03
「ん……」

窓の外から射し込む太陽光の眩しさで目を覚まし、全身に気だるさと温もりを感じながらねぼけ眼をこすっていると、頭上から「おはよう」と慈しむような声が聞こえる。ああ、よかった。夢じゃなかった。目の前にはちゃんと愛しの恋人がいる。赤井さんと共に目覚めるなんていつぶりの事だろう。

「おはようございます」

赤井さんの左腕を枕にしながら赤井さんに身体を包まれ、厚い胸板に寄り添っていた。どうやら昨晩は何度もお互いを求め合い、数えきれないほど赤井さんに愛を注がれ、意識を飛ばしてそのまま眠りについたようだ。腰に鈍い痛みが走るけれど、赤井さんに愛された証だと思うとその痛みでさえも心地よい。

「よく眠れたか?」
「気付いたら寝ちゃってたみたいですけど、何だかすごく久しぶりにぐっすり眠れた気がします」

本当に、久しぶりに夢を見ることなく眠った。待ち焦がれた人にやっと会えて、そんな恋人の腕に包まれたまま眠りについたのだ。何よりも心地よい温もりを共にしているのに、眠れないはずがない。今まで心のどこかに感じていた後悔も、罪悪感も全て、赤井さんが払拭してくれた。

「ふっ、そうか。それなら良かった」

目を細めた赤井さんに心臓がバクバクと音を立て、赤井さんを愛しいと思う気持ちが心の底から込み上げる。更に赤井さんとの距離を縮めるように身を寄せると、また笑みをこぼしたような呼吸が聞こえてくるのだから私の心臓は忙しない。

「全部夢だったらどうしようかと思いました」
「夢じゃないさ。そうだろう?」

赤井さんが私の右手をとって、自分の頬へと触れさせた。そこには確かに赤井さんがいて、右手だけではなく、全身が赤井さんの温もりを感じている。赤井さんがここにいることを体以上に心が分かっていて、あれだけ愛を確かめ合ったというのにまだ私の心は赤井さんを求めている。

「よかった……赤井さんが帰ってきてくれて……」
「……なぁ、少し気になったんだが、君は"沖矢昴"を何と呼んでいる?」
「え? 昴さん……ですけど……」

どうして突然昴さんの話になったのだろう。頭にクエスチョンマークを浮かべながら、赤井さんの問いかけに答えた。

「そうだな。だが俺のことは名字でしか呼ばない。何故だ?」
「えっ……いや、その……」

何故、と聞かれても理由なんてひとつしかない。……名前で呼ぶのが恥ずかしいからだ。年上で、格好良くて、その上優しくて……私には勿体ないくらい完璧な人。更にFBIの捜査官ときたら、今まで以上におそれ多くて名前でなんてとても呼べない。こんな人と付き合っていること自体がおこがましいくらいだ。

「あいつには簡単に心を許すんだな」
「そういう訳じゃないです! ……最初、あまりにも偶然会いすぎてストーカーなんじゃないかって疑ったこともありましたから。でも同い年ってこともあったんですけど、初めて会ったような気がしなくて、どこか懐かしい感じがしたんですよね。多分それは赤井さんだったからだと思うんですけど……。じゃなかったら、あんなに気を許しませんよ」
「ホォー……?」

しまった。つい口が滑って気を許したと言ってしまった。赤井さんを怒らせたのではないかと顔色を窺うと、怒るどころか少し寂しそうな笑顔を浮かべていた。赤井さんのこんな表情を見るのは初めてで、いつもと違う赤井さんに、不謹慎にも心臓の鼓動が高鳴る。

「俺のことも名前で呼んでくれないか?」
「えっ……!」

高鳴った心臓の鼓動が更に速くなるのを感じていた。今の今まで「赤井さん」と呼んでいたのに、突然名前で呼ぶだなんてとてもじゃないけど恥ずかしすぎる。一気に顔に熱が篭り、何も言えず金魚のように口をぱくぱくさせることしかできなかった。

「そうか……」

私が名前を呼ばないことに肩を落とし、陰りのある表情で微かな哀しみを瞳に浮かべる赤井さんからは、いつもの自信は全く感じられない。
……こんな顔をさせたい訳じゃない。赤井さんには笑っていてほしい。だから。

「しゅ、しゅーいち、さん……」

恥ずかしい気持ちを必死に抑え、彼を下の名前で初めて呼んだ。あまりの恥ずかしさに、彼の顔を見ることはできなかった。多分今の私は茹でタコのように真っ赤な顔をしているだろう。顔が熱い。そんな私を、赤井さん……秀一さんはきつく抱きしめた。

「もう一度聞かせてくれ」

耳に熱い吐息がかかり、切望するようにそんなことを言われれば、呼ばない訳にはいかない。

「秀一さん……」

さっきよりもスムーズに呼べた名前。頭上から聞こえる、幸せそうにふっと笑う声。「本当は"さん"も必要ないんだが……」という呟きが聞こえたけれど、さすがにそれは無理だ。恥ずかしさのあまり死んでしまう。火照った顔を隠したまま小さく首を横に振った。

「しょうがないな、まぁいいだろう」

秀一さんの抱きしめる腕の力が強くなったので、私も同じようにその温もりを抱きしめ返す。

名前で呼ぶようになるだけでこんなにも心の距離が近づいて、今まで以上に彼を愛しいと思えるのなら、これからは「秀一さん」と呼ぼうと心に決めた。




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