怒ってるシュウ君可愛い
身体が揺れる感覚に、ふ、と意識を取り戻す。重いまぶたをゆっくりと上げれば、自分が車の中なのだと気付く。手を後ろに回されて縛られていて、脚も同様に縛られているから身動きは取れない。ただ、後部座席に人はいなくて車の助手席と運転席に人がいる。
(親切心に漬け込んだ誘拐とはまたよく考えてるな……)
冷静に思うのは、まだ犯人たちが私に背中を見せているからだろうか。あと、シュウ君が言っていた『犯人たちは攫ってもすぐに殺しはしないと思う』ということ。確かに今まで誘拐されたであろう時間帯から遺体発見まで、時間があった。と、いうことは多少暴行される覚悟はしなければならないかもしれないがすぐに死ぬことはないハズ。例外がなければ、だけれど。
脚と腕は縛られているものの、口が喋られるようにガムテ等をされていないのは起きたときに気付けるようにだろうか。はたまた女の人の叫び声とかそういうのを聞くのが好きなのか。趣味悪いな。
どれぐらい意識を失っていたいのかは分からないけれど、そっと目を閉じてまだ意識が戻っていないフリをしながら状況を探る。車で移動しているということはそれなりの距離を離れた可能性だってある。耳を澄ませれば、少しぐらい外の情報が得られないだろうか。そう思い、聴覚に五感を集中させたとき。
(……んん?)
一瞬気の所為かと思ったその音に、眉根を寄せる。同時に、前に座る男二人も異変に気付いたらしく、車内が騒々しくなっていく。
「何だありゃあ!」
「馬か? にしてもなんでこんなとこに馬が……」
聞こえてくる音。それは、馬の蹄に付けられた蹄鉄が地面を蹴る音だった。勿論、街中に馬がいるというのは別に特に驚くことではないし、馬進入禁止区域でなければ普通に生活していても見かけることだってある。ただ、その音が確実にこちらに向かって来ているということだ。徐々に近くなってくる音は、少なくともその馬が歩いてはいないことを示す。
(なんでだろう、すっごく嫌な予感がする……)
シュウ君が、嫌な予感がすると言っていたときの気持ちはこういう感じなのだろうか。あまり窓の外を見たくないような気持ちになりつつ、前が騒がしいから大丈夫かな、と瞼を開けてチラリと外を見る。
「シュ、シュウ君……?」
視界に飛び込んだのは、車と並走する馬。そして、その馬を巧みに操るシュウ君。馬を走らせつつ後部座席を気にするように車を見ていたシュウ君と瞼を開けた私の視線が交わる。瞬間、シュウ君は眉根を寄せて一気に馬を前へと走らせて。
「このガキッ!」
「ぅおッ!」
「きゃっ、!」
車内にいた全員が、悲鳴を上げる。一瞬見えたのは、車の前方に馬を飛び出させたシュウ君の姿。勿論、馬の背には手綱を持ったシュウ君。誘拐犯もまさか馬を轢くわけにはいかないと思っての急ブレーキだろう。運転席と助手席に座る二人はシートベルトをしているからあまり被害はないだろうけれども、後ろに転がされていた私は違う。シートに転がっていた私は見事足元に転がり落ちて頭を打った。手が後ろで縛られてしまっていることもあり防御も何もなくダイレクトに打ち付けた頭の痛みに耐えていると、ガチャリと扉の開く音がして痛みに耐えつつ顔を上げれば前に座る二人が車の外に出たらしい。恐らくは、目の前のシュウ君に詰め寄るために。
「待っ、」
身体を起こそうとして、けれども腕と足を拘束された身体では上手く起き上がれずに状況を見守るしか出来ない。運転席に座っていた男がシュウ君に近付いて、馬に座るシュウ君の胸ぐらを掴んでシュウ君の身体が馬から離れて浮き上がる。その光景にビクリと身体が揺れて、けれどもシュウ君はまるで予想していたかのように少しだけ身体を仰け反らせて勢いを付けた後に自身を掴み上げる手に蹴りを入れてその衝撃で男は手を離し、シュウ君は地面に着地する。次の瞬間にはもう一人の男の脛に容赦なく蹴りを入れて、その勢いのまま同じように自分を掴み上げていた方の男の脛にも蹴りをお見舞いして。子どもからの蹴りとはいえ、脛となるとかなりの痛みとなるだろう。
(容赦ない……)
どう考えてもシュウ君が危ない状況ではあるというのに、あの身のこなしをみるとどこか冷静になっていく。いやでもこのままだと危ないな、と冷静に思ったところで、聞こえてきたサイレンの音にほっと息を吐く。その音は勿論車外にいる犯人らとシュウ君にも届いたわけで、シュウ君がバッと駆けてこちらに向かってくるのが見えた。
「お姉さん!」
「無事だよー」
「バカッ!」
「うぇ、いきなりの罵倒」
「だってそうじゃん! 僕気をつけてって言ったよね!?」
