王宮の宴は絢爛豪華、だがその裏側は欲の蠢く魑魅の巣窟。有象無象の者達の集まりでしかない。


「名前様、また大臣から振舞いの酒がっ」

「……」


魔物どもめ、口から吐き出しそうになるのを堪え、すぐに頭の中で食事と酒の順番を入れ替える。今日の宴は戦に勝利した祝いらしく盛大に執り行われるため、朝からその準備で王宮内では皆慌ただしかった。戦といえど裏では金品や財が絡む、強い武将を食客に抱えようと地位のある者達は宴でも自分の有力さを誇示したいらしく、つまらない小さな争いの火の粉がこんな所にまで飛んでくる。誰の後だっただの誰が先だっただのと文句が出ないよう、順番には気を付けなければならない。


「名前様っ、また酒が……」

「……」



この後も二人の大臣から酒の差し入れがあり、最後まで頭を抱えながらもようやく宴の準備が整った。戦の功労者や文官達がぞろぞろと集まり始め、女中がそれぞれの席に案内する。この配席も長時間掛けて考え抜いたものだ、皆大人しく座っておいて下さいと祈る思いで目を配る。やがて丞相様方、相国様も席に着き、あらかたの出席者は揃っていた。


「大王様にお入りいただきます、皆には酒の準備をするよう伝えて下さい」

「はい」


すぐに大王様が姿を見せる。会場のざわめきが消えて無くなり、皆が大王様の御言葉を待っていた。


「皆、此度の戦御苦労であった。今宵の宴は皆を労うものである故、大いに鯨飲してくれ」





料理も滞りなく運べているし振舞いの酒も半分は出し終えた、今のところは順調。芸妓の方達の遊芸も見事なものだ。そろそろ宴も半ばを過ぎる、そうなれば酒癖の悪い輩が目立つようになる。気を付けながら辺りを見渡していると、若い女中の腕を引く男がいた。貼り付けた笑顔のまま、努めて柔らかな声を心掛ける。


「失礼致します」


男の腕に手を添えて間に入る。女中に目配せをして下がらせ男の方に向き直った。酒癖の悪さで女中達からも煙たがられている文官だった。


「あの者には仕事があります、どうかお許し下さい」

「ではお前が代わりに相手をせい」


赤い顔が近付いて酒の臭いが一層強く鼻を突く。宴の趣旨を理解せずにいったいどれだけ飲んだのやら、お前は戦で何もしていないだろう。顔には出さずに頭を垂れる。


「滅相もございません。玄人が控えております故、あちらの美しい芸妓がお相手致します」


着飾った芸妓が二人、笑顔を浮かべながら近付いてくる。それに気を良くした男はだらしなく頬を緩め、芸妓に酌をさせた。潰れるまで飲ませて連れ帰ってもらおう。少し離れてそれを眺め、ふう、と息を吐き踵を返して歩き出そうとすると誰かとぶつかってしまった。


「申し訳ございません」

「こちらこそ。助けに入ろうかと思ったけどお呼びじゃなかったみたいですね」


美しい顔立ちの青年が私を見下ろしていた。一瞬、人の良さそうな笑顔は目を奪う。すぐにこちらも口角を上げて膝を折った。


「お見苦しい所をお見せ致しました」

「とんでもない」


目が合うとあちらの瞳が少しだけ揺れた、光の加減だろうか。失礼致します、と声を掛け横を通り過ぎようとした時、声が降ってきた。


「さっきの、芸妓ではなく貴女がいいと言われていたら、貴女はどうしてました?」

「一流の芸妓に酌をさせるのは地位や財が無ければ難しい事、どちらも半端なあの御方がこの機会を無下にするとは思えませんでした」

「聡い方だ」

「恐れ入ります」


視線を外し一礼の後に歩き出す。机に置かれた皿を見て料理に遅れがある事に気付いた。何人かの女中を厨房に行かせて手伝いをさせ、その間に新しい酒を振る舞う。上座の方々の席を回り下げ物を片付けた、この辺りは放っておいても酒を注ぎに行列が出来るからそちらの心配は無い。ここまで大きな規模の宴になると細かな所まで目を配るのが難しい。大王様のお席は不備が無いだろうか、そろそろお茶をお持ちした方が良いか。
ふと、気配を感じて振り返る。


「貴女に御酌をしてほしいけれど、とてもお忙しそうだ」


柔らかな声は人当たりの良さを強調する。酔ってはいなさそうだが、先ほどよりもやや楽しそうな笑顔を浮かべていた。聞こえない振りをしようかとも思ったが、やはりそれは失礼か。


