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「……一回だけって言ったのに……」

ちゃぷん、と湯船のお湯が波打つ音に紛れて文句を垂れる私と、後ろに座って私を抱きしめる秀一さん。どうやら立位で二回も繋がったことで私の足腰は限界に達してしまったらしい。秀一さんに抱きかかえられながら湯船に入り、最初に入浴したときと同じように背中を預けていた。

「ああも乱れた名前を見せられ、あんな目を向けられたのでは応えないわけにいかないだろう。そういう名前こそ、満更でもない様子だったが?」
「うぅ……それは……」
「上手にイけるようになったな。いい≠煬セえるようになったじゃないか」

全部、何も知らなかった私に秀一さんが教えたことだ。秀一さんの手によって私の中に秘められていた女の部分が芽を出し、花開いた。

「……嫌いになる?」
「ん? おかしなことを言うんだな。逆だ、より愛おしくなったよ」

秀一さんは私を抱きしめる腕に力を加えて抱き寄せると、近づいた首筋に唇を寄せた。

「ねぇ、秀一さん。ずっと聞きたかったことがあるんですけど……」
「ん?」
「……どうして私だったんですか?」

実は秀一さんと出会った当初から不思議に思っていたことだった。偶然の出会いから始まった私たちの関係。あの日の出会いがあったからこそ今こうして一緒にいられるのだけれど、実はずっと気になっていたのだ。どうして私だったのか、と。聞きたくても聞けなかった。聞くのが怖かった。

「秀一さんなら私なんかじゃなくても、引く手数多だと思うんですけど……」

この容姿に紳士的な振る舞い。きっと今までにも多くのアプローチを受けてきたことだろう。もしかしたら今も私の知らないところで、私の知らない女性から甘い視線を向けられているのかもしれない。秀一さんを信じていないわけではないけれど、今でもたまに不安になるのは事実。秀一さんにはとても言えないけれど。

「いや、そんなことはない。女性には恐れられてばかりだったよ」
「そうなんですか? 意外……」
「まぁ……一度狙いを定めた標的は、どう思われていようとも逃しはしないが?」

「名前のようにな」と耳元で愛おしげに囁かれれば、心臓がどくんと大きく跳ね上がる。

「それと私なんか≠ニは聞き捨てならないな。俺は名前だから好きになったんだ。自らを顧みず他人を思いやることができる優しさも、愛らしい笑顔も名前に惹かれるきっかけだった」

私を抱きしめる腕にぎゅっと力が込められる。あのとき、秀一さんに初めて会ったとき、そんなことを思っていたなんて。出会った当時のことを昨日のように思い出しては、胸の奥がきゅんと締め付けられる。

「同じ時を刻むうちに、少しずつ名前の素顔を知った。知れば知るほど惹かれたよ。芯が強いところも、純粋で真っ直ぐなところも、本当は寂しがりやで甘えたがりなところも、涙もろいところも。名前の全てが愛おしいと思った」

普段はそこまで口数が多いとは言えない秀一さんが、今日は何故か多弁だ。口を挟むことなく、秀一さんの言葉に耳を傾ける。

「名前の笑顔にずっと救われていたんだ。だが、一時期とはいえ俺は自らの手で名前の笑顔を奪ってしまった。名前の心に深い傷を負わせたこと、今でも悪かったと思っている。本当に辛い思いをさせてしまったな。もうあんな思いはさせないと約束する。名前の笑顔を、これから先もずっと俺に守らせてほしい」

自然と涙が溢れていた。心がいっぱいになって、何も言えなかった。だってこれじゃあまるで、プロポーズの言葉みたいだ。秀一さんはそんなつもりで言っているのではないだろう。けれど、言葉の端々から深い愛を感じ、ずっと秀一さんの隣にいることを許されたような気がした。

今日は何度秀一さんに泣かされるのだろう。それも幸せな涙ばかり。秀一さんに背を向けていてよかった。また泣いているのかと呆れられるかもしれないから。

「俺の恋人が名前でなくてはいけない理由、伝わったか?」
「っ、はい……っ!」

涙交じりの声で返事をしてしまったので、泣いていることを悟られてしまっただろう。ふっと息を漏らして小さく笑う秀一さんの声が聞こえた。

「今日は泣いてばかりだな」
「だって……秀一さんが、いっぱい幸せをくれるから……」
「それはお互い様だ」

うなじに唇が触れ、小さなリップ音が浴室に響く。くすぐったくて、でも唇の柔らかな感触が心地よくて小さく身を捩った。

「こちらを向いてくれないか」

そう言って私を抱きしめる腕が緩められた。求めるようにそんなことを言われれば振り返らない理由はない。涙目のまま秀一さんを見つめると包み込むような優しい眼差しを向けてくれたのだけれど、それはほんの少しだけ苦笑混じりのようにも思えた。

「呆れてる……?」
「いいや、俺を想って流してくれた涙に呆れるはずがないだろう。泣き顔も全て愛おしいと思うよ。……だが、やはり名前には笑顔が一番似合うな」

そっと私を引き寄せてから、流れるような動作で私の瞼に口づけを落とした。目を瞑った拍子に溜まっていた涙が溢れ、頬を伝って落ちた雫はお湯の中に溶け込んでいく。今度は頬に唇が寄せられ、残った涙を舌先が掬い取った。


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