「それは大変申し訳ないと言うかなんというか」
シュウ君は大丈夫か否かの心配より容赦なく罵倒をして、けれどもやっぱり心配はしてくれているのかプリプリと怒りながらも縄を切った後は私の身体を起こして真正面から抱き着く。身体がバキバキなのを感じつつも今は先に心配をかけさせてしまった以上シュウ君を慰めることの方が先かな、とその背中をそっと叩く。
「あんな見え透いた罠に引っかかるし」
「そうだねぇ」
「あっさり誘拐されるし」
「手際良くてびっくりした」
「縄抜けする気配もないし」
「それはちょっと厳しいかな」
ハハ、と苦笑いをしつつ、視界の端で警察官に犯人が拘束されるのを捉える。シュウ君が呼んでくれたのだろうか、一人の警察官が馬がいることに困惑していたけれども正直私もそこに関してはちょっと意味が分からないのでそっと見てみぬフリをしたい。シュウ君が目撃してくれていたのはいいとしてはたしてどこで馬を調達してきたのか。
シュウ君はひとしきり私に不満を述べた後、おずおずと私を見ながら、痛いとこない?、と少し泣きそうな顔で尋ねた。これじゃあどっちが誘拐されてたのか分かんないな、なんて思いながら、私はシュウ君の額に自分の額を重ねる。
「助けてくれてありがとう。シュウ君のおかげでどこも怪我してないし、痛いところもないよ」
「……よかった」
ふわり、とシュウ君が笑って、私も口角を上げる。けれども大の大人二人に向かっていったことは褒められたことじゃない。そこだけは後でしっかりお灸を据えなければな、と思っていれば警察の人が車を覗き込んで、明らかに誘拐されそうになっていた私を見て目を丸くした後に慌てた様子で声を掛けた。まるで被害者がこんなとこにいたままだとは思っていなかったようなその素振りに苦笑いをしながら、私はシュウ君に声をかけてようやく車の外に出ることとなった。
◇ ◇ ◇
「なにか言ったらどうだ秀一」
「だって別に悪いことしたとは思ってないし」
「秀一ッ!」
腕を組んで秀一君を問いただすメアリーさんと、その目の前に座るものの、ぷいっと怒られることに納得がいかないというようにそっぽを向くシュウ君。そんなシュウ君の隣で私の方が怒られているかのようにそっとメアリーさんから視線を逸らした。どうやら美人が怒ると迫力があるというのは本当らしい。
「全く、怪我がなかったからいいものを……。いくらなんでも犯人に食って掛かるのはやりすぎよ」
「だって他に止める人いなかったし」
「そこは私もちょっとフォロー出来ないよシュウ君……」
子どもが大人に食って掛かるのもどうかと思うのに、今回犯人は二人だったから場合によってはシュウ君だって危なかっただろう。犯人が子どもだと思って油断していたのか、それとも運がよかったのか。どちらにせよシュウ君に怪我が無かったことが救いである。
きっとシュウ君が猫だったならば不満げに尻尾をゆらゆらと揺らしていたことだろう。そのぐらい今のシュウ君は不満そうで、私はそれをなだめるかのようにそっとシュウ君の頭を撫でる。
「シュウ君、お母さんと一緒の時に私が誘拐されるのを見て追いかけてくれたんだよね。でも、急に追い掛けるのはやっぱりお母さんも心配しちゃうよ」
「……二人ぐらいなら、大丈夫だよ」
「シュウ君がそう思ってても、犯人がナイフや拳銃を隠し持っていたら分からないでしょ? 助けてくれたのは嬉しいけど、やっぱり危ないことは控えよう?」
「…………ん」
ぎゅう、とシュウ君が私の手を握る。どこか不満そうだけれども、まぁ妥協点だろうか。メアリーさんもそう思ったのか、それより貴方に怪我はないかしら、と私の心配をしてくれて、シュウ君のおかげで特に何もないことを告げれば安心したようにほっと息を吐いた。
「シュウ君が来てくれなかったら下手したら死んでましたし、助かりました」
「まぁ、好きな女一人守れないような男に結婚の許可は出来なかったわね」
「え、それ引きずるんですか」
「自分の命を顧みないぐらい、秀一は貴方のことが好きってことよ」
自分の息子が命がけで助けに行くのははたしていいことなのか。聞きたいような怖いようなそんな複雑な気持ちを抱えてメアリーさんを見れば、メアリーさんと目が合ってにっこりと笑みを浮かべられる。うぅん、別に確定したわけじゃないとはいえシュウ君に嫁ぐのが私でいいのか。
私達の話が一通り済むのを見計らっていたのか、警察の人がメアリーさんを呼んでメアリーさんはそちらの方に向かう。恐らくはシュウ君も犯人を目撃しているしなんなら犯人を伸しているからそのことだろう。メアリーさんがこの場を離れたことにより私とシュウ君が二人になって、私はシュウ君の手を少し強めに握る。そうすればシュウ君は私を見ながら首を傾げて、その姿に私は少しだけ笑みを浮かべた。