「仰る通り私は忙しいのです。芸妓を呼びましょうか、蒙恬様」

「名前を覚えていて下さっているなんて嬉しいな」


綺麗な顔は得だと改めて思い知る。髪を軽やかに揺らしながら距離を詰めると、私の手を取り一層楽しそうに笑った。


「私は貴女が良いのです。貴女の手が空くのを待たせてもらいますよ」


戯れのつもりかそれとも揶揄か。どうしてこんな事を言うのかさえ分からないが、応えない事にはこの手を離してはもらえなさそうだ。そっと息を一つ吐いた。


「逃げたりしませんから、手を離してはいただけませんか」

「ああ、つい。失礼しました。ここで大人しく待っています」


柔和な表情や声とは裏腹にその瞳は強い意志を感じさせる、断れないのはきっとそのせいだ。視線から逃れるように顔を背けその場を離れた。美しい芸妓でも、女中でも、名家の娘でも、あの方ならばいくらでも側に侍らせる事が出来るはず。あんな気紛れを一々真に受けていたら仕事にならない。あ、そうだ、大王様にお茶をお持ちしなければ。


宴も終わりが近くなり、大王様や相国様は席を立たれた。一段落ついた事で身体から力が抜ける。女中達に労いの言葉を掛け、後は見送りと片付けを残すのみとなった。毎回この瞬間だけは会場にいても頬が緩む。酒を差し入れた廷臣にはもれなく挨拶出来ただろうか、見送りもしなければ。思考を働かせながら足を動かし始めた所で蒙恬様の事を思い出す。振り返ろうとして止めた、自分の仕事をしなければ。出口の方へ向かう間に精一杯の笑顔を作った。


「お気を付けてお帰り下さいませ」

「素晴らしい宴だったな」

「ありがとうございます」


笑顔、笑顔、あと少し、疲れは見せない。あらかたの重臣は会場を出た、もう片付けを始めないと。奥の方に視線を投げる、上座にはまだ人が残っていた。一人で声が出るほど驚き、慌てて足を向ける。


「も、蒙恬様っ」

「お疲れ様でした。ああ、待ってた甲斐があったなあ、いつもとは違う表情を見られました」

「酌など、私でなくても良いではありませんか」

「言ったでしょう、貴女が良いのです」


その声に澱みなど微塵も無かった。何も言えずに膝を折る。蒙恬様が盃を持ち上げたので私も徳利を持ち、静かにゆっくりと酒を注いだ。近くにいた女中に上座以外の片付けをするように言いつけ、蒙恬様に向き直る。


「お待たせして申し訳ございませんでした」

「貴女の姿を見ながらですから、長くは感じませんでしたよ」


この言葉を真に受けてはいけない、そう言い聞かせながら空になった盃にまた酒を注いだ。酒を注ぐ間もずっと顔を見られているようで、少し熱くなる。仕事、これは仕事だ。


「こういった大きな宴で何度か貴女を拝見しました」

「御挨拶もせずに申し訳ございません」

「そういう事を言いたいのではありませんよ。さっきの慌てた顔、すごく可愛かったのにまた仕事の顔に戻ってしまいましたね」

「……っ」


突然、蒙恬様が近付いてきて顔を覗き込まれた。驚いて思わず身体を反らす。正直な心臓は大きく鳴り始めた。


「お、お戯れはお止め下さい。私は一介の女中でございます」

「戯れなんかじゃありません」


蒙恬様の顔が耳元に寄ると髪が触れて途端に熱が集まる。吐息を感じる距離は心臓の音まで伝わるのではないかと息を詰めた。


「いつも凛として美しい貴女は宴の席ではいつも噂の的ですよ」

「御冗談を。他にいくらでも若い女中がいます」

「頑なですね、触れても?」


優しく手を取られる、剣を握るせいか手の平は少し固い。指先が触れ合う感覚に、表情を保とうとしても顔がどんどん熱くなる。自分の身体なのに全く言う事を聞いてくれず、見つめられるまま動けなくなってしまった。


「少しは意識して下さっていると思ってもいいですか」

「もう、お止め……」

「嫌なら手を払って」


振り解けない、触れている所から蒙恬様の熱が伝わる。顔を見られなくなって俯くと、駄目ですよと顎を持ち上げられて上を向く。唇を親指で撫でられて眉根を寄せると、形の良い唇は弧を描いた。自分よりもいくつか年若い青年の艶やかな表情は、微かな隙間から全てを暴こうとする。そして私はそれに抗えない。


「そんな顔をして、期待してしまいますよ」






心を奪われた日の話






END
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