◆ 感情の名前 弐
取引は太宰さんの見事な話術で、無事大団円で終了した。
"見事"という言葉に尽きる。
私が少し説明しただけで、私の考えを全て汲み取ってくれた。
否、それ以上だった。
一しか伝えていないのに百になって返ってくる、そんな感じだ。
最年少幹部の名は伊達ではなかった。
よって、幸か不幸か、中也さんの出番はなく、つまらなさそうに大欠伸をしている。
「中也さん、お疲れ様です。送りますので、先に車に戻ってください。」
缶珈琲を渡しながら伝えると、中也さんはそれを受け取り手を挙げ、眠そうに車の方へ歩いて行った。
私は辺りを見渡す。
近くの花壇に腰掛けている姿を見つけ、小走りで駆け寄り声を掛けた。
「太宰さん、お疲れ様です。御見事でした。」
中也さんに渡したものと同じ無糖の缶珈琲を差し出す。
太宰さんはそれを見たが、受け取ってはくれなかった。それどころか返事もない。
時間は流れているのに、私一人だけ静止画と化す。
差し出したこの手は如何すればいい。
「…別に。」
時間差の後、返事を貰えた。
少しだけほっとする。
本当はもっと話をしたいけれど、中也さんも待たせているし、何より嫌いな相手が居るのは目障りだろうから…
「有難う御座いました。では…失礼致します。」
深く一礼をして、その場を立ち去ろうとした。
その時だった。
缶珈琲を持った手を掴まれたのは。
吃驚して声も出なかった。
私の動きを止めた張本人は、整った顔で私をじーっと見つめている。
頬に熱が灯る。
ある意味この状況は耐え難く、心臓の限界を感じる。
やっとの思いで口を開いた。
「な、何か…御用でしょうか。」
もっと気の利いた台詞が言えたらいいのに、こんなとき私の脳みそは役立たずだ。
「その缶珈琲、私にでしょう。折角だから貰ってあげるよ。」
太宰さんは私の手を離し、缶珈琲を掴む。
どうぞ、と私はそれから手を離す。気恥ずかしくて目を合わせられなかった。今度こそ、と先より浅い礼をして踵を返す。
「一寸待ちなよ。」
一歩を踏み出した途端、呼び止められる。
背後からは溜息が聞こえ、胸が締め付けられた。振り向くのが怖かったけれど、そんな訳にもいかず、ゆっくりと振り向く。
「そんなに中也の元に行きたいの。それとも…私といるのが厭?」
そう言った太宰さんの瞳が、少し悲しげに揺れて見えるのは気のせいだろうか。
こんな表情は見たことがない。
「い、いいえ、厭だなんて!そんな…」
「それなら、私がこれを飲み終わるまで付き合い給えよ。」
太宰さんは自分の隣をポンポンと手で軽く叩く。
隣に腰掛けろ、ということだろうか。
私が隣に座ってもいいのだろうか。
…私を、嫌っていたのではないのだろうか。
恐る恐る近づき、少し距離をとって腰を下ろした。
姿勢を正して真っ直ぐ前を向いていた。
どうしていいか、皆目見当もつかないのだから仕様がない。
私と太宰さんとの間にある、微妙な空間を太宰さんが見ている気がする。
ねぇ、と声が掛かる。
微動だにせず、口だけ動かして返事を返す。
気を悪くしただろうか。次の言葉は中々耳に届かない。
気になって少しだけ視線を横へ向ける。
私があげた缶珈琲を飲む姿が映った。
もう少し見ていても、許されるだろうか。
屹度こちら側は、包帯であまり見えていない筈。
そう油断した瞬間、反対の瞳が私を捉える。
私は全力で真正面へ向き直った。
見ていたことがバレただろうか。
「君って、私のこと嫌ってるでしょ。」
掛けられたのは、予想だにしなかった言葉だった。不意打ち過ぎて過剰反応をしてしまう。
「な、嫌ってなんていません!寧ろ」
そこまで言ってはっとする。
何を口走っているのだろう。
相手はポートマフィアの幹部で、内外で人気高い太宰さんだ。私が相手にされる訳ないのだから。
それに…自ら傷つく必要なんてない。
自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしつつ閉口した。
「寧ろ、なんだい。」
隣から意地悪にも続きを促す声が聞こえる。まぁ、そこまで聞いたら続きが気になるのは解る。
でも、聡明なこの人は、続く言葉を解っているのではないだろうか。
その上で迷惑だと、きっぱり断る心算なのではないだろうか。
卑屈な考えが止まらず、急に視界がぼやけてくる。
「ねぇ、続きを聞かせてよ。」
