされたのなら、気持ちも高まるのだろうけど…

「構わんよ、彼処に居るのは唯の駒だ。掃いて捨てるほど居る、ね。」

男は下衆な台詞を吐いたかと思えば、それより、と言い乍ら、私が羽織っていた外套を片手で地面へ落とした。

同時にデコルテが大きく開いた真紅のドレスが闇に咲く。
際どく切り込まれたスリットを風が撫で、白い太腿が露わになる。

「きゃ…」

よもや其の奥まで見えてしまうのではないかという所で、片手でそっと抑えた。
男は其の手を優しく掴むと、自分の腰に回させた。

「こんなに美しい、女神の様な君を前にして、如何して此処を離れられよう…月ですら君の美しさに照れて隠れてしまっているよ。」

歯の浮く様な、気障な愛の囁きには、鳥肌が立たないことを祈る許りだった。

そんな気持ちとは裏腹に、唇に微笑みを湛え乍ら、私はもう片方の手も男の腰に回す。

「ふふ、お上手な人…」

既に男との距離は零。
熱の篭ったような、少し潤んだ瞳で男を見上げる。
男はいやらしく嗤い乍ら、私の頬をそっと包む。

男の顔が近づいてきた時、ふと視線を横に逸らし、男を焦らす。

「どうした?」

「…彼処の倉庫には貴方様以外の幹部の方もいらっしゃったはずでは…?」

「もう疾っくの疾うに逃げたよ。」

焦らされた男は、もういいだろうと再び顔を近づける。
そんな返答が欲しいのではない、そんな事は分かりきっているのだから。

「まぁ、何方へ?」

「…何故、そんな事を聞く。」

私の言葉に反応し、動きを止める。
怪訝そうな表情の男に、眉を下げ寂しげに微笑んでみせる。

「だって…貴方様も其方へ行くのでしょう?私だけは、貴方様の行方を知っておきたいのです。」

私は男の特別な存在、と印象付ける。
駄目押しで、いけませんか?と上目遣いで囁く。
もう男に怪訝な表情はなく、ふっと軽く息を吐き答えた。

「マイハニー、可愛い仔猫ちゃんだ。千葉の港にもアジトがあってね、今頃他の幹部は勿論、頭も其方さ。」

千葉の港という情報だけで充分、大体の目星は付いていた。
此の男は幹部の中でも下っ端、もうこれ以上、利用価値は無い。

今度こそ、とばかりに男の顔が三度近づいてきた。


サヨウナラ


心の中で告げ、目蓋を閉じ、男の口付けを受け入れた。

男の舌が歯列を割り、口内に侵入して数秒。

「うっ…!!」

突如として苦しみだす男。
反して、至って冷静な私を、喉を掻き毟り乍ら睨みつける。
其れすら数秒、直ぐに白目を向いて脱力し私に凭れ掛かる。
口からは泡を吹き、呼吸は無い。

支えてやる義理もなく、男の腰に回していた手をパッと離す。
男は其の場に崩れ落ち、仰向けに倒れた。
其れを見下す。

「莫迦な男。」

呟いた後、舌を軽く出すのが私の癖だ。

「おー、見事、見事。」

パン、パンと2回、手を叩く音が響く。
真逆、誰かに見られていたのかと思い、小さく舌打ちをして、声のした方へ視線を向ける。

其処には帽子を被り、少し長めの髪を風に揺らす男が立っていた。

状況から考えて、十中八九ポートマフィアだろう。
とすると、目的は今し方目の前で事切れた男。
ポートマフィアとは揉め事を起こしたくない。
如何切り抜けるか。

そんな事を考えていると、帽子の男が此方へ近づいてきた。
一先ず地面に落とされた外套を拾い上げ、平静を装う。

「これはこれは…ポートマフィア様。」

先制攻撃、とまではいかないが、鎌を掛けてみた。
帽子の男は私の足元に転がっている亡骸を見遣り、舌打ちをした。
尚も足を止めず、手が届く距離まで近づき鋭い眼光を向けられる。

「此の男が誰か知ってて殺ったのか?如何やって殺った?手前は誰だ?」

私の先制攻撃はヒラリと躱され、矢継ぎ早に質問責めされる。
否定をしない処をみると、矢張りポートマフィアか。
殺害方法も素性もバレてない事を確認できたので、早急に立ち去る事にする。
逃げ道は確認済み、大丈夫。

帽子の男に歩み寄り、懐に擦り寄る。

「そんなに一度に沢山質問されては覚えきれませんわ。」

至近距離で甘える様に囁く。
帽子の男は其れに応えるかの如く、私の腰に手を回す。
にやりと笑ったかと思うと、腰から下へと手が降りてくる。

男なんて何奴も此奴も同じ。
猫撫で声で甘えれば簡単に騙される莫迦な生き物。

私はまた心の中で舌を出す。

「此の男も哀れだよなァ?こんな見え透いた色仕掛けに掛かっちまうとは。」

降りてきた手が、太腿に隠してあったナイフを抜き取り、指紋一つ無い其れを見る。

「…っ!」

私は直ぐ様ナイフを取り返し、少し距離を取った。
細心の注意を払っていた筈なのに、最も簡単に大事な商売道具を奪われて、若干動揺した。
流石はポートマフィアと言うべきか。
身形から下っ端構成員ではないとは思っていたが、かなり上層部の人間らしい。

考えた結果、両手を挙げ、戦う意思が無い事を主張した。

「誤解しないで頂きたい。私は貴方様の敵ではございません。此度は標的が同一人物だった故、斯様な結果になってしまったというだけの事。」

帽子の男は微動だにしない。

「はっ、そんなこたァ如何でも良い。手前は一体…」

そんな男の目の前に人差し指を1本立てて突き出す。

「然し乍ら、味方、という訳でもございません。」

「…あ?」

なんだろう、急に周りの空気が変わった気がする。
というか、体が重くなったかのような感覚。

「ご質問にはお答え出来ませんが、一つ、情報提供致します。」

「其れで見逃せって事か。」

返答の代わりに、にっこりと嗤ってみせる。
また帽子の男も是非は口にせず、視線だけを向けられ、了承と捉え続けた。

「頭含め他の幹部等の逃げた先は千葉の港。」

其れだけ言うと、男は判ったような表情を浮かべた。


「中也、此方は外れだったが…」


急に帽子の男の背後から、また別の男の声がした。
中也と呼ばれた帽子の男は振り返り、その男を太宰と呼んだ。

その瞬間。

「ぶっ!てめ…!!」

中也とやらの帽子を取り、顔に被せて視界を遮る。
先程のナイフのお返しだ。

そして私は其の隙に、音も無く立ち去った。

「おや、此方が当たりだったみたいだね。」

「ちっ!彼奴、許さねぇ!」

そして漸く、ヨコハマの倉庫街は静寂を取り戻した。
ポートマフィアの制裁完了と共に。


2017.02.23*ruka



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*confeito*