琥珀に映る真実
(今でも君を愛してるif/7話の途中より)


「名前さんのことが好きになりました。あなたの支えになりたい。あなたを一人にしたくないんです。それでは理由になりませんか?」

これ以上壊れていく君を見ていたくない。

俺を見つめる潤んだ瞳が閉じられると、溜まっていた涙が流れ落ち、頬に添えた俺の手を濡らす。どう返事をするのか悩んでいるようで、名前は何も言わなかった。

しばらくそのまま待っていると、名前が俺の両手を掴み、頬から遠ざけるようにゆっくりと引き離したので俺の手は行き場を失った。

「昴さん、ごめんなさい……。急にそんなことを言われても、まだ気持ちの整理がつかなくて……。今日すぐにお返事はできません。少し考えさせてください……」

やっと口を開いた名前は俺の顔を見ることなく、俯いたままそう答えた。涙を拭いながら話す声は震えており、その様子から名前を本気で困らせてしまったことに気がついた。

「……そうですか、分かりました。すみません」

俺に言えたのはそれだけだった。俺も焦って答えを求めすぎたようだ。今の彼女に今すぐ答えを出せと言うのは、余りにも酷なのかもしれない。

「こちらこそすみません……。また連絡します」

彼女は結局その後一度も顔を上げることなく、ゆっくりと立ち上がって一人先に帰っていった。俺はその寂しげで小さな後ろ姿を、ただ黙って見送るしかできなかった。

一人残された俺を咎めるように、先程まで穏やかだった風が突如吹き荒れる。あまり無理強いをしすぎて彼女が離れていってしまっては意味がない。今は彼女の言うとおり、返事を待つしかないだろう。強く吹き付ける風が、俺の心にも突き刺さるようだった。





沖矢昴として彼女に思いを伝えたものの、二週間経った今でも名前から連絡が来ることはなかった。あまりにも急な決断を迫ってしまったのだ、彼女が答えを出せないでいるのも無理はない。待つことには慣れている。

いくら俺が考えたところで答えを出すのは彼女だ。こちらが積極的に動くことで、彼女が俺を避けるようになってしまっては元も子もない。今はただひたすら、彼女から連絡が来るのを待つしかないだろう。

そうと決めたら、つい先程まで欠落していた冷静さを少しずつ取り戻したような気がした。たまには気分を変えるために外で一杯引っ掛けるか。そう思って俺の馴染みのバーに向かった。


この姿になってから行くことはなかったバーに久しぶりに足を踏み入れると、すぐに聞こえたのは女性が管を巻いている声。随分と聞き覚えのある、女性の声。

「ねぇ、マスター……わたし、これからどーすればいい……? あかいさん、わたしをおいて、いなくなっちゃった……すばるさんは、あかいさんのかわりに……かれしになるってゆーし……」

いつもより呂律は回っていないが、ここにいるのは間違いなく名前だ。時々俺が連れてきたのでマスターと顔馴染みになってはいたが、まさか彼女が一人でここに来ているとは思わず、言葉を失った。

「僕はその"すばるさん"って人を知らないけど、名前ちゃんはその人のことどう思っているの?」

彼女は右手で氷だけが残るグラスをカラカラと回しながら、テーブルに頭を預けていた。相当な量のアルコールを摂取したのか、度数の強いものを選んだのか。顔を赤らめ、目は少し虚ろになっている。

「ん〜とねぇ……しょーじき、よくわかんない……だってまだ、あのひとが、なにかんがえてるかわかんないもん……」

名前は完全に酔っているようで、彼女の視線の先には俺がいるはずなのに全く微動だにしない。おそらく俺に気付いていないのだろう。

「もーやだぁ……なにもかもつらいよ……。もうな〜んにもかんがえたくない……あかいさんのことも、すばるさんのことも、ぜんぶ、ゆめ……だったらいーのに……っ」

彼女が顔を突っ伏したので声はこもっていたものの、俺の耳にははっきりと名前の言葉が届いている。俺の足は彼女に向かって自然と動き始めていた。

「いらっしゃい。あれ、お客さん初めてですよね」
「えぇ、まぁ。すみません、彼女と同じものをいただけますか?」
「分かりました」

彼女が何を飲んでいたのかは知らないが、適当にマスターに頼んで俺は彼女の隣の席に腰を下ろした。名前は俺が隣にいることなど気付いていないらしく、未だに突っ伏したまま顔を上げることはない。顔を隠す彼女の横顔を時々盗み見ながらマスターを待つと、カランと涼しげな音を立てながら琥珀色の液体が入ったグラスを俺に差し出した。

