◇ 双黒クラシコ 弐
「中也さん、お疲れ様でした。」
任務も無事に終わり、本部へ帰る車中、なまえが中原に話し掛ける。聞けば中原の本日の業務は終了したらしい。
「この儘、ご自宅にお送りしましょうか。」
確かにもう仕事が無いのなら本部に戻る必要がなかった。なまえの申し出を断る理由もなく、返事をしようと口を開く。
「…あぁ、そうだな。なまえはまだ仕事か?」
中原の問い掛けに、一度横目でちらりと視線を向けたなまえ。何故だか答え難そうに口籠っていた。嫌な予感がした中原はなまえを問い詰めた。
「何だよ、言えねぇ事でもあンのかよ。」
運転席のヘッドレストに手を掛け、やや下から睨み付ける様に言う中原に冷や汗を流すなまえ。
此れは正直に話さなけば殺されると肌で感じていた。
「えっと、仕事は私も終了、なんですが…」
「歯切れ悪ぃな。ですが、何だよ。」
赤信号で車が停止する。早く話せと無言の圧力に負け、なまえは観念し続けた。
「実は太宰さんに、お食事にお誘い戴いておりまして…その、中也さんには呉々も内密にする様、言い付けられていたので…すみません。」
「………手前、其の意味、解ってんのか。」
てっきり怒鳴られるかと思い、身構えていたなまえは肩透かしを喰らう。先まで睨み付けていた中原の瞳は、どこか悲哀を帯びていたのだ。
「え…と、中也さん、意味って、どういう…」
本人に悪気は少しもなく、不思議そうに問うてくるなまえを見つめ、溜息を零す。
太宰も報われない、ほんの少しだけ同情をした中原だった。
「だから、手前は…なまえは太宰が好きなのかって聞いてんだよ。」
なまえの動きが完全にフリーズする。彼女の聡明な頭脳が最も苦手としている分野の答弁だからだ。
プーーーーーー
何時の間にか信号は青に変わっており、後続車の怒りのクラクションによって漸く動き出すなまえ。慌て過ぎてアクセルを強く踏み込んでしまい、自身も中原も座席に押し付けられた。
「す、すみません!中也さん…大丈夫でしたか?」
「…あぁ、気にすんな。」
中原はその儘、座席を後方へ倒し、帽子を顔に被せた。
「少し寝る。着いたら起こせ。」
なまえはか細い声で了解の返事をした。然し、数秒後に呟くように話し始めた。
「中也さん、寝ながらで構わないので聞いて…いえ、聞いてなくても良いです。私の独り言です。」
一度横目で中原を見るも無反応。ハンドルを握る手に力を込めて続けた。
「私にとって太宰さんも、中也さんも、尊敬する上司です。異能力を持たない私には足元にも及ばないお二人ですが、常に優しさと厳しさをもって私を指導して下さって感謝しかありません。それでいて…」
なまえは言葉を区切り、少し照れくさそうに頬を淡く染めた。
「勝手に、なので、嫌がられてしまうかもしれませんが、家族…兄の様な存在としてお二人をお慕いしております。」
再び赤信号で車が停止する。なまえは少し肩の力を抜き、座席にそっと体重を預ける。
「だから、太宰さんも、中也さんも大好きなんです。」
「…っ!」
寝ていた筈の中原が急にゲホゴホと咳込み、勢い良く起き上がる。顔に被せていた帽子が足元へと転がり落ちた。
「え?だ、大丈夫ですか?あ、お帽子が」
落ちた帽子を拾おうと伸ばしたなまえの手首を中原が掴む。
赤らんだ顔でなまえをじっと見つめる。
口を開いては発言せずに閉じる、という事を何度か繰り返す中原に困惑の表情を向けるなまえ。
「えと、中也さ…」
「こンのド天然が。或る意味、太宰よりも意地が悪いぜ。」
中原はそこまで言うと、掴んでいたなまえの手首を自身の方へ引き寄せ、自身も身を乗り出す。
反対の手をなまえの後頭部へと回し、額にそっと口付けた。
「へ?」
突然の出来事で状況が呑み込めずにいたなまえの視界には、悪戯っ子の様に愉しそうに笑う中原が映り、みるみるうちに全身が熱を帯び真っ赤になった。
あ、とか、う、とか言葉にならない発言をし乍ら、額を手で覆うなまえに、中原は声を上げて笑った。
「行先変更だ。俺もその”お食事会”に着いてってやる。クソ太宰と二人きりなんて心配だからなァ、兄として。」
帽子を拾い乍ら座席に戻った中原は、にやりと笑う。
なまえは途端に冷静になり、もう一人の”兄”が脳裏に過る。
中原には内密にという約束を破り、剰えその食事の場に中原を連れて行ったものならば、一体どんな嫌がらせを受けるだろうか。
「おい、信号変わったぞ。」
中原の言葉で現実に引き戻されるなまえ。運転をし乍ら脳内で様々な言い訳を考える。然し、彼の人にはどんな言い訳も通用しない事が十二分に解っていた。
意を決して、中原に恐る恐る話し掛ける。
「あの、中也さん…?本当に来るんですか?」
「あァ?俺が居たら都合悪ぃのか?」
意義は認めないという鋭い視線に、なまえは静かに首を横に振るしか出来なかった。
車は間もなく本部へ到着する。約束の時間まではあと一時間弱。
鼻歌交じりで上機嫌な隣の人を見たら、何故かすっきりとした気分だった。
なまえは誠心誠意、太宰に謝罪する事を胸に決めた。
「にしても、兄貴か。双黒クラシコは…まだ結果は出そうにねぇな。」
中原は呟き、窓の外へ視線を向けた。
夕日が沈みかけた街に、静かに夜が迫っていた。
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2018.07.08*ruka
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*confeito*