口を噤んだ儘の私に痺れを切らしたのか、太宰さんは私との距離を詰めた。
私が不自然に空けた間はなくなってしまった。
今迄で一番近付いた、そんな喜びに浸ることも出来ず俯く。
続きを言ってしまえば、こんなに近くにいるのに、決して埋まらない溝を、見えない溝を、まざまざと思い知らされることになるから。
「そろそろ行かないと、中也さんも待たせてい」
「駄目だ。」
なんとかはぐらかして立ち上がろうとした手を、また太宰さんに掴まれる。
声にも、掴む手にも、怒気が含まれているような威圧感を感じる。
「続きを聞かないと、この手を離さないよ。」
幹部相手に失礼と思ったが、顔を向けることができなかった。
今、太宰さんの顔を見たら、瞳に溜まったものが溢れそうな予感がしたから。
太宰さんは黙り込んだ私を咎めることはしなかったが、唯、宣言通り手は離してもらえなかった。
正直に答えないと、本当に手を離してもらえない気がする。
常識的にずっと離さないなんて有り得ないけれど、有り得ないことをしてしまうのがこの人だ。
私は大きく深呼吸をした。
深呼吸をしたところで、心臓は静かにならないし、涙もギリギリ踏み留まっている状況は変わらないけれど、決心は着いた。
「この儘お答えする無礼を、お許しください。」
返事はなかったが、私の手を掴む太宰さんの手がピクリと反応した。
「太宰さんのことを嫌ってなんていません、寧ろ…憧れています。
太宰さんに嫌われていることは気づいていたんです。
それでも好きでした。」
そこまで言うと、太宰さんの手が離れていった。
自由になった私の手が、ぶらりと垂れる。
「でも、もう今日でちゃんと諦めますから…不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。」
「まったく…この珈琲はなんだい。私はミルク多めで砂糖は倍の珈琲が飲みたいのに、ちっとも甘くない。」
決死の思いで洗いざらい告白したというのに、太宰さんは突然珈琲の愚痴を言い始めた。
甘い訳がない。無糖の珈琲を買ったのだから。
全てが裏目に出てしまうんだなぁと、いっそのこと笑えてくる。
謝ろうと少し振り向いた時、視界に映ったのは白だった。
包帯の白。
それ以外は解らない。
何が起きたのか、理解が追いつかない。
唯、珈琲の苦い味が、口内に広がっていた。
「ん、甘くなった。」
目を見開き過ぎて、そろそろ乾いてきた。
ニヤリと笑う太宰さんが見えて、漸く瞬きをした。
何故か、太宰さんに口付けをされた…?
未だに信じられず、手で口を覆う。
高熱で倒れそうな頭では、到底冷静な判断はできそうにない。
「ど…して?」
絞り出すように呟く。すると、太宰さんは軽く息を吐いて、口を覆っていた私の手を掴む。
なんだろう、また怒らせてしまったのだろうか。
"思考回路はショート寸前"という状況はこういうことか。
太宰さんは反対の手で私の頬を撫ぜた。
「言葉にしないと解らない?」
そう言うと、再び口付けを落とす。
「なまえちゃんは…中也のことが好きなんだと思ってた。」
太宰さんがあまりにも的外れた事を言うものだから、緊張が解れ、思わず笑ってしまった。
「笑ったね?君は、私がどれだけ嫉妬に駆られていたか知らないのだよ。」
「太宰さんが嫉妬?中也さんに?」
そんな素振り少しも感じなかった。
でも、そういう視点で思い返してみると、太宰さんが近くにいる時、やたらと中也さんは私に近かった気がする。
若しかして中也さんは、太宰さんの気持ちに気付いてて態と…?
その考えに至り、太宰さんを見ると、同じ意見らしく物凄く嫌そうな表情を浮かべていた。
「中也にしてやられたようだ。」
いつも遠くから見つめていた。
いつの間にか中也の隣を歩く彼女を、幹部でもない癖に、首領に頼み込んで近くに置くことにしたと、中也は嬉しそうに話していた。
中也が彼女に触れる度、彼女が中也に笑い掛ける度、苦しいくらいに胸が締め付けられる。
この感情の名前を知るのには、時間はそう掛からなかった。
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2019.01.27*ruka
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*confeito*