恋路は縁のもの




※「地獄の一丁目」続き







前世を思い出したのは、宍色の髪を持つ親友と再開を果たした時だった。目を見開いたまま涙を流す俺を呆れたように笑いながら、「男なら泣くんじゃない。」と頭を乱暴に撫でた錆兎は、そのまま俺の手を引き鱗滝さんのもとへと連れられた。

「…よく来たな、義勇。」

優しく撫でられまた泣き出した俺に、錆兎も今度はなにも言わず、励ますように背中を優しく叩いてくれた。



◆ ◇ ◆



前世で好いた人がいた。双子の姉より表情豊かでほんの少し身長も高かった彼女は、俺が柱になる前から何度か任務を共にしていた。姉達の話、妹の話、姉に師事する継子達の話ところころ話を変え、嬉しそうに話す彼女に一度だけ、つまらなくはないかと聞いた事があった。

「…どうしてそんなことを?」
「、俺は…話をするのが得意じゃない。いつも言葉が足りないのだと、お前の双子の姉にも言われている。」

こんな男相手では、話していてもつまらないだろう、と告げた。
しかし彼女は目を丸くしたものの、そのまま我慢が出来ないとばかりにころころ笑い始めた。

「そんな事をお気になさってらしたのね。私がしたくてしている話ですよ?むしろ付き合わさせてしまっているのは私の方です。それに、冨岡さんはちゃんと頷いたり、相槌をしてくれるではありませんか。それだけで私はとっても嬉しいのですよ。」
「…そうか。」
「ええ、そうです。それに、楽しくなければ、他の隊士が居るなかで、わざわざあなたにだけ話しかけるなんて事しませんもの。」
「…名前、」
「!」
「…と、呼んでもいいか。」
「…はい、どうぞ。義勇さん。」

だんだんと熱を孕んでいく瞳に気づいていた。俺も彼女も、互いに想いあっていた事には気づいていた。それでも不甲斐ない俺は、想いを伝える勇気も、想いを聞いてやれる自信もなかった。

「(名前を幸せにしてやれるのは、俺じゃない。)」

そんな資格がないと想いに蓋をしてしまったのだ。
彼女が鬼に喰われ、還らぬ人となるまで、伝えることも、聞いてやることも出来なかった。



そんな俺と妹の事を聞いたであろう胡蝶の姉は、中学入学と同時に再会するなり、名前に会ってやれないかと問いかけてきた。

「冨岡くん、本当にいいの?」
「…思い出していないことを無理に思い出させる必要はない。あいつは鬼に喰われたと聞いている。最期は良いものではなかっただろう、尚更思い出させるような事はしない方がいい。」
「…そう、残念だわ。」
「?何故だ、お前も妹を泣かせたくはないだろう。」
「あら、女の子は恋をするととびきり可愛くなるのよ。」

だから私も、とびきり可愛くなるあの子を見たかったなと思ったの。少し寂しそうに笑った胡蝶を見たが気持ちが変わる事は無く、すまんと小さく謝った俺に、彼女と良く似た、けれど少し違うその顔で、困ったように笑ってみせた。



◆ ◇ ◆



入学していたのは知っていたが、会う気などなかった。胡蝶に言ったように、彼女につらい思いなどさせたくなかった。記憶がどうこうではなく、只彼女が、苦しんだり悲しむことが少なければいいと、笑って幸せでいる時間の方が多ければいいと思っていたのだ。

「名前、また沢山あそべるねえ。」

彼女の頬を伝った涙を見てぶつりと何かが千切れた音がした。持っていた荷物を地面に放り、駆け出す。部活帰りで竹刀を持っていたのは幸いだった。ニコニコと気色悪く笑うそいつの頬めがけ思い切り斬りかかったが、寸でのところで気づいたそいつに腕で防がれてしまった。
支えを失ったのであろう名前が地面へと座り込むのが横目で見えた。後ろから追い駆けてきていたらしい錆兎と真菰に彼女を任せて、男に向き合う。胡蝶から教えられた彼女の敵の特徴とよく似ていた。前世で彼女の双子の姉と、妹が仲間と共に殺したという、その鬼に。

