◇ 中原メソッド 壱


都内にある五つ星ホテルのロビーフロアには、クラシックが流れ、宿泊客やビジネスで利用する人が点在していた。
その中になまえの姿も在った。
身形と姿勢を正し、短い息を吐く。左手の腕時計を確認すると、硝子張りのエントランスに視線を向けた。

今日はなまえの所属する会社の、今後に関わる大事な商談が行われる。
その一大プロジェクトをなまえが任されていた。
そのプロジェクトには巨額の融資を必要とし、名乗りを上げたのが森コーポレーションだった。

今まで直接的な繋がりはなかったが、どこからか今回のプロジェクトを聞きつけ、興味を持ったらしい。
そこの幹部が直接プレゼンを聞き、融資するか決めたいという申し出だった。
正直、自社の資産だけでは実現が限りなく不可能に近いほど資金が必要となるプロジェクトであり、銀行や関連会社に融資を募る予定だった為、大変に有り難い申し出だった。

今日だけはしくじれない。
プロジェクトの、会社の命運をかけた商談だ。
なまえは再び、腕時計で時間を確認する。間もなく、約束の時間になる。
すると、エントランスに一台の黒塗りの車が横付けされたのが目に入る。
アレだ。
なまえはロビーを飛び出して、車から降りてきた人物に声を掛ける。

「おはようございます。本日は御足労頂き誠に感謝致します。
ご案内致します。どうぞ此方へ、中原様。」

深々とお辞儀をして述べた後、なまえは頭を上げ驚く。
そこにいたのが、想像していたよりも若い男だったからだ。
表情は笑顔の儘、中原を会議室へ案内する。会議室はレストランと併設されている、一番高価な一室を抑えてある。
商談の後、其の儘食事会へ移行する段取りだ。

昇降機で、当該階まで上昇する。
ふわりと香る上品な香水は、後ろに居る中原だろうとなまえは思い、口では天気の話など当たり障りのない会話を発しながら、様々な思考を巡らせる。
この齢で、大企業の幹部…整った顔立ちに、堂々たる風格。それと帽子と黒手袋。
なまえは、詮索すればするほど謎が深まった。

「なぁ、手前の名を聞いてなかったな。」

「大変失礼致しました。私はみょうじと申します。
本日のプロジェクトを担当させて頂いております。」

中原は少し驚いた様子を見せた。

「プロジェクトの概要は聞いた。中々に面白いプロジェクトだが、大胆過ぎる。
否、無謀な規模だったから、どんなイカれた野郎が考えたんだか見物に来たんだが…
真逆、手前のような女だったとはな。」

中原がくつくつと笑う。なまえは馬鹿にされたとは思ったが、相手が相手だけに怒ることはできず、ニコリと笑顔を返す。
まだまだ男社会のなまえの会社ではよくあることでもあり、耐性によって我慢がいった。

「確かに、一見無謀に思えるかもしれません。でも、今日のプレゼンが終わった頃には実現可能だという事を、納得して頂けるかと。」

「はっ、大層な自信だな、悪くない。」

昇降機が到着し、中原は降りながらなまえを横目で見る。不敵な笑みを浮かべるなまえが視界の端に映った。



会議室ではなまえの会社の重役達がおり、次々と中原に挨拶をしていく。その間に、なまえはプレゼンの準備をする。
プロジェクターに映し出すプレゼンソフトを起動し、データを呼び出す。

「………あれ。」

パソコンを操作するなまえが僅かに声を上げた。
カチカチと何度も連続してクリック音が鳴るが、重役たちは気付いていない。

「え……嘘、なんで…」

なまえの顔色が徐々に青褪めていく。クリック音は止まらない。
なまえの上司の男が異常に気付き、声を掛けた。

「みょうじ君、一体如何したんだ。早く映像を出してくれ。」

「あ、はい…あの、でも……」

歯切れの悪い返事を返すなまえの様子は明らかにおかしかった。
重役たちと挨拶をしていた中原が、ふとなまえへ視線を向けると、慌てた光景が目に入る。中原は其方の会話に聞き耳を立てた。

「なんだと!データが消えた?ちゃんと確認しなかったのか!」

上司の男は声を荒げた。

「勿論、確認しました。私がエントランスに降りるまでは、確かに此処に保存されていて、バックアップまで消えてるなんてあり得ない……意図的に誰かが消したとしか…」

なまえはそこまで言うと、ハッとして顔を上げた。上司である男は怒りを露わにしている。

「みょうじ君…真逆、この僕がデータを消したとでも言いたいのか!」

「い、いえ…そういう訳ではありません。すみません…」

なまえは上司の男に謝ると、視線を落とし黙り込んでしまった。
きらりと雫が輝き、二粒床へ落ちた。その上では上司の男がニヤニヤとほくそ笑んでいる。
中原はその様子を観察していた。漸く異変に気付いた重役たちが、上司の男に問い掛ける。男は丁寧に状況を説明した。

みょうじのケアレスミスの所為でプレゼンができないかもしれない、と。

なまえは終始頭を下げ、謝罪していた。口々に罵声を浴びせる重役達。
見兼ねた中原が、近くの机を思い切り叩いた。
一気に静まり返る室内。
なまえ以外の者の視線が、中原へ向けられた。

「此処に置いてある資料だけで説明できんじゃねーのか。俺を納得させるんだろ、みょうじ。」

一同の視線が、同時になまえに移る。
頭を下げた儘の姿勢だったなまえが顔を上げる。そこにはもう涙はなく、自信に満ちた表情だけがあった。

「はい、できます。やらせてください!」

「佳い返事だ、さっさと始めろ。」




2019.01.03*ruka


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*confeito*