「お待たせしました。バーボンのロックです」

マスターの言葉に、自身の耳を疑った。

「……バーボン、ですか? 彼女がこれを?」

彼女とここに来たとき、俺がよく飲んでいたものだ。酒にそう強くはない彼女が、いつも甘ったるいカクテルばかり選んでいた彼女が、自ら好んでこれを飲むとは考えにくい。

「はい、それが何か……?」
「……いえ。彼女、何か言っていませんでしたか?」
「すみません、他のお客様のお話をするのは……」

マスターにも守秘義務というのがあるのは承知している。しかし彼女がどういうつもりで、何を思って一連の行動をとっているのか探る必要がある。

「僕は沖矢昴と言います。彼女……苗字名前さんとは親しくさせていただいてますから大丈夫ですよ」
「ああ! あなたが例の"すばるさん"ですか。…………分かりました。彼女の恋人のことはご存知ですよね?」
「ええ、もちろん。その方の代わり……というのは少々失礼かもしれませんが、そのつもりで交際を申し出ましたので」
「先程お出ししたバーボンは、その恋人がいつも頼んでいたものでした。きっと今も彼を思い出しているんでしょうね。ここ最近、毎日のようにここに来ては同じものを飲み、こうして酔いつぶれて寝てしまうんです。彼がいた頃は一人で来るようなことはなかったんですけどね」

二人同時に彼女の方に目をやると、こちらに顔を向けるような形でテーブルに頭を乗せ、テーブルと頭の間で両手を枕のようにしていた。目には涙の伝った跡があり、規則的な呼吸が聞こえる。

「そうでしたか……。マスター、ご迷惑をおかけしました。彼女は僕が送ります」

二人分の代金を支払い、名前の体を揺らす。

「名前さん、起きてください。帰りましょう」
「ふぁ……あ、あかいさんだぁ……かえってきてくれたんですね……」

寝ぼけているのと酔っているのが交ざっているせいか俺を赤井秀一だと勘違いした彼女は、俺に抱きついた後、そのまま再び眠りについてしまったようだ。

「しょうがないな……」

何度体をゆすっても起きる気配がないので仕方なく彼女の体を抱き上げるが、それでもやはり彼女は目を覚まさない。それどころか俺を赤井秀一と勘違いしたままのようで、夢見心地で猫のように俺にすり寄ってくる。俺の気も知らず、本当に困った女だ。

彼女を抱いたまま店を後にしたが、これから一体どこに連れていくべきか。俺の家? 彼女の家? いや、どちらも難しい。となれば、残る選択肢は一つ。

……仕方ない。本当は彼女の同意なく連れていくのは気が進まないがこういう時だ、やむを得ない。それに彼女にも危機感を持ってもらう必要がある。





「ん……」

ベッドで横に寝かせていた彼女が目を覚ましたようで、目をこすりながらゆっくりと上体起こした。その姿はまるで幼子を見ているようだが、とろんとした潤んだ瞳、紅潮した頬には女性の色っぽさを秘めている。

「大丈夫ですか?」

彼女の隣へと移動し、ベッドの端に腰かけた。まだ意識がぼんやりとしているようで、俺を見ながら腑抜けた顔をして首を傾げている。暢気なものだ。

「あれ……? すばるさん……? あかいさんは……?」

全く、無防備にもほどがある。あんなところで一人で酒に飲まれ、酔い潰れたらどうなるのか。あの場にいたのが俺ではなく、不逞の輩だったとしたら。何かあってからでは遅いことを、彼女自身が自覚するべきだ。

そのためには身を持って経験するのが一番手っ取り早い。彼女の肩に手をかけ、そのまま後ろへと押し倒す。「え……?」と驚く名前に見向きもせず、彼女に跨がり両手首をシーツへと縫い付け、ベッドに組み敷いた。