「わあ!なんだい君、突然斬りかかってくるなんてどうかしてるぜ。」
「うるさい、黙れ、何故彼女が怯えている。何故彼女が泣いている。名前に何をした。」
「え?本当になんだい君、黙れって言ったり質問をしてきたり…よくわからない子だなあ。」
「黙れ、無駄口を叩くな、質問にだけ答えろ。」
「…再会したんだよ、昔から柔らかくて甘い香りがして美味しい子だなあと思っていたから、今もそうかと思って抱きしめてみたんだ。かわいい子だよね、俺を見て思い出してくれたのか、震えちゃって、すごく愛らしいと思ったんだ。」

腸が煮えくり返る。竹刀を持つ手に力が籠り、男を睨み付け振りかぶった。

「義勇!待て!!!」

錆兎の声が遠く聞こえた。振り抜く手は止まらず、男の顔に竹刀が吸い込まれるように当たる直前だった。バシンと竹刀が叩き落とされ、見知った男が間へ入って来た。

「冨岡、止まれ。」
「煉獄…?」
「おや?おやおや??猗窩座殿じゃないか!久しぶりだねえ元気だったかい?」
「童磨、歯を食い縛った方がいい。」
「え?」

バキッと鈍い音と共に、竹刀で殴りそびれた男が地面へと叩きつけられた。呆気にとられる俺達をよそに、地面に蹲る男へ、殴り飛ばした男が近づいた。

「童磨、俺の名は狛治だ。人だ。お前の仲間ではない。それと、悪いが鬼であった頃から俺はお前が心底嫌いだった。女ばかりを喰うお前がだ。あの時はそれもどうでもよかったが今は違う。もう一度言う、俺は人だ。童磨、またこんな風に誰かを泣かして怯えさせ、傷つけてみろ。もう一度こいつらの前に現れてみろ。今度はお前の顔が変わるまで殴り続けてやるからな。」

童磨と呼ばれた男は呆気にとられるように男を見つめ、またニコニコと笑いながら立ち上がった。頬を腫らしながら笑う姿は不気味だった。

「おお、怖い怖い、これを何度も受け続けたら死んでしまうよ。じゃあね、名前、またね、猗窩座殿。」
「狛治だ、二度と来るな。」

男は童磨の姿が見えなくなるまでその背を睨み付け、消えたと同時にため息をついた。記憶にある姿によく似ているものの、こんなに柔かな雰囲気を持っていたかと目を見張る。

「よもや!本当に殴り飛ばすとは、有段者が手を上げるのは犯罪ではなかったか?」
「まだ認定されていないんだから平気だろう。それより、次は殴り続けると言ってしまった、それこそ捕まる。」
「恋雪殿には先に謝っておくべきだな!」
「やめろ、段を取ってからやるわけがないだろう。」
「…おい、煉獄…」
「名前!!」

事情を話せと煉獄を問い詰める前に胡蝶が妹と共に駆けてきた。座り込んでいた名前の元へ駆け寄り無事でよかったと安堵する二人と、ようやく落ち着いて来たのか状況を飲み込むことができてきたのか、姉達に抱きつく名前にほっと息をついた。

「狛治…猗窩座と帰って居たところで胡蝶と会ってな。共に妹の所へ行こうと向かった所でお前達が絡まれているのを見つけたんだ。」
「離れたところに居るように言われて見ていたらしのぶも丁度来てくれたのよ。冨岡くん、名前を守ってくれてありがとう。」
「煉獄さん、あの男どちらへ行きましたか?」
「君は少し落ち着け胡蝶妹!君が出ていってはもっと奴が喜ぶだけだろう!」
「錆兎くんと真菰ちゃんも本当にありがとう。」
「いや、俺は義勇についてきただけだ…、義勇?」

胡蝶に抱きつく名前を無意識に見つめていた。もっと早く見つけてやればと眉間にシワを寄せる俺にため息をついた錆兎は俺の肩を小突いた。

「義勇、私と錆兎で荷物持って帰ってあげるから、ちゃんと名前を送ってあげてね。」
「!?」
「!名前、せっかく買ったものがダメになっちゃったからお姉ちゃん達で買ってくるわね!冨岡くん名前の事家までちゃんと送ってあげて!」
「はあ!?ちょっと待って姉さん何名前と冨岡さんを二人にしようとしてるのよ!ちょっと!姉さん!」

