◇ 2 闇夜に咲く花 -椿-


月明かりも無く、静かな闇が辺りを覆う。
ヨコハマの港近くの倉庫街。

此の倉庫では銃撃戦が繰り広げられている。
"られている"は可笑しいな。繰り広げているのは他でも無い俺達ポートマフィアだ。

最近、ポートマフィアの支配下である此の辺りで破落戸が集まって出来た組織が、質の悪い薬を売り捌いてると情報が入った。舐められたもんだ。

頭数だけは居るらしいが、所詮は破落戸の寄せ集め。ポートマフィア構成員を見るや否や血相変えて逃げて行く奴もいれば、抗いもせず降参する奴もいる。

組織として統率がとれていない上に、簡単に組織を捨てる奴が絶えない。覚悟がない奴が多過ぎる。

こんな組織の制圧なんざ、遊撃隊数人で片がつくだろう。
然し首領は見せしめだと、俺と太宰に完膚無きまでに潰せと命じた。

俺は何時も通り粛々と任務に取り掛かる。

雑魚をいくら倒しても意味が無い。組織に肝心なのは頭だ。倉庫内を見渡す。
…其れらしき人物は見当たらない。其れどころか、幹部らしき人物すら見当たらなかった。

逃げられたか。

「もう此処はもぬけの空みたいだね。」

ふぅ、と息を吐き乍ら、然し大して驚きも取り乱しもせずに太宰が言う。大方、予想通りといったところなんだろう。
此奴の良く回り過ぎる頭がムカつく。

「でもね、中也。」

嫌味な笑顔を俺に向け、太宰は続けた。

「此の辺りを任されていた幹部がまだ近辺に居る筈だよ。二手に分かれて探そうじゃあないか。」

なんでそんな事がわかる、という質問は此奴には意味が無い事ぐらい解っていた。

「じゃあ俺は彼方に…」

「中也は其方ねー」

右手の親指で自分の右方向を指し示し乍ら言うと、既に太宰は俺の指し示した方向へ歩いていた。
彼奴は人を苛つかせる天才だ。俺は彼奴に聞こえる様に舌打ちをし乍ら、仕方なく自分の左方向へ足を進めた。

元居た倉庫からだいぶ歩いたが、其れらしき人物は居らず、特に異常も感じられなかった。

外れか。屹度、太宰の行った方向が当たりで、彼奴は其れが解ってて彼方を選んだんだろう。喰えねぇ野郎だ全く。

そろそろ戻るかと思った、其の時。

『うっ…!!』

静寂の闇の中、男の呻き声が響いた。

声のした方へ駆け寄り、倉庫に隠れながら様子を伺う。苦しそうに首を掻き毟る男と、紅いドレスの、女…?

