元々政略結婚のようなものだった。名のある後ろ盾のほしい文官の男と旧家とは名ばかりの落ちぶれた一族の娘、お互いの利害を考えれば出会うべくして出会ったのだろう。
この時の私に選り好みなど出来るはずもない、私はどこの誰とも分からぬ草臥れた年嵩で金持ち男の嫁にいくものだとばかり思っていた。だから、呂不韋様に連れられたあの方とお会いした時の事は今でも鮮明に憶えている。
笑い事ではなく、私は呂不韋様の妾か妻になるのだと思った。その時すでに呂不韋様の財は方々でも噂になるほど莫大なものだったはずで、私の嫁ぎ先にはまさに打って付けだったからだ。けれど呂不韋様は私と父上に向かって、この男などいいかがですかと仰った。一瞬理解が遅れたが、それでも隣の殿方に恐る恐る視線を移し、そして文字通り目が点になった。
「昌文君という男で、壮丁ながら同世代ではその才覚に並ぶ者がおらんほど有能だ」
そう紹介された昌平君は一歩前に出ると私や父上に拝礼した。涼やかな切れ長の目元は優しく細められ鼻筋が通り、整った顔立ちの綺麗なお方だった。このような方なら他にいくらでも、もっと有力な後ろ盾のある家の娘を娶れるだろうに。私からすれば願ってもない事だ、もっと金持ちの元へ嫁がせたい父上を説得して私は昌平君の妻になると決めた。
昌平君が欲しいのは私の家の名前だけ、そんな事はわかっている。外に妾を囲おうと、表向きだけの夫婦であっても、立場を弁え、良き妻として生きていくつもりだった。それ位の覚悟は出来ていると思っていた。
今日は夫婦になって初めて、二人で外へ出掛けた。過ごしやすい気候で花も咲き始めている、私は夫となった昌平君の横顔をぼうと眺め、出会った時の事を思い出していた。
そしてふと、突然聞いてみたくなった、どうして私だったのかと。
「貴方ならば、もっと有力な一族の女性と結婚出来たでしょう、どうして私だったのですか」
須臾の後に後悔した。お忙しい時間の合間を縫ってせっかく連れ出して下さったのに、形ばかりの妻にこんな事を聞かれても困ってしまわれるに決まってる。慌てて平身低頭、出過ぎた事をと口を開くと、良いと遮られた。呆れてしまわれたのではないか、いたたまれなくなりぎゅっと目を瞑った。
「私が娶りたかったのが名前だからだ」
思わず顔を上げると、大きな手が私の頭を撫でた。
「呂不韋様に紹介されるより以前に、私はお前を見た事があった」
「えっ、そんな仰って下されば……」
「言葉を交わした訳ではない、お前は憶えてもいないだろう」
時折視線を宙に泳がせながら記憶を辿るように淡々と話す。そして一旦言葉を区切ると、一言一句聞き逃すまいと身を乗り出す私を見てほんの少し口角を上げた。
「初めてお前を見た時に目を奪われた、今は心すら奪われている」
真っ直ぐな言葉は胸を苦しくさせる、顔や耳が熱を持ち、思わず俯いた。すると指先が柔らかく私の頬に触れる。
「こんな男は嫌か」
「いいえ、いいえっ」
ぶんぶん首を振って着物を握り締めた。嫌なはずがない。忙しさの合間にも私との時間を作り、今もこんなに優しい眼差しを向けてくれるこの方を私だって、
「わ、私も」
政略結婚でも歳上の男との結婚でも何でもいい、愛されてさえいれば。
覚悟なんてずっと昔からしていた。あの家に生まれた運命だと自分に言い聞かせてきた。けれどやっぱり心の奥では一人の男に愛される、そんな事にずっと憧れていたから、私の事を好いてくれる相手と一生添い遂げたいと、ずっとずっと願っていた。この方とそうなれたらどんなにいいかと、何度も頭の中で思い描いた。ああ、私は初めてお会いした時からこれをずっと言いたかった、
「貴方の事を、お慕いしております」
頬に添えられた手に自分の手を重ねる、その温かさに自然と笑みが溢れた。
「お前は嬉しい時、そんな風に笑うのだな」
愛しい人の笑顔はとても美しいのだと初めて知った。
想い合う日の話
END
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