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※二人が付き合った後のお話

(二人の出会い編は夢本の書き下ろしとなっていますのでサイトへの掲載はありません)





曖昧な返事からではあるが赤井さんと正式に付き合うようになり、三ヶ月で終わりを迎えてもおかしくなかった私たちの関係は無期限のものへと変化した。

変化したのは私たちの関係だけではない。恋人≠ニいう関係になってからというもの、今まではほとんどなかった赤井さんのスキンシップは格段に増え、彼は頻繁に愛の言葉を囁くようになった。

クールな人だと思っていたけれど実は情熱的な一面を内に秘めており、その部分が垣間見える度に私の心臓はいちいち跳ね上がる。そしてそんな彼に私はどんどん惹かれていった。


「今夜は名前を帰したくない」


赤井さんからそう言われたのは、彼と付き合うようになってから半年程経ったある日のことだった。赤井さんがこの言葉を発することになった理由。それは今から三十分前に遡る。





「どうした? 今日はいつもと様子が違うような気がするが。何かあったか?」

久しぶりの赤井さんとのデート。レストランで食事を済ませ、車に乗り込んだ直後。赤井さんは私が元気ないことに気付いたようだ。

ずっと彼に会えるのを楽しみにしていたし、やっと彼に会えて嬉しいはずなのに私の心はどんより曇り空。豪華なディナーをご馳走になり、美味しいものを食べたというのに未だに気分は浮かないまま。

理由は分かっている。
……ここ二ヶ月の間に赤井さんからの連絡が極端に減り、会う回数も激減していたからだ。

会う回数が減れば何度も繰り返し囁かれていた愛の言葉も減るし、当然スキンシップだって減る。とはいっても、まだ体の関係もない私たちのスキンシップなんて所詮キス止まりだけど。それもまた私を不安にさせる原因のひとつだった。私に魅力がないから赤井さんは手を出さないのだ、と。

赤井さんに会えないことが寂しくて、赤井さんに触れられないことが辛かった。そして、実はもう愛想を尽かされたのではないかと思うと怖くなった。

「いえ、何でもないです……」

強がることで気持ちを誤魔化すことしかできない私には、赤井さんに正直な気持ちを伝えるなんて到底できず。気持ちを押し殺すことで、寂しさを閉じ込めようとした。

「そんな顔をして、何でもない訳がないだろう。俺に言えないようなことなのか?」

そういう訳じゃない。

『私のこと、好きですか?』

──こんなことを口にしてしまったら、間違いなく面倒な女だと思われてしまう。それこそ愛想を尽かされるのも時間の問題。

そう思うと、自分の本心をはっきりと口に出すことができなかった。聞かれても何も言わない私に対して、赤井さんはどこか寂しそうに笑った。

「言えない程俺は頼りないんだな」

違う。赤井さんが頼りない訳がない。本当は素直にこの気持ちを全て打ち明けたいけれど、臆病な私は嫌われるのが怖くてなかなか言い出せないだけなのだ。でも。

「赤井さん……もしかして私のこと、嫌いになりましたか……?」

やっとの思いで切り出した言葉。こんなことを自ら口にしてしまうなんて、私はどれほど面倒な女なのだろう。自覚はある。けれど、赤井さんのこんな表情を見てしまえば言わずにはいられなかった。

そして、そんな私とは対照的に赤井さんは優しく微笑んだ。

「そんなことある訳がないだろう。急にどうした? 何故そう思う?」
「や、あの……最近全然会えなくて……その、寂しいなって……」

結局言ってしまった。きっと赤井さんも面倒で重い女だと思っているに違いない。愛想を尽かされたと思いビクビクしていると、先程まで笑みを浮かべていた赤井さんがふっと目を伏せた。

「そうか……すまない。今仕事が立て込んでいるんだ。今までのように頻繁に会うのは難しいかもしれない」

あぁもう、やっぱり止めておけばよかった。最初から言わなければよかった。

『仕事か私のどっちが大事?』と聞いているようなものだ。こんな大人げないこと、言いたくなかったのに。

「私の方こそすみません……お仕事忙しいのに、こんなこと言ってしまって……」
「いや、名前が謝る必要はない。悪いのは俺だ。名前には先に伝えておくべきだったな。だが、もう暫くこの状態が続くことになるだろう。君の方こそ嫌にならないか?」
「私はならないです! ……けど、赤井さんは私といて迷惑じゃないですか……?」