「す、ばるさん……?」
「どうやらあなたには危機感というものが足りないようだ」

首筋に顔を寄せてやると、俺の吐息を感じたところでようやく彼女は自分の置かれている状況を理解したらしい。もちろん今ここで強引に襲うつもりは端からないので、すぐに顔を離して彼女を再び見下ろした。どうやら一気に酔いがさめたようで、どんどん彼女の目から色が消えていく。

「や、だ……やめてくださいっ! すばるさん、お願い、やめて!」

必死で俺の腕を振り払おうとするが、ただでさえ酔って力が入らないというのに男の力に彼女が勝てるはずもなく、彼女が見せる抵抗は全く抵抗になっていない。怯える名前の目の端からはとうとう恐怖の涙がこぼれ落ちた。

「……安心して下さい。酔った女性を無理矢理犯す趣味はありませんよ」

名前の両手を解放し、無理矢理押し倒した背中を支えながらゆっくりと起こしてやる。彼女の肩は震えており、恐怖心を植え付けてしまったことに罪悪感を感じた。震える肩をゆっくりと抱き寄せて、名前をこれ以上怖がらせることのないようできるだけ穏やかに話しかける。

「怖い思いをさせてすみません。ですが、こうでもしないと危機感を持っていただけないのではないかと思いまして、少々強引なことを……」
「こわ、怖かった……っ、びっくりしてっ……! すばるさんが、知らない人みたいで……」

相当怖がらせてしまったようで、肩に触れた瞬間びくっと体を震わせていたが、すぐに俺にしがみついてしゃくり上げた。

「申し訳ない。ですが、危なっかしい行動をするあなたにも非がある。今回の件もあの場にたまたま居合わせたのが僕だったからいいものの、僕ではなく知らない男性だったらどうするつもりなんですか? あなた今頃、もっと恐ろしい目に合っていたかもしれないんですよ?」
「だって……私、もう……どうすればいいか、分からなくて……」

泣きじゃくる彼女を宥めるように抱きしめると、名前も素直に俺に寄りかかってくれた。

「やはりあなたを一人にすることはできません。何をするか分からない。もっと僕を頼って下さい。何かあってからでは遅いですから」

声色を変えることなく、そして卑怯だとは思いながらも彼女の弱みにつけこむように話しかける。名前が俺に寄せていた顔を離し、涙目で俺の顔を見つめた。

「一人で抱え込まないで下さい。僕はただ名前さんを支えたいだけなんです。あなたの側にいたい」
「……っ!」

名前を真っ直ぐに見つめてそう伝えると、俺から視線を外して頬を赤らめた。この様子からすると、おそらく酔っているからではないだろう。どうやらストレートな言葉の方が彼女には響くらしい。

「僕を選んで下さい。僕はあなたを独りにはしません」
「すばるさん……」
「あなたの返事を聞かせていただけませんか?」

もうこれ以上先延ばしにさせるつもりはない。またここで逃げられてしまっては結論が出ないまま結局埒が明かず、また同じことを繰り返すだけだ。俺は彼女が口を開くのを待った。

「……本当に、私でいいんですか……?」
「名前さん"で"ではなく、名前さん"が"いいんです」
「後悔、しませんか……?」
「今あなたを選ばないことほど後悔することはありません」
「……急にいなくなったり……しないですか……?」
「あなたが望んでくださるのであれば、僕はあなたの側にいます。まだ何か不安なことはありますか?」

先程からネガティブな言葉ばかり並べる名前に、今度はこちらから問いかける。君が俺を選ぶことに不安を感じているのであれば、そんなものは全て払拭してやる。だから今ここで俺を、沖矢昴を選べ、名前。

「……いえ、ありがとうございます。昴さん、あの……よろしく、お願いします……」

俯いたままではあるが、たしかに名前はそう返事をした。やっと彼女が俺の元に……沖矢昴の元に来てくれた。

「お酒を飲みに行きたいのなら僕がいくらでも付き合いますよ」

そう告げたときの彼女の笑顔は、涙目ながらも昔からよく知っている表情に近いものだった。



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