嵐のように去っていく四人に名前と二人で目を見張る。煉獄達もいつの間にか居なくなっていた。

「…立てるか?」
「…はい。」

差し出した手を取りゆっくりと立ち上がった名前に合わせて歩き出した。



◆ ◇ ◆



愛した人がいた。言葉は少ないけれど、相手を気遣える優しい人だった。私の話に合わせて相槌を打ちながら、時折小さな笑顔を浮かべる横顔が好きだった。海のような青い瞳がとても綺麗で、ふと目があった時、ほんの少しだけ優しく細められるのが好きだった。寝ている私の頭を優しく撫でてくれた手のひらが心地よくて、思わず寝たふりをしたこともあった。全部が大切だった。家族と暮らす日々と同じぐらい、大切で、大好きだった。

だんだんと熱を孕んでいく瞳に反して、会う時間が減っていっていた事に、多分早いうちから気付いていた。あの人の心にあった大きな痼を知っていたから、そうなってしまうことが不思議ではなかった。
ほんの少しでも、たった一瞬でも会えればいい。会って関係を絶ちきられなければ、いつか私がその痼を取る手伝いが出来るかもしれない。相応しくないと私を突き放す優しいあの人に、私がちゃんとしがみついていれば、気づいてくれるかもしれない。
幸せに生きていてほしい、不幸から守ってあげたい、幸せに、してあげたい。

今は想いを聞いてくれなくても、言ってくれなくてもいいから、いつか、互いにちゃんと伝えあえればいいと思っていた。

そんな日は来ることが無く、あの男に何もかも喰われた私の人生は幕を下ろしてしまったのだけど。




「…義勇さん、」
「…、何だ、」

握られた手が暑い。あの男にまた喰われて終わると思っていた私の生は、この人と、家族と、仲間のお陰で救われた。愛した青い瞳が視界に入った時、ずっと会いたかったのだと叫び出したかった。熱っぽさを含んだ声にこの人は気づいているのだろうか。ずっと我慢して、抑え込んでいた言葉を飲み込むことはもう出来なかった。

「…好きです。」

ピタリと足が止まった。握った手に、絶対に離してやるものかと力を込める。青い色が振り返った。

「好きです。ずっと、あの頃から。」
「…記憶を思い出したばかりだからだろう。」
「いいえ、いいえ違います。きっと私、忘れたままでも貴方を愛しました。死ぬ間際も、さっきも、命が危うくなるときに浮かぶのはいつも家族と、貴方の姿でした。」
「…俺は、お前を幸せにしてやれる男ではない。」

嗚呼、この人はまだそんなことを言うのか、と怒りがこみ上げてきた。違うのに、だってそれじゃあまるで、二人で居ることが不幸みたいじゃない。

「私の幸せを!勝手に決めつけないでください!!」

大声を出した私に目を丸くする彼の胸に飛び込んだ。

「貴方が私に幸せでいてほしいと思うように、私だって貴方に幸せでいてほしいのです。私だって貴方を幸せにしてあげたいし、貴方を不幸から守ってあげたいんです。貴方の隣で笑って、年老いて行きたいんです。
愛する人の側で、生きていたいんです。」

鬼に喰われて終わってしまった私の人生だった。でもその人生も大好きだった。大好きな家族も、大切な仲間も、愛する人もいたあの人生が、大好きだった。

「好きです、義勇さん。」

ふと、身体が温かく包まれた。肩に顔を埋め、すがるようにしがみついてきた義勇さんに、想いがどんどん溢れていく。

「…幸せにしてやりたいのも、守ってやりたいのも、俺も同じだ。」

「好きだ、ずっと、あの頃から。」

遅くなってすまなかった。と謝る彼に、どれの事を言っているのかと少し可笑しくなった。きっと全部ひっくるめて、遅くなってすまなかった。何だろうなと自分なりに答えを見つけ、今はもう少しこの温かい空気に浸って居ようと、瞳を閉じた。



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