だめ、泣きそう。

私にはもう、赤井さんの顔を見ることができなかった。赤井さんに嫌われたくない。迷惑をかけたくない。

そう思っているのに自分の思いとは裏腹に、どんどん面倒な女に成り下がっていく。

「本当に今日はどうした?」
「ごめんなさい……。不安、なんです……」

赤井さんに愛想を尽かされるのが。赤井さんに別れを切り出されるのが。いつの間にか、私は赤井さんのことを本気で好きになってしまったようだ。


恋って楽しいことばかりじゃない。不安にもなるし、寂しくもなる。こんなに不安定な感情を抱くのは初めてだった。

直後、助手席で俯く私の体が温もりを感じた。赤井さんが私をふわりと抱き締めたのだ。

「赤井さん……?」

彼を呼ぶと体は離れ、代わりに翡翠色の瞳がじっと見つめる。その瞳に吸い寄せられるように私たちの顔は近づき、次の瞬間唇に柔らかいものが触れた。強く押し当てられたかと思えば下唇を柔く食まれ、まるで唇の感触を確かめているかのようだった。

唇がゆっくりと離れると、赤井さんの顔を見る間もなく彼の腕がまた私の体をぎゅっと抱き締める。そして耳元で囁いた。

「今夜は名前を帰したくない」

え? と聞き返す間もなく、赤井さんが私の前に差し出したのは一枚のカードキー。

「部屋を取ってある。……この意味が分かるだろう?」

いくら経験が乏しくても、さすがに分からないはずがない。帰さない∞ホテルの部屋の鍵≠ニ来れば、連想されることはひとつ。その言葉の意味を理解したとき、一瞬のうちに自分の体温が急上昇した。

赤井さんがこういう類いの言葉を口にするのは初めてのことだった。

「嫌、か?」
「私も……赤井さんと、一緒にいたいです……」


赤井さんの背中に回した手で、私も彼をぎゅっと抱き締めた。





私を助手席に乗せて赤井さんが向かった先は、都内でも有数の高級ホテルと言われるようなところだった。私には生涯無縁だと思っていた場所。

広いロビーにいる人たちはスーツであったり綺麗に着飾っていたりと、私の場違い感は否めない。緊張と不安から赤井さんの手におそるおそる手を伸ばすと、すぐに指を絡ませて手を繋いでくれた。

赤井さんはフロントを通りすぎ、客室がある方へと私の手を引きながら歩いていく。赤井さんに導かれるまま、私たちはエレベーターへと乗り込んだ。


私たちだけを乗せた小さな箱はぐんぐん上昇し、ガラスから見える景色は広がりながら少しずつ小さくなっていく。エレベーターが上昇するにつれて、私の緊張も比例するかのように高まるばかり。赤井さんと繋ぐ手にも自然と力が入る。私の手を握り返す赤井さんは、何も言わなかった。


四十階についたところでエレベーターの扉が開き、同時に赤井さんが私の手をとったまま歩き始める。私は緊張でいっぱいになりながら、無言で赤井さんの隣を歩いた。

ある部屋の前に到着したところで、赤井さんがピタリと足を止めた。とうとう着いてしまった。あまりにも緊張しすぎて、どくん、どくんと心臓の音が大きくなっていく。

「本当にいいんだな? 大丈夫だ、名前が嫌がることはしないと約束する」
「はい……。大丈夫、です……」

赤井さんの手をぎゅっと握ってそう返事をすると、赤井さんは片手でさっき私に見せたカードキーを取り出した。ピッという音と共にロックが解除され、赤井さんがゆっくりとドアを開く。

扉の向こう側には、今までに入ったことがないほど広い部屋。カーテンが開けられた大きな窓には綺麗な夜景が広がっているけれど、今の私は正直景色どころじゃない。全く知識がない訳ではないけれど、初めて≠フ私にとっては特別な夜。


緊張のあまり立っているのはやっとだし、繋いだ手も心なしか震えているような気がする。

私、とうとう赤井さんと一夜を共にするんだ。

赤井さんに手を引かれるがまま、おそるおそる部屋へと足を踏み入れる。パタンとドアが閉まった途端、全身に感じたのは赤井さんの温もり。

あたたかくて心地よい温もりを、私は両腕で抱き締め返した。未だに緊張はしているし、心臓の音も忙しない。けれど、赤井さんの温もりを感じて少しずつ心は満たされていく。


ふと顔を上げると、真剣な眼差しをした赤井さんと目が合った。吸い込まれそうな程真っ直ぐな眼差し。私の顔を両手で優しく包み込むと、赤井さんはゆっくりと私の唇に口づけた。
小さなリップ音を響かせながら、赤井さんは何度も何度も私の唇に触れる。強く押し付けてはゆっくりと離れていく、というのを幾度となく繰り返した。

口づけの合間に吐息混じりで私の名前を呼ぶ赤井さんに、私の鼓動は高鳴るばかり。それでもやはり緊張で体は強張り、赤井さんの背中に回す手は微かに震えてしまう。

「名前が抱いている不安、全て俺が消してやる」

彼が耳元で囁いた言葉に、どくんと心臓が大きく跳ね上がるのを感じた。



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