「……シュウ君、」
「うん?」
「助けてくれてありがとう。シュウ君のおかげで、怖くなかったや」
「……好きな人を守るのは、当たり前のことだよ」
「ふふっ、でも嬉しいよ」
照れ隠しだろうか。ぷい、と視線を逸らすシュウ君に私の頬はゆるゆるだ。まだ十歳だけれど私の騎士のように守ってくれるシュウ君を、暫くはとことん甘やかすことにしよう。わりと普段から甘やかしているような気はするけれど、もう少しぐらい甘やかしても許されると思う。なんだかんだ、シュウ君がシュウ君なら私も私、みたいなところはある気がするけれどそれを咎めるひともいないのでいいだろう。まずはまた改めてあったときにうんとハグをしよう。そんなことを考えながら、他愛もない話をしてメアリーさんと警察の人の話が終わるのを待っていた。
◇ ◇ ◇
バタバタと慌ただしい足音に頬を緩めつつ、その足音だけでもう相手が誰なのか分かる自分に苦笑いをする。確か今日はシュウ君が発育測定だと言っていたから、恐らくはそれでだろう。部屋の扉が開けば案の定シュウ君だった。
「お姉さん身長何センチ!?」
「私? 私の身長はね、」
私の身長をシュウ君に告げれば、シュウ君はきゅっと眉根を寄せて、ぷくーっと頬を膨らませた。どうやらまだシュウ君の身長は私には届かないらしい。まぁ、分かってはいたのだけれども。なんだかんだ身長を抜くまではあと数年ぐらいかかるだろうか。
「何センチ伸びてたの?」
「五センチ!」
「おぉ、成長期。まだ私の身長までは届かないね〜」
「もう少ししたら一気に追い抜くからね! 成長痛だってあるかもしれないし!」
「ほどほどに期待しておきます」
むぅ、と頬をふくらませるシュウ君を見つつ、キッチンで紅茶を淹れる。メアリーさんの身長は私よりも高いし、確かお父さんの身長も高かったからシュウ君が男の子なことを考えるとあまり悠長なことも言ってられないのだけれど。といっても、女の子の方が成長期が先にきてから男の子の方が一気に伸びるから、まだもう少しだけ私より小さいシュウ君でいてくれるだろう。あと何年ぐらいかなぁ、と思いつつ自分の身長が書かれている結果を見ながら眉根を寄せるシュウ君を見る。
「もう少し牛乳増やそうかな……」
「そんなに焦らなくても、すぐ伸びるよ」
「僕は早くお姉さんの身長を抜きたいの!」
「私は逃げも隠れもしないよ〜」
相手もいないから安心していいよ。へらりと笑ってそう告げれば、シュウ君はまだ不満はありそうだけれどもソファーに腰をおろした。もう数年でいいから、私を近所のお姉さんと慕っていてほしいなんて思ったり。
トレイにティーカップとティーポットを置いて、それをソファーの前にあるテーブルに置いた。そのまま隣に腰掛けつつシュウ君の頭を撫でれば、シュウ君は気持ちを切り替えたのか私に甘えるように寄りかかった。
「あと五年も経てば抜いてるんじゃない?」
「五年も経てば生まれた赤ちゃんもお箸持てるよ」
「まさかの赤ちゃんから基準」
未就学児の一年というのはかなりの差になるのでそこを基準にするのはやめていただきたいところ。けれど、シュウ君からすればそのぐらい不満だということなのだろう。
今のシュウ君は、十歳。誕生日が来れば十一歳。もう一年も経たずにセカンダリースクールに入学するわけで、セカンダリースクールに入って二、三年もすれば一気に成長していくことになるだろう。
「楽しみだなぁ、シュウ君が身長抜いてくれるの」
「……それは、期待してもいいの?」
「んー、どうだろうねぇ」
告白してくれるのはまぁ分かっているからいいとして、今の所返事は考えていない。というか、そのときまでシュウ君が私のことを好きだと思ってくれていると決まったわけじゃない。身長がいよいよ近ったときのシュウ君の反応を見つつ考えればなぁ、なんて思っている。今から真面目に考えておいていざ身長を抜いても告白してくれなかったらそれはそれでは私が恥ずかしい人になる。
(まぁ、仮に告白してくれたとしてもシュウ君はその場で答えを求めるタイプじゃない気がするし)
ほんの少しでいいから考える時間ぐらいはくれるハズ。お姉さんって罪な人だね、なんて言うシュウ君の言葉は聞こえなかったフリをして、私はティーカップに紅茶を入れた。
2020.02.25
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