「良かったら貰って下さい」


目の前に突然差し出された鮮やかな一輪の花と穏やかな笑顔を交互に見やり、綺麗だなと呟いた時にはその花を受け取っていた。黒いエプロンにはさぞ色が映えるだろう。花の名前を訊ねると、カキツバタですと明るい声が返ってきた。


「そこの花屋の者なんですけど、今日たまたまキャンペーンでこのお花を差し上げてるんです」

「どうして客でもない俺に」

「あの、すいません。少し元気が無さそうに見えたので」


表情には出していないつもりだった。少し頬を赤らめて申し訳なさそうに視線を下げる彼女に悪意が無いのは分かっていた。


「しかもお仕事中ですよね、邪魔になってしまいますね」

「いや、持って帰る」


スーツ姿の男がラッピングされた花を持って歩くのは目立つだろうか。自分の格好を見下ろしてみる。目立たないとは言い難いが会社までそれほど距離は無い、このまま手に持って帰る事にして彼女に視線を戻す。


「ありがとう」

「いえ、こちらこそありがとうございます」


花を貰ったにもかかわらず何故かありがとうと言われて可笑しいような気もしたが、彼女がまた目を細めて笑うとこちらの頬も少し緩んだような気がした。







「なんで花なんか持ってんだよ」


オフィスへの廊下を歩いていると、角を曲がってきた杉本がすれ違いざまに声を掛けてきた。貰ったんだよと答えると訝しげな視線を向けられる。心の中で放っとけと吐き、その場を後にした。

デスクに戻り、花を生けられそうな物を探すがコーヒーを飲む時に使っているタンブラーくらいしか見付からなかった。取り敢えずラッピングを外して茎を普通のハサミで切ってみる。そのままタンブラーに生けると少し斜めに傾いてしまうが、一輪しかないので仕方が無いかとデスクの隅に置き直す。花を見ると彼女の笑顔を思い出した。
カキツバタ、とネットで検索してみると花言葉が載っていた。幸運が必ず来る、幸運はあなたのもの。ふっと息が漏れる。明るく見られる方ではないが、そんなに落ち込んでいるように見えただろうかと笑いが込み上げた。




***





明くる日、いつものように出勤してデスクに座る。カキツバタは相変わらず鮮やかで目が冴えるようだ。だが昨日より僅かに項垂れているように見えた。やはりタンブラーに生けているからか、それとも水が悪いのか。そもそも花とはこんなものなのだろうか。
とりあえず花瓶を買おうと思い至り、昼休みに外へ出る。一番近い花屋は彼女のいる店だった。


「いらっしゃいませ」


入口を抜けるとすぐに声が掛かる。また、あの顔で笑っていた。


「あっ」

「昨日花を貰ったんだが花瓶が無いんだ、ここに売ってるかと思って」

「ええ、もちろん!」


弾むような声で嬉しそうに棚を開け、数種類の花瓶を並べ始める。少しだけ考えながら落ち着いた色の物を選んでくれているのは気遣いだろう。


「花瓶に生けていただけるなんて嬉しいです」


口の広い花瓶は生ける本数が少ないと花が傾いてしまい水分を上手く吸い上げられなくなるのだと聞き、一輪挿しに丁度いいサイズの黒い花瓶を選ぶ。丁寧に梱包してもらっている間、何となく店内の花を眺めているとカキツバタが目に留まった。昨日貰った物よりも花が大きく、ずいぶん印象が違って見える。


「昨日お配りしていたものはお花が大きく育たなくて売り物にならない子達だったんです」


紙袋に入った花瓶を受取り、綺麗に並べられたカキツバタをまた眺める。彼女はカキツバタを一本手に取り、愛おしそうに指先で花を撫でた。


「せっかく綺麗に咲いたのに棄てられてしまうのが可哀想で」


彼女の周りだけゆっくりと時間が流れているような、そこだけを切り取って絵にしてしまえそうな、そんな彼女の仕草に目を奪われる。喉の奥が少し熱い。


「だから、綺麗だって仰っていただけて嬉しかったんです」


零れ落ちそうな笑顔は温かい。思わず目を細めてしまいそうになる。例え命が短くても彼女に愛される花達は幸せだろうなと考えた。


「次は花を買いに来る」

「はいっ、お待ちしていますね」


手を振りながら見送ってくれる彼女の姿に、自分の中でじわりと何かが広がるのを感じる。綺麗だな、と一人静かに呟いてから、子供のような自分に呆れて笑いが込み上げた。貴方の事だとあと何度通えば面と向かって言えるだろう。





一見の日の話






END
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