08
「秀一さん、本当にお料理上手ですね。おいしかったです」
「名前に喜んでもらえたのなら何よりだ」

今日の晩ご飯は秀一さんが準備してくれたクリームシチュー。これもきっと有希子さんに教わったのだろう。秀一さんは毎日こうして自炊しているのだろうか。それとも、私が来ているからと気を遣って準備してくれたのだろうか。

どちらにしても、私がここにいることで秀一さんに負担がかかることには変わりない。

「今度、私もキッチンお借りしていいですか?」
「作ってくれるのか?」
「はい、お邪魔させてもらっている身ですから。大したものは作れないですけど……」

料理の腕に自信があるわけではないけれど、しばらくここでお世話になるのに私だけ何もしないわけにはいかない。少しでも秀一さんの負担を減らしたかった。

「名前が作ってくれるものなら何でもうれしいよ」

秀一さんは私を喜ばせるのが上手だ。今だって、優しく微笑みながら私が喜ぶ言葉をくれる。つられて私も一瞬で笑顔になり、思わず秀一さんに抱きついた。

「今日は随分と甘えるのが上手だな」
「嫌ですか……?」
「嫌なわけがないだろう。むしろ大歓迎だ。それだけ名前が俺に気を許している証拠。それが本来の名前の姿なんだろう? ……今まで寂しい思いをさせたな」

秀一さんと付き合うまで私も知らなかった。自分がこんなにも寂しがりやだったなんて。本当はずっと、会えない期間が長くなると不安だった。いつだって、ほんの少しでもいいから会いたいと思っていた。でも言えなかった。秀一さんに面倒な女だと思われたくなくて、嫌われるのが怖くて。

一度、たった一度だけ寂しいと言ってしまったことがあるけれど、あのときは秀一さんと初めて結ばれたことで不安は払拭された。それからも寂しいと思うことは何度かあったけれど、言えなかった。言いたくなかった。素直に甘えることができなくて、いつも強がってばかりだった。でもそれが間違っていたことに秀一さんが気付かせてくれたのだ。もっと私から甘えていいのだと。

「いいんです。今秀一さんと、こうして一緒にいられるから」

ぎゅうっと思いっきり抱きつくと、秀一さんは私に応えるように強く抱きしめ返してくれた。幸せ。本当に幸せ。秀一さんはもう私の一部で、秀一さんがいないと生きられない体になってしまったようだ。ここまで深く愛する人に出会えるなんて、本当に私は幸せ者。

「ありがとう。風呂が沸いているんだが……久しぶりに一緒に入るか?」

秀一さんの言葉に反応して、ぴくりと身体が跳ねた。恥ずかしい気持ちはあるけれど、今日はなんだか秀一さんと片時も離れたくなくて。

「……はい」

秀一さんにだけ聞こえるような声で返事をして、小さく頷いた。





秀一さんに導かれるまま一緒に脱衣所にやってきたのだけれど、私の体は誰が見ても分かるほどカチコチに固まっていた。

「緊張しているのか?」
「だって……本当に久しぶりなんですもん……」

秀一さんとお風呂に入ったことがないわけではないし、そうでなくとも幾度となく肌を重ねているのだから今更どうして、と秀一さんは思っているだろう。どうして、と聞かれればなんとなく。体を暴かれるのではなくて自ら晒すという状況も、明るいところで体の隅々まで見られてしまうということも。私にとっては恥ずかしいことばかりなのだ。久しぶりなのだから尚更。

「この間も誘ったんだが?」

この間、とは秀一さんと再会を果たした日のことだろう。たしかにあの日、秀一さんは「一緒に入るか?」と私を誘った。けれど私はその申し出を断ったのだ。まさかまだ覚えていたなんて。

「あ、あのときは……! 秀一さん≠ノ会えて胸がいっぱいだったのに……その……」
「ん?」
「その……久しぶりに……するってわかってたから……。お風呂も一緒に入ったら、ドキドキしすぎて心臓がもたないと思って……」
「可愛いことを言ってくれるじゃないか」

気にしていない、と付け加え、私のおでこにひとつキスを落とした。秀一さんはなんの躊躇いもなく着ていた服を脱ぎ、洗濯機の中に入れていく。露になった上半身は相変わらず鍛えられていて、何度この肉体美に直面しても慣れることはない。当然彼の体を直視することができず、でも、だからと言ってどこに視線をやればいいのかも分からない。行き場がなくて足元に視線を落としている間にも、私の隣からは衣擦れの音が聴こえていた。

「いつもどおり先に入って待っている」

いつもどおり=B一緒にお風呂に入るときは、毎回秀一さんが先に入り、頃合いを見計らって私が浴室に入るというのが私たちの定番だった。なぜこの順序なのか。私が恥ずかしがってなかなか入れないというのも理由の一つなのだけれど、一番の理由は私の髪と体を洗うのは秀一さんの役目になっていたから。

ものすごく甘やかされているという自覚はある。でもあの頃──まだ赤井さんと呼んでいた頃──は、なかなか会うことができず、さらに一緒にいられる時間も限られていたため、私の体を綺麗にしながらもスキンシップを取りたいという秀一さんたっての希望だったのだ。少しでも一緒に過ごす時間を無駄にしたくはないから、と。

「待って!」

先に浴室に入ろうとする秀一さんの後ろ手を引いて、彼を引き止めた。今日は決めていることがあったから。

「……たまには私も、秀一さんの背中……洗いたい、です……」

語尾がどんどん小さくなっていく。自分が発している言葉に対する羞恥心も相まって、やっぱり秀一さんを直視することができなかった。落とした視線、火照った顔。秀一さんの手首を掴む手も熱を持っていて、手のひらを通して秀一さんにも私の熱が伝わっているだろう。

「……さすがにその不意打ちは反則だぞ」

秀一さんの声がどことなく熱を帯びた気がした。いつもの秀一さんとは様子が違う気がして、まだ火照ったままの顔をパッと上げてみると、私が掴んでいない方の手で顔を覆い隠して俯いている。指の隙間から見える頬はほんのりと朱に染まっており、僅かに見える口元は緩んでいた。

秀一さんが……いつもポーカーフェイスで余裕たっぷりの秀一さんが赤面している。秀一さんのこんな顔、初めて見た。

私にはまだまだ知らない秀一さんの顔がいっぱいあって、そのすべてを知ることは難しいかもしれないけれど、一つでも多くの秀一さんを知りたい。気付けばいつの間にか秀一さんの朱が伝染して、鏡に映る自分の顔が更に赤く染まっていた。



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