闇夜に咲く花。

其れはまるで、紅い椿。

一瞬にして視線を奪われた。
美しいと思った。

すると其の女に凭れ掛かる男は脱力し、もう事切れたのだと悟った。
女は男の腰に回していた細く白い腕をパッと離し、男は其の場に仰向けに横たわる。

其奴は、探していた麻薬密輸組織の幹部だった。

「莫迦な男。」

女は呟いた後、舌を軽く出した。
此奴はプロだ。
瞬時に理解した。

普通の人間なら、目の前で苦しみ死んだ人間を前に冷静では居られないだろう。
女なら悲鳴の一つや二つ上げるのが通常だ。

「おー、見事、見事。」

未だ俺の存在に気づかない女に態とパン、パンと2回手を叩いてみせた。

女が此方に視線を向ける。
端整な顔立ちの女だった。

一先ず近づいて、倒れてビクともしない男の確認を。
女は落ちていた外套を拾い上げ、俺に話しかけてきた。

「これはこれは…ポートマフィア様。」

どうやら俺がポートマフィアという事は認識済みらしい。女の言葉には応えず、足元の男を見遣ると、矢張り組織幹部の男だった。

呼吸は無く、白目を剥き泡を吹いている。
特に出血、外傷も無い。
毒殺か。

獲物を横取りされた気分から舌打ちをし、女に手が届く距離まで近づき睨みつけた。

「この男が誰か知ってて殺ったのか?如何やって殺った?手前は誰だ?」

女に問い質すが、何を思ったのか、女は俺に擦り寄ってきた。
甘い香りが鼻孔を掠める。

「そんなに一度に沢山質問されては覚えきれませんわ。」

優美な紅い椿に誘惑される。
悪い気はしない。至近距離で甘えた様な囁きは、俺の鼓膜に心地良かった。

俺は女の誘いに乗ってやった。
細く括れた腰に手を回す。

任務中でなければ、此の侭、悦ばせてやりたい処だが…まだ甘いな。

色気よりも殺気を強く感じる。

にやりと笑い、腰から下へと手を降ろす。

「この男も哀れだよなァ?こんな見え透いた色仕掛けに掛かっちまうとは。」

俺は言い乍ら、太腿に隠してあったナイフを抜き取ってやる。
其れには矢張り血痕どころか指紋一つ無い。
他に武器を隠してはいない様子から、毒殺がほぼ確定した。

女は一瞬驚いた様に目を見開き、直ぐ様俺からナイフを取り返し、少し距離を取った。
ナイフを使ったのか知りたかっただけだった為、素直に取られてやった。

自分の腕に自信があったんだろう。女が次に如何出るか見ていると、両手を挙げ、戦う意思が無い事を主張してきた。

「誤解しないで頂きたい。私は貴方様の敵ではございません。此度は標的が同一人物だった故、斯様な結果になってしまったというだけの事。」

此度の標的。矢張り暗殺者か。雇い主は誰だ。

「はっ、そんなこたァ如何でも良い。お前は一体…」

確認しておこうと言うと、女は俺の目の前に人差し指を1本立てて突き出した。

「然し乍ら、味方、という訳でもございません。」

「…あ?」

質問を遮られて少し苛ついた。
ほんの少しだけ異能を発動したら、女は変化に気付いた様子で少し驚き乍らも続けた。

「ご質問にはお答え出来ませんが、一つ、情報提供致します。」

「其れで見逃せって事か。」

交換条件か。女はにっこりと嗤ってみせた。
情報は必要だった。足元に転がる情報源となる筈だった男には、もうどんなに拷問した処で何も聞き出せないからだ。

目の前の女の手によって、暗殺されてしまったのだから。

無言の俺を、了承と見て女は続けた。

「頭含め他の幹部等の逃げた先は千葉の港。」

成る程、彼処か。ちと遠いが、『完膚無きまで』潰すには行くしかねぇな。

そんな事を考えていると、後ろから虫唾が走る様な声で名前を呼ばれた。

「中也、此方は外れだったが…」

「太宰か。」

振り向いた、その瞬間。

「ぶっ!てめ…!!」

女は俺の帽子を取り、顔に被され視界を遮られた。
くそ…油断した。

そして女はその隙に、音もなく立ち去った。

名残惜しく、椿は香りだけを残して消えてしまった。

「おや、此方が当たりだったみたいだね。」

「ちっ!彼奴、許さねぇ!」

太宰は正体不明の女にも、泡を吹いて横たわる男にも驚きもせず、あはっと嗤い俺に近づく。

近くまで来ると、幹部の男の顔を靴先で突いた。

「死んでしまっては拷問はできないね。何か情報は掴めたの。」

まるで俺を責めるかの様な口振りに苛つき舌打ちをして答えた。

「俺が見つけた時には、もうあの女に殺されかけてたんだよ。苦しみ出したかと思ったら、数秒でこの有様だ。」

仕様がねぇだろと視線を太宰に向けると、何か言いたそうな目をしていたが、そんなの無視だ。

「だが、千葉の港に頭も幹部も逃げたと、あの女が言ってたぜ。」

太宰に背を向け、女が消えた方を見る。
背後でそう、と太宰は小さく返事をしたが、あの女の事は何も聞いてこなかった。

ヨコハマの倉庫街は静寂を取り戻していた。
ポートマフィアの制裁完了と共に。


2017.02.27*ruka



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*confeito*